テラーノベル
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放課後、人気のない校舎の奥。
数学準備室に、元貴はひとり呼び出された。
ノックをし、開いた扉の向こうで待っていたのは、若井だった。
「失礼しまーす……先生、どうしたんですか? こんな所に呼び出して」
軽く笑いながら、元貴は無防備に足を踏み入れる。
夕方の光が淡く差し込む室内。
教材棚と、狭いデスク。
椅子が2脚。
生徒が入るには少しばかり“閉ざされた空間”だった。
「授業中の態度について、話がある」
若井は背中を向けたまま、机の上のファイルに手を置いていた。
「……態度、って?」
「今日のテスト中。俺を見ながら……何をしてた」
その言葉に、元貴はフフッと笑った。
あぁ、ちゃんと見てたんだ、って思うと、身体の芯がじわっと熱を帯びる。
「別に。先生、ずっとこっち見てたから……つい、意識しちゃって」
「“つい”で済むことじゃないだろ」
振り向いた若井の瞳には、怒りとも戸惑いとも違う、濃い色が浮かんでいた。
「他の生徒もいた中で、あんな……挑発するような真似をして」
「……見えてたんですね、やっぱり。じゃあ……嫌だった?」
その言葉に、若井は言葉を詰まらせた。
(嫌だったわけじゃない。むしろ……)
その“仕草”の意味に気づいてしまった瞬間から、ずっと喉の奥が渇いていた。
止めたかった。
見たくなかった。
でも、目が離せなかった。
だからこそ、今。
自分のほうから、返さなきゃいけないと思った。
「椅子に座れ。……そこ」
少し低めの声に、元貴は目を細めた。
ゆっくりと椅子に腰を下ろし、足を組んで若井を見上げる。
「……なんだか、先生の声、いつもより低いですね」
「……喋るな」
若井がゆっくりと歩み寄り、元貴の肩を両手で支える。
そのまま、すっと顔を近づけた。
けれど、唇は触れない。
代わりに、元貴の耳元に、かすかな吐息がかかる距離で囁く。
「……さっきのお前の仕草、まだ頭から離れない」
「ノックボタンを咥えて、舌で舐めて……何度も、出し入れして」
元貴の喉が、わずかに震えた。
触れられていないのに、言葉だけで身体が反応する。
「……可愛い顔して、俺を誘って」
「……じゃあ、今……誘われてる気がしてます?」
「……ああ。今も、そうだ」
若井の手が、元貴の頬に触れた。
それだけで、体温が跳ね上がる。
(今なら、キスできる。押し倒せる。全部、手に入る)
だけど若井の指は、すぐに離れた。
触れたのはほんの一瞬だけ。
「……だけど、触れられない」
触れたくて仕方ない。
だけど、教師である自分が手を出したら、すべてが終わる。
「…じゃあ、僕を見ててよ。先生」
若井の目が困惑に揺れる。
けれど、その動揺をよそに、元貴はシャツの第一ボタンに指をかけた。
「おい、大森……何を……」
言葉の続きを遮るように、元貴はかすかに笑う。
「止めるなら、目を逸らしてください。
でも先生、さっきから逸らしてない」
次々に外されていくボタン。
少しずつ露わになる白い肌が、蛍光灯の光を淡く反射していた。
若井は息を呑んだ。
「……見てて」
小さく囁いたその声に抗えず、視線は引き寄せられるように動かない。
心の中で“だめだ”と叫んでいても、身体が言うことをきかない。
元貴の指が、鎖骨から胸元へと滑っていく。
それは――
まるであの日、音楽準備室で
若井が藤澤に触れられていた軌跡をなぞるようだった。
「ここ、触れられて、感じてたでしょ。先生」
指は胸を横切り、腹部へと下りていく。
「次はここ……」
ゆっくりと、スラックスのファスナーを下げ、 その隙間へと指が静かに伸びる。
若井の喉が、ごくりと鳴った。
顔を背けたくても、視線が逸らせない。
「……ねぇ、先生。
あの日、藤澤先生と交わってたとき、
この辺り……もっと、熱くなってましたよね」
誰にも言っていない“記憶の感触”を、元貴はなぞってくる。
「あの日、目を逸らさずに見てた。
先生の乱れた顔も、声も、俺――全部、覚えてるよ」
若井は机の端を掴んだまま、唇を噛んだ。
目の前の光景は明らかに“越えてはいけない線”の向こう。
なのに、止められない。
この生徒に、気持ちまで、奪われていく。
「……だから、ね」
指先が、自身の身体の奥深くに触れ――
「……はぁ…っ、一緒に感じて、先生……俺のこと、見てて………っ!」
その瞬間。
誰もいないはずの静かな廊下。
けれど、数学準備室の小さな窓から覗きこんでいた瞳があった。
藤澤涼架だった。
生徒との会話を終え、若井に用事があって準備室へ向かった。
閉まった扉を開けようとしたとき――
ふと視界の端に見えた、小窓からの“異様な光”。
何気なく覗いた窓の向こう。
そこには、制服を乱し、自らに触れながら若井に視線を注ぐ元貴。
微かに聞こえる喘ぎ声。
そして、それをただ固まったように見つめる若井。
何も言わず。何も動かず。
ただその場で、静かに立ち尽くす藤澤。
「……ふうん」
声には出さず、口の端だけで笑った。
その目は、明らかに笑っていなかった。
(――生徒とも、そういうことができるんだ)
呟くように心で言いながら、
藤澤はその場を静かに離れていった。
気配にすら気づかれずに。
扉の向こうの2人に、一切届くことのないまま。
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