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放課後の音楽準備室には、
しん、と静けさが満ちていた。
楽譜棚の隅、譜面台が並ぶ窓際。
そこに立つ藤澤涼架は、ふわりと笑みを浮かべていた。
「ねえ、大森くん。最近…若井先生と仲いいの?」
呼び出された理由が読めず、元貴は一瞬だけ眉を寄せた。
でもすぐに、平静を装って答える。
「…はい。そうですけど」
「そっか。実は俺もね、若井センセと仲良いんだよ。――ここの学校に来る前から、ね」
その言い方が妙に含みを持っていて、元貴は心がざわつく。
「……何が言いたいんですか」
「別に?ただちょっと気になっちゃってさ。
大森くんって、ほら。すっごく目で追うから、若井先生のこと」
心を読まれたようで、元貴は一瞬だけ言葉に詰まる。
それを見ていた藤澤は、くすりと笑った。
「ねぇ、大森くんはさ。若井先生の“どこ”が好きなの?」
「……」
「顔?声? それとも…ベッドでの声?」
「……っ!」
一瞬、空気が凍りつく。
元貴の目が大きく見開かれた。
「驚いた?ごめんごめん。ほら、俺、ちょっと前にね。
若井センセとそういう関係だったんだ。」
からかうように、けれどどこか挑発的に。
その余裕のある言葉のひとつひとつが、元貴の胸に突き刺さる。
「若井先生の全部、俺知ってるよ。
どこを触ると気持ちいいか。どんな時、声が漏れるか。……どんなふうに、乱れるか」
「……っ……やめてください」
「どうして?嫌なの?」
藤澤は、机に置いていた黒い指揮棒を手に取ると、まるで何気なく撫でるような仕草で、その先端を元貴の胸元へと滑らせた。
「若井センセ、ここ触られるとすぐ呼吸乱れるんだよ。ね、ここ…」
「……や、だ……っ」
「あとねぇ…肩、耳の後ろ……このあたりをなぞるとね。びくってなるんだよ。
大森くんは……どうかな?」
ぞくり。
背筋を走ったそれは寒気ではなく、熱。
背筋が思わず反る。
吐息が、浅く、甘く、漏れる。
「やめてください…っ」
制服越しに喉の下、鎖骨のあたりを撫でられ、元貴の身体がわずかにびくりと震える。
弱々しく言いながらも、背中は逃げずにその場に留まっている。足がすくんでいるのか、それとも。
「ほら。若井センセのこと……感じてみて?」
次に撫でられたのは、腹部。
指揮棒が生地の上からゆっくりと、そのまま下のほうへと滑っていく。
その感触に、喉の奥で言葉にならない音が漏れそうになるのを、元貴は必死に堪えた。
(ダメなのに……感じちゃだめなのに……)
けれど、身体は正直だった。
触れているのは藤澤の指揮棒。
なのに、意識の中でなぞられているのは、若井の手だった。
「……じゃあさ」
耳元に届く甘やかな声。
「これ、舐めてみてよ」
藤澤が持つ指揮棒が、くるりと反転し、丸みを帯びた持ち手の部分が、そっと元貴の唇にあてがわれる。
「……ほら、目を閉じて。若井先生だと思って」
その言葉に、反射的に目を伏せた。
閉じた瞼の向こうに浮かぶのは、先日の保健室、あの時の微かな息遣い。
触れられた首筋、熱っぽい視線。
静かに、舌を伸ばす。
ひと舐め。
ふた舐め。
執拗に、いやらしく。
棒の冷たさの中に、彼は確かに若井の温もりを探していた。
「……あは、すごいね。そんなに想ってるんだ」
藤澤の声はどこまでも穏やかで、残酷なほど優しかった。
元貴の呼吸が浅くなっていく。
喉が熱を持ち、胸の奥でうねるような衝動が広がっていく。
(こんな場所で、こんな人の前で……)
思考は途切れがちで、代わりに感覚だけが研ぎ澄まされていく。
もう、やめてくれ。
……そう思っているはずなのに、
目を閉じたままのその表情は、どこか恍惚とさえしていた。
指揮棒の持ち手が口元から離れる。
元貴はようやく目を開けた。
吐息が乱れ、肩で息をする。
熱を持った顔に、後悔と羞恥がじわりと浮かんでいた。
(…最悪だ。俺……こんな、先生の前で……)
藤澤は、そんな元貴を見てふっと目を細めた。何も言わず、ただ静かに見下ろしている。
その視線から逃げるように、元貴は立ち上がり、胸元のはだけた制服を整える。
まだ体内に微かに残る熱をやり過ごすように、深く息を吐いた。
震える声で、それでもはっきりと彼は言った。
「……若井先生は、渡しませんから。」
視線は藤澤から逸らしていた。
けれどその言葉には、確かな意思と嫉妬の色が滲んでいた。
言い捨てるようにして、元貴は音楽準備室を出ていった。
その背中が完全に見えなくなったところで、藤澤はようやく口を開く。
「……ほんと、かわいいなぁ……」
薄く笑みを浮かべて、指揮棒を握る手を見つめながら、彼はそっと呟いた。