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ガラガラと自宅のベランダへつながるガラス戸を開けた佐伯。襟の伸びたTシャツに寝癖のついた髪。眩しい朝日に目を細める。と言っても早朝ではないのだけども。
煙草に火を付けようとしてライターオイルが少なくなっていたことに気がつく。買ってこなくてはと思いつつ面倒でまたカチカチとレバーを押して火をつけた。
オープンセレモニーから3日が経っていた。
あの後、4人一緒に帰ったことは記憶にある。帰りのタクシーで何を話したのか全く覚えてない。
彼の大きな手と上品な香水の香りに包まれて、優しく見つめられていたあの瞬間。ふぅ、と煙を吐き出す。都合の良い夢にしたって出来すぎている。
『良かったら一緒に踊ってくれませんか』
彼は緊張していた様子だった。
ふと、佐伯は自分の手の平を見る。あの日、外は冷たい風が吹いていたから余計に感じた。彼の温かい手。それがほんの少しの震えていたこと。
彼はあの時何を思っていたのか。
任務で会ったけど、聞けなかった。聞いたら幸せな夢が終わってしまうような、そんな気がした。
ピコン
ポケットからスマホの通知音。取り出して液晶画面に映った文字に目を見開く。送り主は宇佐美。
”今から会えない?”
待ち合わせたのは海の見える公園。すぐ近くに浜辺があって潮風が吹いている。彼と仕事やプライベートの時によく待ち合わせ場所に使ういつもの場所。先に宇佐美が到着していて俺を見つけると手を振った。手を振りかえしながら彼の元に駆け寄る。
「おつ~。今日オフだよな」
「うん。リト君もだよね?」
「うん」
そのまま普段の調子で雑談をしながら海の方へと歩き出した。任務のこと、昨日今日の些細な出来事のこと。浜辺に出る前の階段で足を止めて彼の方を見た。今日ここに呼ばれた訳をまだ知らなかった。
「今日はなんでここに?」
「あー、えっと…色々考えたんだけど……ごちゃごちゃしちゃうからまず、単刀直入に言うよ」
首を掻きながら彼は俺の方に向き直る。急に改まった様子だ。
「テツのことが好きになった」
「………え」
リト君、今、なんて言った?
聞き間違い…。いや、言った。頬をほんのり染めた彼がそれを証明していた。混乱した。これが噓でも夢でもないなら一体なんなのか。
「前から、その…気になってはいたんだ。そういう自分の気持ちに気が付いたのも本当に最近で。テツのことダンスに誘ったのもそういうことだったんだけど、気付いた?」
彼に問われて首を横に振る。潮の香りがした。さざ波の音が遠くに聞こえる。目も耳も彼の姿と声しか拾わなくなったような感覚だった。
「そっか…。俺の思い上がりだったかもしれないんだけど、あの時のテツ……何というか、嬉しそうで安心したような顔しててさ…俺と同じ気持ちなんじゃないかなって思って」
ただ、黙って聞いた。それしかできなかった。彼の揺れる目が、真っ直ぐ俺を見ようとしていた。
「勘違いだったらやだなとか、男同士だしなとか色々考えたんだけど…」
瞳が、真っ直ぐ俺をとらえる。
「好きだから、テツがよかったら隣に居させてほしい」
一層強く風が吹いた。オレンジ色の髪がなびくのがスローモーションに見えた。なんか、もう、今起こったこと全部が信じられなくて。エンドロールが流れるならここなんだろうな、とか意味の分からないことを考えた。君は俺が長ったらしく考えていたことを簡単に言葉にしてしまう。
なぜか胸が苦しい。呼吸が細くなっていく。
しんじゃうよ、こんなの。幸せ過ぎてしんじゃうよ。
「……え!?」
気が付いたら膝から崩れ落ちていて、彼もしゃがみ込んでくる。視界はぼやけていて。
だって俺は隣にいるべきじゃないってずっと思っていたから。それなのに隣に居させて欲しいっていってくれたから。
「ごめん、嫌だった…?」
「…ぐずっ……ううん、違う…違うから」
ぽつぽつとコンクリートに雫が零れる。とめどなく大粒の涙が落ちる。隠してきた全部が溶けてあふれる。
「おれも、リト君と同じ」
好きだよ。
ぼやけては溶けるを繰り返す視界に戸惑いから安堵と歓喜へと彼の表情が変わっていったのが見えた。