テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
1
ロスサントス刑務所はいつもトマトの匂いがしている。
刑務作業でチリビーンズばかり作るせいだ。テキサス料理で、トマトとインゲン豆、ひき肉をとにかく煮込む。入れ墨の入った腕が木べらを回せば、脂の匂いが監獄に籠もる。
ふつふつ立ちのぼる白い湯気ごしに、力二は囚人たちをじっと見ていた。いつものペンギンマスクは机に置かれている。薄暗い刑務所の中にもかかわらず、素顔の力二は影一つない美青年であった。1900年代を思わせる細い輪郭は透き通るような薄桃色をしている。紫色の髪はハッとするほど艶やかで、少女漫画くらいまつ毛が長い。十人が十人恋に落ちあまりの高嶺に諦める。
それほど美しい男が足を組み、瞬きもしないで座っていた。
新入りは背中に妙な汗をかきながら横目でちらちら力二を見た。俯いてトマト缶を開けるのに集中しようとするのだが、どうしても視線が作業場の外へ向く。カウンター越しの紫が脳裏に焼き付いて離れない。ともすれば、男と分かっていても悪事を重ねてしまいそうな。
「おい」
新入りの肩を先輩が叩いた。どこかのギャングに属している、この街に慣れた犯罪者だ。先輩は小さな声で「やめとけ」と言った。
「お前、あわよくばイッパツなんて思っただろ。分かるよ、誰だってそうなる。けどやめとけ。マジで」
「どうしてですか」
「ヤバい奴だから」
「先輩から見ても?」
先輩は米軍基地を襲って捕まった男だった。戦車とカービンライフル相手に大立ち回りを演じ、仲間を逃がし切ったらしい。留置所でも散々悪態をついていた。恐れるものなどない犯罪者、札付きのワルが華奢な男をヤバいと言う。
「マフィアのアナですか? それとも議員」
「それ絶っ対本人に聞かれるなよ。人生滅茶苦茶にされるぞ」
「えぇ」
「お前βだっけ?」
新入りは首を横に振った。彼はαだった。半グレグループのリーダーで、αらしく上背がある。
「おぉマジか。可哀想に」
先輩は首を横に振り、十字を切った。軽い口調だが真剣な声色だった。
新入りが疑問にする前に、力二が立ち上がった。
囚人たちの肩がギクッと跳ねる。ローマの彫刻が動き出したようだった。先輩は新入りαの頭を掴んで下にぐっと押した。新入りの視界がチリビーンズでいっぱいになる。コンクリートの床にカツン、カツンと革靴の音が響く。ぐつぐつ煮立った鍋からひき肉混じりの赤い泡がコンロに落ちた。
力二の気配は強烈だった。後ろを向いているのにアメジストの瞳がビカビカ光っているのが分かる。恐ろしい視線はえぐるようで、過ぎ去った背中から遅れて汗が噴き出した。先輩の首筋にも鳥肌が立っていた。
カツン、と一際高い音を立てて靴が止まった。新入りαの真後ろだった。
口の中が急速に干上がっていく。天敵が真後ろにいると思った。バース性の頂点を上から丸のみにしてしまう化け物だ。
新入りαは縮み上がる心臓を押さえつけ、「何、か、用ですか」と言った。ぎこちなく振り返り、ニコッと笑う。前髪が額に張り付いていた。
「あの、お、俺、真面目に、やってます。切符、切符も。あ、まだありましたか。それとも」
「お前、初めてだったよな」
恐怖でよく回る口を、力二は歌うように遮った。楽器が喋っているのかと思うほど甘い響きだ。
傾国の美男は声さえベルベットのようであった。
「は、犯罪、すか?」
「そう。なぁ初犯α。この街のルールを知ってるか?」
力二はαの胸に手を添えた。恋人みたいな距離感だ。チリビーンズの匂いをかき消すほどの清涼な香り。夢見るような長い手足にヴェルサイユの顔立ち。性をかき立てる人類の隷属者。
成瀬力二はΩであった。
「平等。いい言葉だよな? 犯罪者くん」
新入りαはどうしてこのΩが恐ろしいのか気がついた。支配されていないのだ。
普通のΩはαに媚び、βにヘコヘコ頭を下げて生きている。美しい体を小さく丸め、部屋の隅で不幸そうに座り込むばかり。学はなく、体力もない。孕むだけの役立たず。美しい粗大ゴミ。
それが堂々と振る舞うだけで、こうも支配者然とするのか。
支配する側のαにとって、力二は得体のしれないΩだった。
「この街じゃα、β、Ω全員が平等に扱われる。分かるか? 等しく全員に人権がある」
「は、ぁ。それが?」
力二がαの胸倉をつかんだ。グイと物凄い力で引き寄せ、つんのめった足を刈る。新入りαの背中がふわりと浮いて床に叩きつけられた。大外刈りだ。
マウントを取った力二は、躊躇いなく銃を取り出し撃った。実銃だった。パン、と鋭い音がして、男の悲鳴が続いた。
「OK! 生物の授業だ。アンタの血は何色?」
「ぎゃあ! なに、痛い!」
「そう、トマトと同じ赤色! 百点だな、ご褒美やるよ!」
力二は鍋を取って、新入りαの上で傾けた。沸騰したチリビーンズがαの整った顔に火傷を負わせる。血とトマトが混ざり、見分けがつかなくなる。
「イカれてやがる!」
「奇遇なことに、俺にも赤い血が流れている。凄い! 世紀の発見だ。ダーウィンも大喜び。分かるか兄弟、俺たち同じヒト属ヒト科だ」
「助けて! 誰か!」
「つまりこれはΩの反逆でもαの躾でもない。ただの不良警官の憂さ晴らし、マジで普通の暴行罪!」
「ファッキンイエローカント!」
力二はもう一度発砲した。αの中指が吹き飛んで、赤い汁に沈んだ。
「次は頭だ。死体みたいに大人しくしてな」
力二は静かな声で言った。
αが荒い息を吐いて両手をあげる。
力二はαの首を触った。よく鍛えられた傷一つないうなじだ。Ωの、噛み跡ばかりの首とは全く違う。女のような力二の体とも、理解の及ばない暴力への慣れも。
αの耳に銃口を当てた。同時に、うなじに噛み付いた。ブツと硬い皮膚が千切れて、真っ赤な血が流れ出す。肉を噛みちぎって、咀嚼し、飲み込む。
ペロりと唇を舐め、力二は笑った。
産むだけが能の人類の孕み袋。人権の最下層。襲われるだけの被害者のΩが、暴力でαを支配した。反逆のカタルシスに浸りきった、甘い微笑みだった。
αの目から涙が溢れた。
ここまでされて尚、力二は美しかった。
2
風に揺られて桜が花吹雪を散らす。警察署の階段はピンク色の絨毯が敷かれたようだった。もうすっかり春だ。
力二は花びらの上に腰を下ろし、プラスプーンのビニールを破った。紙パックの蓋を外すと、出来立てカレーの匂いが広がる。春キャベツがデンと乗った春野菜カレーだ。
「桜の下で食べるカレーが一番美味しいよなぁ」
タイミング良く力二の腹が鳴った。食欲の春だ。温かな日差しに両手を合わせたところで、ゴロゴロした新じゃがが横から攫われた。
「カニくん、またやったな」
「つぼ浦さん」
つぼ浦は「ウマ」とつぶやきながら力二の隣に座った。
「また新入り虐めただろ。ギャングから苦情来たぜ」
「誰からですか?」
「キミトス」
「珍し」
「新入り、半グレ仲間、個人医、キミトスの伝言ゲームしたらしい。で、俺に説教しとけって」
「ふふ。説教ですか。つぼ浦さんが、俺に」
「ったくよォ」
つぼ浦が缶ビールを開けた。プルタブから吹きこぼれる泡もそのままに、しかめっ面はくっと缶を呷った。ゴクゴク苦いアルコールを飲み干して、ぶは、と息を吐く。
「チクショウ! なーにがツガイなら何とかしろだ! 朦朧しやがって固定観念の偏見コレクション野郎どもが」
「つぼ浦さん落ち着いて」
「αとΩが揃ってたらカップルかよ! 事情も知らねえくせに毎回毎回アレコレ言いやがる! カニくんも腹立つよな? オイ。公園の散歩以外出歩くなって感じだよなァ!」
爆速で酔っ払って管を巻く。どこからどう見てもダメ人間だ。だがこんなのでも、つぼ浦はαであった。
「水飲んでください」
「柔らかアタマ塾のバリカタどもめ。バリスタカタパルトにしてやるぜ。ネスカフェゴールドブレンドバリスタ投石機だ」
「ハイ? なんて?」
「俺のビールどこ行った?」
「水ならありますよ」
「くれ」
言いたいことを言ったつぼ浦は、べたーっと力二の肩に寄りかかった。恋人のような距離感、というよりは椅子扱いだ。遠慮なく体重を預けて、チマチマ水を飲む。
「つぼ浦さん荒れてますねぇ」
「怒り心頭だぜ。怒髪天を衝くだ。バカにしやがって」
つぼ浦は不機嫌そうなに眉をぎゅうと寄せた。途端に顔の良さがハッキリと分かる。目鼻立ちはバランスが良く、小麦色の肌は内側から輝くようなエネルギーに満ちている。力二がフランス人形なら、つぼ浦はスサノオだ。体格が良くて男らしい。
「普通に友達なのにな」
「そうっすねぇ」
「カニくんはα嫌いだし」
「そうっすねぇ」
「第一、俺にも選ぶ権利があるぜ。なぁ」
「えー、俺じゃ不満デスカ」
「急にぶん殴ってくるやつと付き合いたくないだろ」
「急にぶん殴りたくなりました」
「怖いな。こういう所だぞ」
「まあでも、俺もつぼ浦さんはちょっと」
「なんでだ?」
「これからもいい先輩でいてください」
「いいぜ。で、なんでだ?」
「いい先輩と言えば、グレンラガンの続きいつ見ます?」
「いつでもいいぜ。で、なんでだ?」
「なんでなんでってさっきからなんだぁ? 3歳児の何々期か? 二十歳超えてからビール飲みやがれ! グレンラガンは今日見る! アンタは水を飲む! それ以外必要なことがあるか?」
「おぉ、急に殴ってきそうだ。怖ぇな」
「今日20時ウチで」
「分かった。カレーもう一口くれ」
「はい、あーん」
つぼ浦は大人しく口を開けて、力二のスプーンを受け入れた。照れも恥じらいもない、慣れきった動作であった。
「ウマイ」
「警察署にキッチンカー来てたんですよ。つぼ浦さん居ませんでしたっけ」
「さっきまで死んでたからな。病院に火炎瓶投げたぜ」
「はい? 意味がわからない」
「ドリーさんの指示だ」
「テロリストやーん。俺が付き合いたくない理由はそういう所ですね」
「バイオレンスΩとテロリストαって仮面ライダーにいなかったか?」
「種無しαの間違いだろ」
「あ゛ーーーッ!?」
つぼ浦が大声を出した。図星を突かれたのだ。それも物凄く痛い図星だった。一瞬で顔を真っ赤にし、力二のカレーをひったくる。
「言っちまったなァ! 吐いた言葉は取り消せねえぜ! 心のテロ罪だ! 喰らえやオラァー!」
「テメェーッ!」
本当にテロ罪の切符が送られてきた。力二はつぼ浦を蹴り飛ばした。
無駄にデカいつぼ浦はビクともせず、力二のカレーを勝手に食べ始める。
「ワハハハハ! お小遣いアリガトヨォ!」
「俺はキレたぜつぼ浦さん……! 同じ罪状では切れないからな、あとは言い放題だ。やーい種無し! ED! フェロモンも出なくなったオシマイα〜!」
「ギャーーー! うるせーーー!! 知らねぇーーーー!! アァーーーーーーーー↑(トム)」
「このご時世にαで童貞ってマ? 最後に出したのいつですか〜。役に立たないならパイプカットしてさっさとΩの仲間入りしろよ。まだαのプライド残ってんすか?」
「踊ってない夜を知らない♪ 踊ってない夜が気に入らないよぉ〜〜〜〜♪(爆音)」
『黄金の風が吹くのを、あっ、待って、ア゜ーーーーーーーーーーー!!!』
無線と同時に、伊藤ぺいんの死亡通知が鳴った。つぼ浦と力二は顔を見合わせ、噴き出した。
3
「カニくんカニくんカニくんカニくん!」
「なんだぁ朝から騒々しいなぁ!」
「見てくれ!」
つぼ浦はパジャマを勢いよく下ろした。赤色のパンツは一部が極端に持ち上がっている。力二の手のひらよりも大きい。「うお、グロ」と寝起きのストレートな感想が漏れた。
「勃ってるよな!?」
「何ですか、短小オスΩへの嫌がらせっすか?」
「5年ぶりだ! 見間違いじゃねえよなコレ」
「えっ、あっそっか」
つぼ浦はαのくせにEDだった。精力盛んな18から射精できなくなり、ロスサントスに来る頃には勃起すら忘れていた。それがなんとマア、御立派な姿になっている。
「え〜つぼ浦さんそんな。おめでとうでいいのコレ?」
「ありがとう! ありがとう!」
「いいんだ」
「やっとだぜ。ということでトイレ借りるぜ。掃除もするぜ」
「魔理沙みたいな喋り方しやがる」
「おめでとう! ありがとう! ヤッタ〜! うお〜!」
つぼ浦は大喜びでトイレに行った。ガニ股の後ろ姿を見送り、力二は枕に頭を預ける。
つぼ浦が治ったら、この友情はどうなるのだろうか。
αは強欲で、乱暴で、セックスばかりを押し付けてくる。「姉貴ともヤッてんだろ」がお決まりの罵倒文句だった。Ωから全てを奪って、オナホ以上の価値を見出さない。ただ歩いていただけで首を絞められたことがある。とても酷い目に遭って、「はは、男のΩなのに?」と笑われたことがある。
つぼ浦がαとしての機能を回復したら。力二を意地の悪い目で見るのだろうか。肉の穴として、喋る価値を見失うのだろうか。αらしい筋張った手で、力二の全てを奪うのだろうか。
目を閉じても眠気は訪れなかった。かといって起きる気にもなれない。現実が怖い。力二は枕を抱きしめて、布団の中で小さく丸まった。
15分後。
「出なかった……」
「ダハハハハハハハハハ!」
シワシワのつぼ浦に力二は悪魔みたいな声で笑った。笑いすぎて、一粒涙がこぼれた。
「チクショウ……。好きに笑いやがれ。俺は役立たずだ……」
「やっぱ切りましょうよつぼ浦さん。バッサリパイプカット!」
「イヤだ! 痛いだろ絶対」
「でも吹っ切れますよ。それに俺とお揃い」
「何がだ?」
「黄色マンコ呼びされます」
「最低だ!」
「マジで最悪っすよ。ほら、可愛い後輩が酷いあだ名つけられてるんですから、一緒の扱いされてくださいよ」
「人を引きずり落とすんじゃねえ。上がってこい。ほら、また市議会に相談しようぜ」
「つぼ浦さんのくせに真っ当な意見を言いやがる」
「それに、カニくんのためにもまだ諦められねえぜ」
つぼ浦は両手を広げて力二の隣に寝転んだ。
「俺が治ったら、αへの偏見もマシになるだろ。カニくん良い奴だからな、友達の幅が減るのは勿体ねえ」
「……余計な気遣いっすよ」
「去勢より前向きだろ」
「うるさ」
「おら、起きろよ。グレンラガン見ようぜ、1話から一気見だ。オープニングも飛ばさないガチのやつだぜ」
「……朝メシは?」
「しょうがねぇな。パンケーキ焼いてやる」
つぼ浦はαのくせにオタク趣味だ。男らしくない料理も作るし、Ωを見下さない。暴れん坊だが優しくて、自分の大きさがよく分かっていない大型犬に似ている。
「バースなんか無かったらな」
αとして用をなさないのに、つぼ浦の体からはまだ薄いフェロモンの香りがした。未練がましいバニラの匂いだ。αに戻りたがるつぼ浦も、どうしたってΩを捨てられない自分自身も、力二は嫌いだった。
ただ人として友達になりたかった。
4
「つぼ浦さん」
「どうした」
「くくく、つぼ浦さーん」
「ご機嫌だな」
力二はつぼ浦を抱えて、顎をゴシゴシこすりつけた。発情期だった。男殺しの美貌は赤く染まっている。セクシーにつぼ浦の前髪を指に絡め、意味ありげにため息をつき。
正気に戻って「死ねーーーっ!」と叫んだ。
「死ね! 滅びろ本能! クソΩ!」
「毎月大変そうだな」
「すいませんすいませんすいません……」
つぼ浦はテレビを見たまま力二の口にアイスを突っ込んだ。ハーゲンダッツのソルティハニーバターだ。甘いんだか塩っぱいんだか、兎に角お高い味に力二が静かになる。
「日本も治安悪ぃな。闇バイトだってよ。こっちじゃ半グレ扱いか? ろくでもねぇ」
「……」
「カニくん、そのうち里帰りしようぜ。それで世直し行脚膝栗毛だ。箱根行きてぇな。熱海もいいな」
「……」
「うわ、デケえフグ」
「……つぼ浦さん、つぼ浦さん」
「どうした?」
「くくく」
「ご機嫌だな」
力二の目がまた甘く蕩けていく。発情期の力二はこうやって、正気と恋人モードを行ったり来たりしていた。脳みそが目茶苦茶にやられていて、唇を噛み締めながらメス落ちしている。それでも、つぼ浦のおかげで以前より随分楽だった。絶対安全、性欲死滅済みαがいるのだ。力二は安心してデロデロめろめろつぼ浦にマーキングをしていた。
涙目なのはむしろつぼ浦であった。例えるなら、土を食べている横で力二が大盛りステーキに悲鳴を上げている。もう5年ほど、つぼ浦には縁がない光景だった。キスされようが触られようが舐められようが勃たない。薬を飲んでもダメ、運動してもダメ、寝ても覚めてもダメ。何をやってもダメなものだから、力二の案に乗ってやろうかとすら思う。2人で女の子になるのだ。縋るαがいなくなって、力二の発情期は酷くなるだろうが……。
「んふふ、うあー……」
「ま、大丈夫だ。何があっても友達だからな」
αだろうがΩだろうが、つぼ浦と力二は友達だった。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
625
371