ハンクは宴会場の端に静かに佇む。本来なら王族の座る上段の近くにいる予定だったが、今は息子が隣に座るベンジャミンと歓談している。壁に背を預けたハンクはもう終わりに近い宴の様子を見ていた。ドイルの隣にはチェスター王国国王が座り笑顔で娘のマイラと話している。
特段気になる会話もしていない。唇を読んでも収穫はない。ハンクはベンジャミンに目を向ける。ハンクの黒い大きな体は目立つ。遠くに座る者達もその存在には気づいているはず。ハンクが見つめていると、視線を窓外に向けたベンジャミンの口許が動く。
『僕は知らなかった』
ゾルダークへの侵入には関わっていないと言いたいのか。ベンジャミンは狡猾だ。ガブリエルが親しい仲だと言っても知らぬふりをするだろう。二十年以上の付き合いのガブリエルの性質など把握しているはず。隣国の王としては使えなかったが王妃の力が消えた今なら手中で転がして上手く使おうとしていたかもしれん。離したほうが安全だな。ガブリエルは俺と空色の関係を漏らす。ベンジャミンに知られても構わんが広められると面倒だ。
俺は唇を『偽者は殺した』と動かした。ベンジャミンの肩が僅かに揺れたのを確認する。信じないだろうな。だが問えんよな。そこで笑い酒を呑んでいるのが当分本物だ。ガブリエルとの関わりは遮断する。真相を聞きたくても聞けないな。
ドイルの言葉で宴は終わり、酒と食事を楽しんだ貴族達が移動を始める。扉に近い下位貴族が会場から退室していく。俺はその場から消え、目的の客室に身を潜める。
半時近くをその部屋で過ごし客人を待つと扉から喧騒が聞こえてくる。
「疲れたんだ。一人になりたい」
扉の向こうで男が周りに命じて部屋から退室させている。開いた扉からガブリエルの偽者が入る。俺には気づいているだろうが目線も向けず歩きながら問われる。
「で?ガブは?殺したのか」
ソファに座り待っていた俺は答えてやる。
「偽者は殺した」
「おいおい、間違えんなよ。てめえにはばれるかも知れねえってガブは言ってたぞ」
偽者は寝台に横たわり俺を睨む。
「奴は戻らん。王をやれ」
「やだね、めんどくせえ。疲れんだよ」
「用が済んだら本物は返してやる」
「生きてんのかよ。用ってなんだ」
「聞くな、周りに知られるなよ」
「俺は逃げるぞ」
こいつも王には興味がないか。
「逃げてみろ。ガブリエルの左頬に同じ傷をつけてやる」
「やめろ、これ痛いんだぞ。何で傷つけたと思う?熊の爪だぞ」
ガブリエルの頬の傷は山籠りしたときに熊と戦ってできた傷だ。止血だけで放っていたから治りが悪く痕も醜い。それを自慢気に話す神経はわからん。
「嫌だろ」
「嫌だよ。だからここでは止めとけって言ったんだ」
「いつからやってる」
「二十年はやってるな、お前よく気づいたな。直ぐに消えたろ」
まるで双子のように似ているが、頬の傷に目がいくから誤魔化せている。
「歩き方が違う」
偽者は起き上がり寝台に座る。
「嘘だろ!?真似たぜ?」
それだけではないがな。こいつには話さん。二十年だと?よく知られずにいたものだな。
「マイラはどちらの子だ?」
「ははっガブは俺のだと言ってるよ。王太子も俺の子だとさ」
これが王ではチェスターは滅ぶかもしれんな。
「ベンジャミンとは話すのか?」
「ガブは知り合いらしいな。俺は知らん」
ベンジャミンは両方と仲がいいわけではないのか。
「ベンジャミンの言葉は信じるな。笑っておけ」
「俺は奴は好きじゃないね、腹が黒そうだ」
ガブリエルより頭が回るか。
「なぁ王妃を戻していいか?あの女は使えるんだよ、政治は面倒だ」
「王妃は知っているのか」
「知らないだろ。体の傷も同じ場所につけたんだぞ。寝室は暗いしな」
「王妃を戻したらガブリエルが嫌がるだろ」
「あの女は口うるさいからな。この顔が怖いだなんだと、それでも抱くけどな。俺は気にせず楽しむ」
蟄居した王妃か、両方と閨を共にして本当に気づいていないのか。
「抱きかたで見抜けるだろ」
「抱きかたも真似してんだよ。ガブが俺に寄せるときもある。薬盛ってたまに二人で抱くしな」
なるほどな。
「王妃の親がうるさかったんだよ。ガブの頭を知ってたからな。欲を出しすぎた」
こいつのほうが周りを見ているな、だが品がない。
「王妃を側に戻す。ガブリエルが戻るまで数年待て」
「数年!?曖昧だな。ガブは承知してんのか」
「ああ、嬉しそうだ」
「だろうな!王の仕事が増えて、きれそうだった」
偽者は仰向けに横たわる。
「あーあ、何が冒険だよ、王のくせによ」
王妃の生家の失態は中央の上の者しか知らんだろ。膿は出しきり王妃の父親は毒を飲んだ。ガブリエルの阿呆を知ればまた欲を出す者が現れる。シャルマイノスが口添えすれば戻せるだろう。
「王妃を手懐けろよ」
「なんで俺が!…尻でも叩くか」
方法はなんでもいい。
「ガブリエルに用があるときはゾルダークへ使者を寄越せ」
「用なんてねえよ。ちゃんと返せよ」
「ああ、大人しく過ごせ」
婚姻式が終われば偽者はチェスターに戻る。ドイルに書状を書かせて持たせるか。
「書状を持って帰れ。式の後に渡す」
偽者の滞在する客室から使用人が使う通路に出る。ガブリエルが見つけた隠し通路は使えるな。ドイルの執務室へそのまま忍んでもいいが隠し通路は知られたくないだろう。警戒されても面倒だ。
宴が終わり半時は経つ。現れた俺が姿を消していれば意味がわからず苛立っているだろうな。王宮の中にあるドイルの執務室へ向かうと俺の存在に気づいた近衛が足早に動き出す。執務室の扉が乱暴に開きドイルが飛び出してきた。
「ハンク!お前…どこにいたんだよ」
動揺するドイルを通り過ぎ執務室へと入る。棚に置いてある水差しから直接水を飲んでいく。扉が閉まる音と足音が聞こえ振り向くとソファに座り俺を待つドイルがいた。
「で?どうなんだ。お前どこにいた?」
ドイルの問いに立ったまま答える。
「奴は邸で食事をしていた」
「じゃあここにいるのが偽者か?」
「ああ」
「殺したのか?」
「あれのいる邸に侵入したのは許せんだろ」
ドイルの顔色が悪くなる。さすがに国王を始末したと聞いて困ったか。
ドイルの対面に座り背凭れに身を預ける。
「仕置きはするが殺してない。ここにいるのは弟だ」
明らかに安心したな。この婚姻が白紙になったら何を言われるかわからんからな。
「弟なんていたか?」
「腹違いで逃げていたらしい」
あの性格では王宮の暮らしなど合わなかったろうな。ましてや妃の腹の出ではなく使用人辺りだろうが王族特有の銀髪は目立つからな。
「お前の留守を狙うなんて…何が目的だ」
「嵌められた証拠を探していたらしい。アンダルの件はシャルマイノスが唆したと考えたんだろ」
ドイルは目を見開き俺を見る。
「ハンク…お前が?」
「やると思うか?」
俺はそんなに暇ではない。あんなことは暇な人間が思い付くことだ。
ドイルは俺を見つめ真実を探っている。
「やるわけないよな。興味なんてないだろ」
「ああ」
年寄も遊び半分だったろうよ。
「宴の終わりにはいただろ?半時は経ってる。何してた?」
「偽者に会ってた。腹の中を聞くためにな」
「それで?」
「ガブリエルに付き合わされているようだ、時折交代して遊んでいるらしい。ドイル、蟄居した王妃をガブリエルの隣に戻す。恩赦を与えろ」
不満か?眉間に皺が寄っているな。
「なんでだよ、何と交換したんだよ」
ガブリエルとは違うな。ちゃんと考えている。
「ガブリエルは阿呆だ。欲を出した奴が取り入ったら面倒だろ。この国との関係に異論を出すぞ。ガブリエルが王妃を大人しくさせる」
「お前は何を貰うんだよ!」
気になるか。今の話では俺に得がない。あれのいる邸に俺の留守に侵入して許すなど解せんよな。ドイルの碧眼を見つめる。
「聞いてくれるな」
「ハンク…何を考えてる、教えてくれなきゃ書状は出さないぞ」
強気だなドイル。だがゾルダークの私兵が強くなるのは気に入らんだろ。嫌な顔をするだろうからな。教えたくはない。
「俺は年寄以上の毒を与えられた」
唐突に違う話をし出した俺にドイルは怪訝な顔をする。
「お前の予想より早く逝くだろう。だがあれに出会った。まだ生きねばならん。ガブリエルには生き永らえる薬を探すよう頼んだ」
俺があれを強く想っているのをドイルは知っている。俺が生に執着を始めても納得するだろ。
「そうか、チェスターには海があるもんな。いろんな物が流れてくるよな」
そんな薬は存在しない。年寄は心臓だが俺はどこから壊れるかわからん。そんなものに薬などない。元々毒に侵され過ぎてる。得たいの知れない物など、どう作用するかわからんから研究せねば飲めんがな。空色のこととなると俺はドイルの知る俺ではなくなる。俺らしくなくても納得するだろ。
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