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ア・ラ・モード杯最終日。
約束通りに私たちはヒバナの作ったスイーツを食べることになった。ショコラとフィナンシアさんは大会終了の式典とパーティの準備があるらしく、不在だ。
そうして私たちの前に1つずつ並べられているのは、パンのような生地にクリームとフルーツがトッピングされたケーキだった。
「奇を衒ったものより、シンプルなものがいいと思ったのよ」
「本当は凝ったものを作ろうとして、失敗を重ねた結果だけど……」
ピキッという音が部屋に鳴り響いたような気がした。
シズクは誰にも聞こえないように呟いたつもりなのかもしれないが、私に聞こえるということは隣にいるヒバナにも当然聞こえていたのだろう。
恨めしそうに名前を呼んでくるヒバナにシズクが慌てて謝っている。
――さて、早速食べてみようかな。
見た目はシンプルだけど悪くないし、味にも期待ができる。
私たちが食べようとしているのを見るとヒバナはさっと姿勢を正し、ちらちらと様子を窺ってくる。
そうして私たち食事組は全員で顔を見合わせて一斉にケーキを口にした。
「……どう? お願い、正直に言って」
不安げだが、覚悟を決めたかのようにそう懇願するヒバナ。
彼女の覚悟を無下にするわけにもいかないので、私は正直に答えた。
「うーん、微妙」
「昨日までに食べた甘味のほうがおいしかったです」
決して不味いとまでは行かないのだが、美味しいとも言えない出来だった。生地は変に硬いし、クリームは水っぽい。それに味も薄い。
全員の正直な感想をヒバナは頷きながら真摯に受け止めている。
唯一、アンヤは何も言わないがケーキを置いて取り出したチョコレートを食べ始めているのが答えだった。
――でも、ね。
「ここまでちゃんとした形にできたのはすごいって私は思う」
「……やめて。下手な慰めなんていらない」
「違うよ。慰めじゃなくて本当のことだよ」
ヒバナが毎日頑張っていたことは知っている。
最初は本当に酷いものだったのに、こうやって食べるまで分からないくらい綺麗に作れるようになっている。
実際はあまり美味しいとは言えないものだけど、これは大きな進歩だ。
見た目や食感はともかく、味は既にこの世界で作る私の料理以上だろう。
「頑張ったね、ヒバナ」
「うん、ひーちゃんはすごく頑張ってたよ」
ヒバナは瞠目する。そして小刻みに身体を震わせたと思うと、シズクの首に顔を埋めてしまった。
そんな彼女の頭をシズクが愛おしそうに撫でている。
「これで終わりじゃないから……っ。もっと頑張って……みんなを唸らせるの……!」
くぐもった彼女の声が聞こえてきた。これからもヒバナは料理を頑張るらしい。
――あ、そういえば。
「ねぇ、大会は大丈夫なの……?」
「……あ」
どうやら、スイーツの完成を目指すあまり一般の人に食べてもらうのを忘れていたらしい。
あと数十分で投票締め切りの時間だし、もう間に合わないだろう。
――まあ、参加したという思い出が残ったということで。
少なくとも私はヒバナの頑張りも考慮して彼女のスイーツに1票を入れるつもりだから、0票ということはない。
◇
「ねえねえ、すごい数の人だよ!」
「最終日だからかな?」
王都の中には人が溢れかえっていた。
投票は締め切られ、結果が出るまであと数時間あるので人混みを避けつつ適当に歩いている。
セレモニーとパーティがあるとはいえ、私たちが出席することはない。今日は一日中ショコラも忙しそうだし、彼女と会えるのは明日になるだろう。
「きゃっ」
そんな時だった。後ろからドサッという物音と共に少女の悲鳴が聞こえた。
後ろを振り返ってみると、アンヤの傍で女の子が尻もちをついていた。どうやら人混みから出てきたところでアンヤとぶつかってしまったらしい。
女の子とアンヤの視線が交差する。
すると女の子が泣きそうな表情を浮かべたので、私は慌てて女の子へと駆け寄った。
「痛かったね、もう大丈夫だよ」
そう声を掛けたものの女の子は首を横に振り、アンヤを指さした。
私は近くに佇むアンヤを見て――なるほど、これは確かに威圧感を感じてしまうかもしれないと苦笑した。
感情を見せない目で見下ろされていると、小さな子にはただただ怖く映ってしまうのかもしれないな。
頑張って、なんとか女の子を泣き止ませたタイミングでその子の両親が人混みから抜けてきた。
そうしてこの子が泣いていたのは最後までバレることなく別れることができたのだった。
「アンヤ、笑顔笑顔」
私はアンヤの頬に両手の人差し指を当てると彼女の口角を押し上げた。
為すがままにされている少女の顔が可笑しな感じになり、クスッと笑えてきてしまう。
いつまでも変顔を晒させるのも可愛そうなので、両手で彼女の柔らかい頬をグニグニと揉みしだく方向に変える。
――ちょっと楽しくなってきたかも。
「おい、なにやってんだよ。スライムマスター殿」
「小さな女の子を虐める変態にでもなっちゃったのかしら」
聞き覚えのある声だった。
そして振り返ると想像通りの人物が目の前に立っていた。
菫色の髪をポニーテールにした小さな女の子――に見える女性と眼鏡を掛けた赤髪の知的な女性。
「ベル! それにロージーも!」
キスヴァス共和国で一緒に馬車の護衛依頼をこなし、剣での戦い方まで教えてくれた元騎士の冒険者ペアだった。
彼女たちはどうやら祭りを満喫しているようで、手に食べかけのクレープを持っていた。
「ふぃふぁふぃふふぃふぁふぁ」
「食べてる時に喋ろうとしちゃったのね……もうベルったら、そういうところも可愛すぎるわ!」
話そうとしたタイミングとクレープを食べようとしたタイミングが被ってしまったベルが意味の分からない言葉を発する。
その発言から、どうやらロージーも変わらないみたいで安心した。
クレープを呑み込んだ彼女は再度口を開く。
「久しぶりだな、ユウヒ」
「もう、すっかり私たちよりも有名になっちゃって」
2人はどうやらスライムマスターの噂を知っているらしい。
そういえば、先程呼び掛けられた時もそう呼ばれていた気がする。
「しっかしまあ、見覚えのないヤツが何人もいんのな」
「その子はたしか……コウカだったわよね。赤髪と青髪の子も当ててあげる。まん丸のスライムだった子たちでしょ。名前は…………忘れちゃったわ」
そうか。コウカが今の姿になった直後に別れたからダンゴとアンヤはもちろんだけど、ノドカのことも知らないのか。
ロージーはヒバナとシズクの名前を忘れてしまったようだし、もう一度紹介しておこう。
「うん、そうだよ。名前はヒバナとシズク。こっちで寝てるのがノドカ、風の属性を持つスライムだよ。それから……」
ダンゴとアンヤも紹介し終えると、近況報告をする流れとなった。
どうやら彼女たちはスイーツを楽しむためにこのラモード王国まで来たらしい。その前は魚が食べたいとかで別の国に行っていたし、本当に自由な人たちである。
2人は私の話をさらに詳しく聞きたがった。噂のどこまでが本当か気になっているらしい。
「そういえばお前、ショコラッタ王女の友達っていうのはマジなのか?」
ミネティーナ様や魔素鎮めの辺りは省いて、ゲオルギア連邦の話中心で大体話し終えた時、ベルが唐突にそんなことを聞いてきた。
別に隠すことでもないので私は正直に答える。
「そうだよ。ショコラとはベルたちと別れてすぐに会ったんだよね。……あれ、これって言っちゃ駄目なやつなのかな」
最初にラモード王国に流れた噂では、ショコラと私はまるで旧知の友みたいな感じで語られていた気がする。
それに追及されたらショコラが家出していたこともバレてしまうだろう。
――2人は気にしていないみたいだし別にいいか。
その後は彼女たちと少し王都をぶらつくことにした。2人共式典だけ見て、他の国に行くらしいのでそれまでの同行だ。
「これ……歌?」
ミンネ聖教団の教会の近くを通った時、僅かに歌が聞こえた気がした。
「孤児院のガキたちが練習してんだろ」
「ユウヒは今年初めてだったわね。式典では、孤児院の子供たちが合唱を披露するパートがあるのよ」
興味を惹かれた私は声の聞こえる方へと向かうことにした。決して、やることがなくて暇だったからではないのだ。
歌は教会の中ではなく教会の裏手から聞こえてくるようだった。この世界の歌はあまり聞いたことがないから、少し興味がある。
そして教会の外側を回り、裏手を覗き込むと……いた。
2人のシスターさんと十数人の子供たち。あの子たちが孤児院と子供たちだろう。
流石に練習の邪魔をしては悪いとそっと近付いていったのだが、子供たちには気付かれてしまったようだ。
「シスター・マリエル、お客様だよ」
「え? あ、貴女はユウヒ・アリアケ様!?」
子供に指摘されて振り向いた年配のシスターさんが私に気付いたので、会釈しておく。
後ろでベルとロージーが何かを言っているが、今はこのマリエルさんと話をしよう。
「すみません、練習の邪魔をしてしまったみたいで。子供たちの歌が聞こえてきたので、つい足を運んでしまいました」
畏まって、もてなそうとするマリエルに気遣う必要はないことを伝える。
「子供たちも皆、伸び伸びと歌っていますね。たくさん練習したんですか?」
「えぇ……ですが……」
急にマリエルさんの表情が暗くなると同時に、独唱パートに入って少し経った合唱も急に止まってしまった。
「やっぱりジゼルじゃないと無理だよ」
「そうだよ。シスター・アンナ、ジゼルはどうしても歌えないの?」
「ジゼルは熱だってあるの……だから、無理をさせちゃいけないのよ」
若いシスターさんが困った顔をしている。
会話の流れ的に練習が上手くいっていないというか、本来独唱パートを担当するはずだった子が体調を崩してしまったといった所だろうか。
「あのパートは毎年、ジゼルという女の子が担当しているんです。ですが、昨日の夜から体調を崩してしまって。今年は代役を立てようとしたのですが……」
誰も最後まで綺麗に歌うことができない難しいパートらしい。
本番まであと5時間もないし、準備を考慮するとあと2時間練習できるか否かだという。
式典で歌う大事な歌だ。子供たちもたくさん練習してきただろうに……。
何とかしてあげたいが、あと2時間しかないというのがネックだった。
「……ん?」
「これは……」
綺麗で澄んだ歌声。
ただのハミングのようだが、どこか聞き入ってしまうような歌が周囲に響き渡る。
騒いでいた子供たちも今では静かにその歌を聞いているようだ。
その場にいた全員が声の発生源を探ると視線がある少女に集まった。
寝癖の付いた若葉色の髪をハーフアップに纏めている少女、抱き枕を抱きしめて空の上に足を投げ出している少女――そう、ノドカである。
これがノドカの歌声。
いつも間延びした声で張りも何もない声を出すあの子がこんなに綺麗な歌を……。
私やコウカたちを含め、その場にいた誰もがそのハミングに聞き入っている。
それもやがて終わり――。
「こんな~感じ~?」
「素晴らしい! ああ、アリアケ様。どうか彼女に代役をっ!」
シスター・マリエルが興奮した様子で私に縋り付いてきたので、ノドカの判断を仰ぐために視線を彼女へと向ける。
「ん~わたくしは~いいですよ~。でも~……」
そこでノドカは人差し指を頬に当て、首を傾げた。
――なるほど。ノドカの言いたいことが分かった。
「あの、マリエルさん。少しの間だけでもいいので、ジゼルという子と話をさせてください」
ジゼルというのは12歳の少女だった。
そんな少女がベッドに臥せている。熱があるというだけあって少し頬が赤いし、呼吸もあまり楽ではなさそうだ。
「どなた……?」
綺麗な声の女の子という話だったが、今は喉の調子も良くないらしい。
あまり無理をさせるのも可哀そうだし、手短に済ませよう。
「私はユウヒ・アリアケって言います。そして、この子はノドカ。この子が今回、ジゼルちゃんの代役を任せてもらったわけだけど」
「代役……」
少女の表情が曇る。
「ジゼルちゃんは誰よりも練習しているって皆が言ってたよ。だから、そんなジゼルちゃんの気持ちを聞かないまま、代役を引き受けるなんてできないって私たちは思ったの」
それがノドカと私が懸念していたことだった。
きっと軽い気持ちで引き受けられるものでもないし、彼女にも吐き出したいものがあると思ったのだ。
だが――。
「ありがとう、お姉ちゃんたち。ジゼルはいいの、また来年があるから。でもね、皆に迷惑を掛けるのはいや。ずっと皆で練習してきたんだもん、だから……ちゃんと成功してほしいの。皆の歌、届けてほしいの。だからお願い……歌って、お姉ちゃん」
ジゼルは優しい女の子だった。皆の歌を届けてほしいとそう願った。
「まかせて~みんなに~届けるから~」
ノドカがジゼルの手をギュッと握った。
少女が瞼を閉じる。……どうやら、眠ってしまったらしい。
その寝顔を優しく見守っていたノドカは1つ頷くと立ち上がった。
「行きましょう~お姉さま~」
残された時間は少ない。
絶対に成功させるためにはノドカにも練習が必要だし、誰か1人が突出していても成功とはいえない。子供たちと息を合わせる必要があった。
まずは歌詞を覚えなければならないが、ノドカは意外にも一度見ただけで覚えてしまったらしく、早速合唱の練習へと移れた。
そうして、遂にお披露目の時が訪れる。
◇
宮殿の前には多くの人が集まっている。私たちはそれを関係者席の一角を借りて見ていた。
どうやら事情を聞いたショコラが手回ししてくれたらしく、教会側の人たちの席もすぐ近くに配置されている。
といっても子供たちは舞台裏にスタンバイしているだろうし、シスター・マリエルもその付き添い、シスター・アンナはジゼルの看病をしているからここにはいない。
今行われている国王様の挨拶の次に子供たちの合唱が披露される。
国王様の言葉も耳に入らず、ついソワソワとしてしまう。
「落ち着きなさいって」
「ゆ、ユウヒちゃんが緊張しても仕方ないよ」
たしかにその通りなんだけど、やっぱり心配だ。
「絶対にノドカ姉様はいつも通りだって。きっと主様のほうが緊張してるよ」
――うーん……いや、絶対そうだろうなぁ。
あのノドカが緊張して震えているところなんて想像ができない。きっと、緊張する子供たちに笑顔を振りまいているに違いない。
そう考えると、何だか笑えてきた。
「あっ、始まりますよ」
ずっと前を見ていたコウカが全員に注意を促す。……また緊張してきたかもしれない。
『続いてはミンネ聖教会の子供たちによる合唱です』
私の背筋が伸びる。この静寂が永遠のように感じられた。
そして、シスターや子供たちと共にノドカが姿を現す。
浮かび上がらずにちゃんと歩いて登場してくれたことにひとまずホッとする。
それにしても――。
「綺麗……」
誰かが呟いた。そう、今のノドカはとても綺麗だった。
元々の癖毛に加えて、いつも寝癖のせいで飛び跳ねている髪は綺麗にセットされ、装いも彼女に合わせた薄緑色のドレスになっていた。
それに背筋をピンと伸ばした歩き方でまるでどこかのご令嬢みたいな佇まいではないか。
全員が並び、ノドカがスッと手を胸の前あたりで組んだ。
最初はノドカの独唱から始まる。その後、すぐに子供たちが入ってくるはずだ。
そうしてノドカが息を吸い込んだ――次の瞬間、王都は彼女の歌声に包まれる。
一瞬、呼吸を忘れてしまうほどの綺麗な歌声。
そんなに1人で突出してしまっていたら、この後の子供たちがちゃんと入れるか心配だった。だが、それは杞憂でしかなかった。
――ノドカの歌が子供たちの歌も引き上げている?
ノドカが1人で突っ走っているわけでもない。
全員の歌声が上手く噛み合っていて、それはもう美しいハーモニーを奏でていた。
そして山場。ノドカの独唱パートへと入る。
「歌姫……」
私たちではない。観客席の誰かが熱のこもった声でそう呟く。
王都には心地よい風が流れていた。
――やがて歌が、終わる。
終わった後には静寂が訪れた。
だが彼女たちが礼をすると共に溢れんばかりの拍手が鳴り響く。
「すごい……これがお姉ちゃんの歌……」
女の子の声、私たちのものではない。
振り返ると、そこにはベッドで寝ているはずのジゼルがシスター・アンナに抱き上げられていた。
「ジゼルちゃん……? どうして……」
「すみません。でも、どうしてもジゼルが観に行きたいと言って……」
シスター・アンナはその熱意に負けて連れてきてしまったらしい。
「な、なんだ!?」
突然、ザワザワと会場中が騒がしくなる。
私が正面に視線を戻そうとすると、緑色が視界を埋め尽くしていた。
「んっ!?」
「お姉さま~みんな~どうでした~?」
抱き着いてきたノドカをみんなに協力してもらいながら引き剥がす。
どうやら飛んでそのまま私の元へと帰ってきてしまったらしい。そのせいで見ていた人たちが騒ぎ出したということだろう。
まったく人騒がせなお姫様である。
「お姉ちゃんの歌……皆の歌……すごかった」
「ふふ~、頑張りました~」
ノドカが胸を張る。
ジゼルは興奮冷めやらぬといった様子で力強く拳を握った。
「ジゼルももっともっと頑張る。お姉ちゃんに負けないくらいの歌を歌う」
「頑張って~。でも~無理は~駄目ですよ~?」
そう言って、ノドカは少女の頭を優しく撫でた。
この日のことが歌姫と呼ばれる少女の名と共に語られていくことになるのはまた別の話だ。