テラーノベル
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朝の光が、白く煙る廊下を薄く照らしている。
クレアが部屋の扉を開けると、足元に小さな影があった。
「ん!」
ロビンだった。口を白い布で覆われた少女が、期待に満ちた瞳でじっとクレアを見上げている。
「……おはよう、ロビンちゃん」
クレアが微笑むと、ロビンは嬉しそうに喉を小さく鳴らした。
彼女は、雀の羽を思わせる茶色のケープをぎゅっと掴み、クレアの数歩後ろを影のようにぴたりとついてくる。
クレアが足を止め、不思議そうに振り返る。するとロビンも同時に足を止め、小首を傾げた。
「……かわいい」
思わずこぼれた呟きに、廊下の向こうから明るい声が重なった。
「おっはよ〜。お、ロビンにロックオンされてるね」
スタシスだった。青と黄色の派手な髪を揺らしながら歩いてくると、肩の前へ持ってきたおさげの先を無造作にいじっている。
「これって……よくあることなんですか?」
「うん。ロビンは気に入った人の後ろをよくついてくるんだよ。警戒心が薄いっていうか、寂しがりやなんだよね」
スタシスはにこにこと笑いながら、ロビンの頭を雑に撫でた。ロビンは「ん!」ともう一度喉を鳴らし、長い袖から少しだけ覗かせた指先で、クレアの服の裾をそっと握る。
その小さな温もりに、クレアの心も少しだけ和らいだ。
食堂へ向かう途中、ガッチリとした体格の所長、ジェイドとすれ違った。
「おはよう、クレア。昨日はよく眠れたか」
「あ、おはようございます。はい、おかげさまで」
ジェイドは少し真面目な顔で立ち止まると、クレアを覗き込むようにして声を潜めた。
「アスモデウスが、お前を見ると挙動不審になってな。……何か心当たりはあるか」
「……私、何か失礼なことをしましたか?」
「いや、理由は本人しか知らんが。……嫌ってはいないはずだ。むしろ、逆だろうな」
ジェイドは腕を組み、含みのある笑みを浮かべる。
「まあ、焦らずにいけ。アスはああ見えて繊細なんだ」
ジェイドはそれだけ言い残すと、軽くクレアの肩を叩いて去っていった。その広い背中を見送りながら、クレアは「挙動不審」という言葉の意味を、ぼんやりと反芻していた。
休憩室に入ると、スタシスがテーブルに分厚いファイルを置いた。
「じゃ、せっかくだから異質たちの基本情報、予習しとく?」
クレアは頷き、彼女の隣に座った。スタシスが慣れた手つきでページをめくる。
「まず、さっきのロビン。登録名は『とりのしらせ』」
ページには、小さな雀と、茶色い髪に白いインナーカラーが覗くロビンの写真が並んでいる。
「本体は小さな雀。鳴き声がサイレンで、半径3kmに災害を強制発生させる。戦闘評価は例外処理でSS+。本気で鳴いたら一帯が消し飛ぶけど、人形なら大丈夫だよ」
スタシスは次のページをめくった。
「次、ヘイスト。登録名『敗残兵』。本体はあの仮面。装着者に殺戮を強制させる怨念の塊だけど、人格としてのヘイストは気のいいシャイな子だよ。テレポートができるから、意外と便利」
さらにめくられるページ。
「アスモデウス。『色欲の禁書』。本体は書物。読んだ者の執着を暴走させる。人格は……まあ、見ての通り。甘くて艶っぽいお姉さんだけど、照れる人間が好きだから、職員を言いなりにしたりはしない……はず」
「…あ、クレアはまだそんな感じのアスを見てないか。」
「はい。」
「次は、フォーチュン。『船と宝』。本体はボトルシップ。覗いた者の脳に旅の記憶を刻み込む。人形は……見ての通り、ボロボロでフジツボまみれ。本来のポテンシャルならS+だけど、今はやる気がないからF-判定だね」
最後にスタシスが指差したのは、対照的な二人の写真だった。
「あとは双子のトラカルとアルトリウス。『姫と騎士』。二人で一体の魂。丁寧に編み込まれた金髪に、豪華なマントとスカート。こっちの『姫』がトラカル。で、その命令を遂行するのが、銀髪に鮮やかなブルーが混じる『騎士』のアルトリウス」
「姫……なんですね」
「本人がそう決めてるからね。まあ、アスに揶揄われて騎士がよく動揺してるよ。騎士のほうは、条件次第でヘイストたちに並ぶ実力を出すね」
クレアはファイルを閉じた。
「……みんな、危険だけど。なんというか、人間らしいんですね」
「そうだね」
スタシスは頷き、立ち上がった。「だから、怖がりすぎなくていい。ちゃんと向き合えば、普通に仲良くなれるから」
その帰り際、書庫前の廊下で再びアスモデウスと鉢合わせた。
手には数冊の本を抱えている。
「あ、アス」
スタシスが声をかけると、アスモデウスは顔を上げた。
そして――クレアと目が合った瞬間、その指先が不自然に震えた。
抱えていた本が、ぱらりと床に落ちる。
「あ」
クレアは反射的に、本を拾おうと手を伸ばす。
「ッ……だ、大丈夫よ……私が……拾うから……!」
アスモデウスの声は、ひどく上ずっていた。
クレアは手を止め、顔を上げる。アスモデウスは慌てて本を掻き集めると、目を合わさないように顔をそらした。
「ご、ごめんなさいね。……手が滑っちゃっただけだから」
ぎこちない笑みを浮かべ、彼女は逃げるように足早に去っていった。
「……アス、めっちゃテンパってる。おもしろ」
スタシスがくすくすと笑う横で、クレアの胸には小さな疑問が残った。自分が何か、彼女の禁忌に触れてしまったのだろうか。
夜。
自室へ戻ると、またロビンが扉の前にちょこんと座っていた。
「ん!」
クレアを見ると、嬉しそうに立ち上がる。
「ロビンちゃん、ここで待ってたの?」
「……ピ」
ロビンはこくりと頷き、クレアの手をぎゅっと握った。クレアがその頭を撫でると、少女は幸せそうに目を細めて喉を鳴らす。
「おやすみなさい、ロビンちゃん」
部屋に入ろうとすると、ロビンが名残惜しそうに服の裾を引く。クレアがもう一度優しく微笑むと、彼女はやっと手を離し、小さく手を振った。
扉を閉め、部屋に静寂が戻る。
一方、その頃。
アスモデウスは自室の暗がりで、膝を抱えて天井を見つめていた。
「……クレアニール」
その名を、唇を噛むようにして呟く。
「似てるのよ。声も、目も……笑い方まで……」
肩を抱き、深く長い息を吐く。
脳裏に浮かぶのは、禁書の中に刻み込まれた、遠い昔の記憶。
炎の中で消えていった、白い髪の少女――⬜️⬜️。
「どうしてよ……ちょっと酷いんじゃない……?」
アスモデウスは顔を覆い、自嘲気味に微笑む。
恐怖でも、憎しみでもない。ただ、上っ面で塗りつぶして凍りついていたはずの感情が、クレアの顔を見るたびに激しく揺り動かされる。
「……また、こんな気持ちになるなんて」
彼女は小さく呟き、ゆっくりと重い瞼を閉じた。その瞳の奥には、消えない炎と、白い髪の面影がいつまでも揺れていた。
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