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 ジークフリート殿下は、病死した。

 そのはずだ。

 なのに、なぜだろう。


「私の復讐に協力しろ、シルヴィア」


 いま私の目の前には、生前と変わらず見目麗しいジークフリート殿下がいらっしゃる。

 ただし、お召し物の上からでもわかるほど均整の取れた体躯はうっすら半透明で、そのスラリと長いおみ足は、つま先すらもカーペットに触れていない。


 つまり──殿下は幽体として、そこに浮遊しているのだ。


 ……いや、なんだ、それ。

 にわかには信じがたい光景、すぎる。

 さすがに血の気が引くのを感じながら、私は震える唇を開き──答えを返した。



 遡ること四半刻前。

 床拭きをしていた私の手を突然踏みつけ、フィオナ嬢は横柄に言い放った。


「わたくしの代わりにジークフリート殿下のお部屋を掃除なさい、下民」


 彼女はあの日以来、私をいたく目の敵にしている。

 日頃からの暴力的な振る舞いはもちろん、他の使用人たちに根も葉もない醜聞を吹聴しまくり、ご丁寧に私への嫌がらせまで教唆している始末だ。

 もともと疎まれ孤立していたから、さほど失うものはないとはいえ、精神的に消耗する。


「なぜです? 相応の理由を聞かせていただかなければ、担当を代わることはできません」

「あそこにいると悪寒がするのよ……! きっとジークフリート殿下の怨念だわ! おぞましい場所には悍ましい下民がお似合いでしょうっ!!」


 ただ、王妃殿下に突き落とされかけたこと自体はかなり効いたらしい。

 フィオナ嬢は手のひらを返したようにジークフリート殿下を見下し、ラインハルト殿下を持て囃すようになった。

 それはそれで故人に無礼が過ぎるが、まあ英断だろう。

 この王宮殿で生きていくには、王妃殿下に目を付けられないことが最重要事項なのだ。


「わかりました。では、代わりにこの持ち場をお願いします」

「はあ? 下民に指図される覚えはないわ。ここの掃除を済ませてから行きなさい」


 ……それでは私は、昼休憩も取れないのですが。

 と、食い下がったところで、時間の無駄であることは明白だ。

 私はため息を堪えつつ、「わかりました」と再度了承した。



 ジークフリート殿下がお亡くなりになって、早1週間だ。

 数日間に及ぶラインハルト殿下の生誕パーティーが終わった、翌日の朝というタイミングだった。

 突然すぎるご逝去に使用人の誰もが呆気に取られていたが、死因は病死と王室お抱えの侍医が診断し、ご葬儀も速やかに執り行われ、エデルブルク王国の王子は17歳になったばかりのラインハルト殿下、ただひとりとなった。


 お喋り好きなはずの使用人の誰もが、喉奥に声を潜ませ、口をつぐみ続けている。

 曰く、ジークフリート殿下の死は──何者かによる陰謀ではないか、と。


「……本当に寒いな」


 ジークフリート殿下のお部屋に足を踏み入れた瞬間、体感温度がぐっと下がるのを感じた。

 主がずっと不在なせいだろうか。

 それでも、定期的に掃除しないと埃は溜まり続ける。


 王室のお部屋はとても広く、寝所も分かれており、本来なら数人がかりで掃除に取り掛かるものだ。

 ところが、まるで手付かずの状態で放置されている。

 フィオナ嬢の他にも担当はいるはずなのに、もう昼休憩に行ってしまったのだろうか。

 ……そう思っておこう。


「──シルヴィア」


 仕方なくひとりで取り組もうと、奥の寝所へ入ったときだった。

 すぐ近くから、私を呼ぶ男性の声が聴こえた。

 呼ぶ、というよりは、ふと呟いたような声だったが。


 私の名前を口にする男性なんて、この王宮殿には、彼しかいない。

 週末の深夜に図書館が開放されていることを教えてくれた、ある侯爵閣下だ。

 もっとも、ジークフリート殿下が亡くなられて以来、真夜中の図書館はずっと固く施錠されている。


「はい」


 反射的に返事し、寝所から背後を振り返った。

 しかし、そこに侯爵閣下の姿はない──どころか、誰もいない。


「……聴こえて、いるのか?」


 再び、声がした。

 でも、おかしい。

 私以外に誰もいないはずの、寝所から聴こえている気がする。

 しかも、この声は──。

 思考が追いつかないまま、広い室内を見渡した。

 そして、息を呑む。


「ジークフリート、殿下」


 私の眼前まで降りてきて、そのままふわふわと浮いているジークフリート殿下。

 我が目を疑った。


「私のことが視えるのか」


 半透明の涼やかな瞳に、じっと、見つめられる。


「……はい」


 この世にもう存在しないはずの、王子殿下と。

 たしかに目が合っている。


「私が言うのもなんだが、驚かないのか」

「こ、この上なく驚いておりますが」

「表情が変わらなさすぎてわからん」

「よく言われます……」


 しかもふつうに会話できてしまっている。

 殿下は天使か妖精にでもなったのだろうか。

 この人並み外れたご容姿だ、なんか、神に特別に見初められたとかで……、あり得なくはないだろう、たぶん。


「私は死んだらしいな。死因はどう公表されている」

「ご病気で亡くなられたと、お医者様が」


 亡くなったご本人に死因を話しているこの状況があまりにも奇妙で、一周まわってだんだん冷静になってくる。


「それは真っ赤な嘘だ。私は、暗殺された」


 ……前言撤回だ。

 頭の片隅で可能性だけは認めていたとはいえ、いざ断言されると、ひどく動揺した。

 しかし、当の殿下は終始落ち着いている。


「就寝前に飲んだ茶に致死量の毒でも仕込まれていたのか、意識が遠のいて、気がつくとこの状態だった。いまの私はさしずめ幽霊のような存在なのだろう。人や物には触れられず、寝所からも出られない。ずっと誰にも認識されず途方に暮れていたのだが、……丁度いい」

「丁度いい、とは」

「私の代わりに、お前が犯人を見つけだし殺すのだ。私の復讐に協力しろ、シルヴィア」

「申し訳ございません、他を当たってください。荷が重すぎます」


 当然のように告げられた、物騒かつ無謀極まりない復讐内容にさすがに血の気が引いて、即答で断った。


「私を視る者はお前の他にいない」


 しかしジークフリート殿下の態度は揺るがない。


「そもそも、なぜお前は私が視えるのだ。魔女の血を引くからか?」

「……信じて、くださっていたのですか」

「なんだ? あれは作り話だったのか」

「いえ……。完全ノンフィクションですが」


 母親が稀代の魔術師で、私は上級魔術の実験に利用された娘という、なんとも荒唐無稽に思われそうな話だが、真実だ。

 それでも、単なる使用人の身の上話など、王室にとっては記憶に留めておく価値もないはずなのに。

 しかも殿下は──あの夜たった一度名乗っただけの私の名を、本当に憶えていた。


「魔女の血を引くからというよりは、魔術の実験台になった影響かもしれません。いわゆる霊感は強いほうです。──ですが、」


 ……実は、殿下の姿を目にしてからずっと、引っかかっていることがある。

 言葉にしようとしたが、思い直して口を噤んだ。


「なんだ」

「いえ。……ひとまず、お部屋を掃除いたします。そのために参りましたので」

「待て、いま明らかになにか言いかけていただろう。話せ」

「根拠が揃っていないので、迂闊にお話しできません」

「ついさっき迂闊に口を滑らせようとしただろ。中途半端に言いかけてやめられると余計に気になるではないか」


 掃除用具を手に歩きだした私のうしろを、ジークフリート殿下が不服そうにぼやきながらふよふよとついてくる。

 崇高なる王室相手に不敬、かつ不謹慎であることは承知で、少しお可愛らしく感じてしまった。

 無視するわけにもいかず、立ち止まって振り返る。


「それではいくつか、お訊きしてよろしいでしょうか」

「なんだ」

「ジークフリート殿下が最後に意識を失われた場所は、ベッドの上ですか?」

「そうだ」

「そのとき、なにか異変はございませんでしたか。たとえば、普段はしない香りがしたなど」

「……ああ。たまにラインハルトからする、香のような匂いを感じた。だから、私が不在の間にラインハルトが寝所に入り込んだのだろうと」


 お香のような匂い。

 それはかなり有力な情報だ。

 そして予想はしていたが……やはり弟君のラインハルト殿下は、容疑者のひとりなのか。


「わかりました。ベッドを少々確認いたします」


 掃除用具を置き、天蓋付きの大きなベッドを見回した。

 私の推測が間違っていなければ、なにかしらの証拠が残っているはずだ。

 ベッドの周辺を入念に見て歩き回る私を、殿下は不思議そうにしつつ、なにも言わずふよふよ後を追ってくる。

 ……くっ……。

 だめだ、やっぱりちょっと可愛い、雛みたいで。


 胸の内に生じた雑念を振り払い、床に膝をついた。

 探るように絨毯を一撫でし──ふと違和感のある感触に、気づく。


「さっきから、なにをしているのだ?」


 絨毯に、溶け固まった小さなろうの塊が落ちている。

 それも王宮殿内で扱っている蜜蝋ではなく、一般的に流通している獣脂タイプの蝋燭ろうそくのものだ。

 顔を上げ、ジークフリート殿下を仰いだ。


「ジークフリート殿下、蜜蝋の香りはお嫌いですか?」

「? そんなことはない。むしろ蝋燭は蜜蝋しか使わない」


 ラインハルト殿下も贅沢品がお好きだから、一般的な蝋燭など使わないはず。

 であれば、この痕跡があるのはおかしい。

 ラインハルト殿下の他にも、この寝所に忍び込んだ人間がいるということだ。

 疑念が強まり、ベッドの下を覗き込んだり、シーツを剥がしたりしてみるが、目当ての手がかりは見つからない。


「なにか探しているのか」


 自身の寝床を荒らされているというのに、ジークフリート殿下は特に咎める気配もなく、かたわらで見守っている。


「はい。ベッドを移動させてみます」

「ひとりでは不可能だろう」

「こう見えて怪力なので。よっと」


 ひょいと大きなベッドを持ち上げ、慎重に絨毯の外へ移した。

 ジークフリート殿下が呆気に取られた様子で、ぱちぱちと目を瞬かせる。

 ……なんてお可愛い表情だ。


「どんな魔術だ、それは」

「さすが、ご明察です。私はその昔、母から怪力になる魔術をかけられたのです」

「なんでもありだな」


 ジークフリート殿下の呆れ返った声を聞きながら、絨毯をぺろんと捲りあげた。

 そして──やっと見つける。


「これは……、なんだ?」


 露わになった床には、焦げ付いたような大きな魔法陣の跡があった。

 その見覚えのある禍々しい図様に、ドクン、と心臓が強く反応する。


「……黒魔術が、行われた痕跡でございます」


 10年前まではありふれた日常の一部で、この10年間、出会いたくても出会えなかった──魔術師の、手がかりだ。

 誰の仕業かは、わからない。

 目的も不明のまま。

 ただ、これで、はっきりした。


「ジークフリート殿下。やはり貴方は、どこかの魔術師が行った黒魔術によって、お身体から魂を引き抜かれた状態なのでしょう」


 鼓動が逸るのを感じながら、確信を持って告げた。


「……どういうことだ?」


 形のいい眉を顰めた殿下を、真剣に見つめる。


「つまり殿下は──厳密にはまだ、死んでいないということです」

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