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窓の外、夜の街に瞬く光が後ろへと流れていく。
タクシーの後部座席という狭い空間。
隣りに居る三崎君との近い距離に心がソワソワと落ち着かない。
こんな気持ちになってはいけないのに、私は気づいてしまった。
三崎君に惹かれているのだと。
カーブに差し掛かり車体が揺れる。
遠心力で体は傾き、肩が触れた。
「ごめんなさい……」
さっきまで普通に話せていたのに、 変に意識してしまって上手く言葉が出て来ない。火照った顔を見られないようにと両手で隠した。
「具合悪い? 支えるから寄り掛かっていいよ」
お酒に酔っているのだろうと、心配した三崎君の腕が私の肩に周り、そっと引き寄せられた。
途端に心臓が早く動き出し、熱くなった血液が体中を駆け巡る。
「ごめんなさい。少しだけ寄り掛からせて」
「ん、肩の力を抜いて楽にして」
「ありがとう」
三崎君から漂う香水のラストノートが、目を閉じた私を包み込む。
ずるい私は、具合の悪い振りをして、三崎君の優しさに甘えている。
自分が既婚者である以上、この先に進んだら不倫になってしまう。
それは、三崎君が今まで努力して積み上げて来た社会的地位を脅かす結果になるかもしれない。
三崎君との未来を望むなら、刹那的に求めてはいけないと、心に警笛が鳴り響く。
「三崎君……」
それなのに耳元で悪魔の囁きが聴こえる
里美の家に泊まる予定だったのに、変更になったのを私は健治に伝えていない……。
一歩先へ踏み出したい気持ちと、それを止める良心が心の中でせめぎ合う。
うつむいた視線の先には、左手薬指に結婚指輪が鈍く光っていた。
それを目にした瞬間、浮ついていた気持ちがスッと冷え、「離婚」という二文字が頭の中にチラつく。
自分の置かれた状況が辛いからといって、三崎君に甘えすぎている。
私は、モゾリと身を起こした。
「肩貸してもらっちゃって重かったでしょう。ありがとう」
「気持ち悪くない?」
「三崎君のおかげで楽になったの。もう、大丈夫」
おどけて言うと、三崎君は心配そうに眉をさげた。
「それなら良かった。でも無理したらダメだよ」
私は、右手を肩の高さに上げ、宣誓よろしく声をあげる。
「はい、三崎先生の言うことは、肝に銘じます」
「そうそう、お医者様の言う事は良く聞くようにね」
ふたりして顔を見合わせ、クスクスと笑えば、すっかり、いつもの友人同士の距離にもどる。
ダメな自分に惑わされなくて良かったと、ホッと息をついた瞬間、スマホが着信を知らせる。
慌ててバッグから取り出したスマホの画面には、母の電話番号が表示されていた。
「もしもし、お母さん。どうしたの?」
「びっくりしないで聞いて。今ね、おばあちゃんが倒れて、救急で病院に来てるの」
「えっ、おばあちゃんが⁉ 私もこれから行くから。どこの病院なの?」
「緑原総合病院よ。美緒が来てくれるなら心強いわ」
タクシーの車窓から見える景色は、見慣れた街並み。
自宅マンションの近くまで来ていた。
「ごめん、電話の内容が聞こえて……。病院まで一緒に行こうか?」
私は、静かに首を横に振る。
「ありがとう。どれくらい時間がかかるかわからないし、病院には母も居るから大丈夫」
「そう、何か力になれればいいんだけど」
「お気持ちだけもらっておくね。あっ、病状でわからない事があったら聞いてもいい?」
「ん、いくらでも聞いて、連絡待っているよ」
タクシーがスピードを落とし、マンションの前に停まる。
車から降りた私の横を吹き抜ける風が、ひんやりと冷たく感じられた。
お天気が崩れるのかも……。
「三崎君、今日はありがとう」
「美緒さんも無理しないで、困った事があったらいつでも連絡して」
「ありがとう、頼りにしている。じゃあ、おやすみなさい」
車のテールランプが見えなくなると、思わずため息が漏れた。
なんだか、心の中がグチャグチャで、考えがまとまらない。
「部屋にもどって、病院へ行く仕度をしないと」
こと-koto
402
自分に言い聞かせるように口にして、部屋へ向かう。
玄関ドアの前まで着くと、気持ちを切り替えるように、両手でパチンと頬を叩いた。
「ただいま」
と、ドアを開けると部屋は暗く、人の気配がない。
健治は出かけるとは言っていなかったし、連絡もなかった。
「健治は、寝てるのかな?」
寝室のドアをそっと開ける。
でも、ベッドにも姿はない。
「私が帰らない予定だったから、どこかに出かけたんだ……」
暗い部屋の中、モヤモヤとした気持ちだけが募っていく。