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「博士の研究をご存じかな? 」
グランドはゆっくりと頭を横に振り、続く答えを静かに待った。
「飛球艇じゃよ。奴らは降雪量に関係なく空から攻め込むつもりじゃ」
「飛球艇―――⁉ 」
「然様《さよう》」
部屋に燻っていた煙が去ると、背を向けたままの老人が、僅かながら灰を被った机を指でなぞり円を描く。そしてゆっくりと振り返ると、事の詳細を語り出した。
「古代。中央の放牧民の大陸を唐圀《とうこく》と云う大帝国が治めていた時代に、大陸西方に約700年以上前の漢ノ朝《かんのちょう》と呼ばれた時代の遺跡が発見されたそうな。後に大規模な発掘調査が行われると、驚くべき事に、数々の出土品の中に自然科学の研究書が原型を留めた状態で大量に発見されたとの事。そしてそれを長きに渡り翻訳、研究した結果、西洋よりも遥かに進んだ科学技術を、当時から持って居た事が明らかになったのじゃ」
「西洋よりも…… 」
「如何《いか》にも」
老人は更に机に描いた円に手を加えて行く。その手はまるで実物をその目で見て来たかの様に、正確に指を運ぶ。そして大きく息を吸い込むと吐き出す様に続けた―――
「その書物の中には漢ノ朝《かんのちょう》以前に有った戦国時代の古書も多く発見され、その様々な研究内容に皆驚いたそうじゃ。中でも驚かされたのは、当時の技師でもあった発明家の侶半《ろはん》と云う人物の研究の書で、その中には火浮きという、空気を加熱して浮力を得る装置の記述が詳細に記されていたそうじゃ」
「火浮き――― 」
「その古典を持ち帰り研究した者が、イベアリア半島《西の地》の都市アンダールスの科学者アバス・イブン・フィルナルス博士と云う人物じゃった。彼は、その生涯を掛け、長きに渡り火浮きを元に実験と研究を重ね、飛球艇と云う人類初の空を飛ぶ乗り物の発明に、その道の終着点として辿り着いたのじゃ」
老人が吐き終え同時に指を止めると、白い灰に覆われた机の上には、見た事も無い飛球艇と呼ばれる物の図が詳細に描かれていた。覗き込んだグランドは口に手を当て、息を潜めボソリと呟いた。
「こんな物は見た事がない…… 」
「当然じゃ、開発は途中で頓挫したからのぅ。いや、正確には中止せざるを得ない状況であったと言った方が正しいじゃろうて、それが無ければ遥か以前に、もうこれが雲を引き連れておるはずじゃ」
―――何故こんな大発明が歴史に埋もれた?……
グランドは顎に手を当て暫し思い做《な》すと、何かに気付き言葉を漏らした。
「真逆《まさか》、政治的な軋轢《あつれき》が? 」
「ウム、研究は順調だった。然《しか》しこの飛球艇を早急に軍事利用しようとする諸侯《しょこう》や軍閥《ぐんばつ》が多く現れ、小さな小競り合いが国内で頻繁に起こった。国内の軍の大部分を諸侯に頼っていた君主は実質反発が出来ず沈黙し、国内は日に日に内戦が続く様になっていった。当時より軍事利用を恐れていたアバス博士は、鎮静化を図る為に、貴重な資料と共に研究所に火を放ち、そして―――」
「そして? 」
「自らも命を絶ち、この研究に幕を閉じた――― 」
老人は机に描いた絵を乱暴に消し去った……
「自らの命を…… 」
「焔焔《えんえん》に滅《めっ》せずんば炎炎《えんえん》を如何《いかん》せん。火消は一刻を争う。その火消を以《もっ》て自らが責任をとったのじゃよ。平和利用の為と願い、長きに渡り、その人生を捧げて来た結果がこれでは、何とも無念じゃったであろうな」
老人の語尾は憂いを纏い、悲しみに揺れていた……
「そして長い変遷《へんせん》の後《のち》、人目に付きにくいこの地で新たな王命として秘密裏に研究を再開する事となった。勿論、平和利用とする為にじゃ。そして白羽の矢が立ったのが侶半《ろはん》の研究の第一人者であるエブラヒム博士じゃったと云《い》う訳じゃ」
「では、この奇襲の目的はエブラヒム博士であったと? 」
「そうとは言い切れんが、可能性は否めんじゃろ。そしてまた研究所に火が放たれた事で、今正に時を超え、当時と同じ事が繰り返されてしまった事になる。この研究が元でな」
「…… 」
「呪われた研究じゃな。そうとしか思えまい。神は人に翼を与えなんだ。敢えてそうしたのかもしれん。人は空を知ってはならぬ生き物なのかもしれん」
二人の間に夜風が吹き抜け、沈黙が尾を引いた。伝令使が新たなランタンを静かに壁に掛けると、背中を丸めた老人がより一層小さく見えた。
「貴重なお話、感謝致す」
「いや……、ただの老いぼれの独り言ですじゃ、ご容赦くだされ。お気を害したのであらば、心よりお詫びを…… 」
ぴょんぴょんと建屋の屋根を飛び回り、不貞腐れた黒豹がすってーんとワザと背中を滑らせ隠れた月に臍《へそ》を晒すと、持ち上げた両手足を空にバタバタと躍らせ駄駄《だだ》を捏《こ》ねる。
「ウソつきダメなのれす。ダレもおかしモッテないのれすっ」
「そんな事よりさァ、アンタさっきの爆発気にならないのォ? 」
「キになりませんっ、おかしのほうがキになるれす」
見えない存在は、高速で手足をジタバタとブン回す幼い黒豹を哀れむと、子守りをしている事に何時しか腹が立ち、天を仰ぎ白目を剥く―――
―――はぁ~……
見えない存在がギアラの側で深い溜息をついた時だった。
僅か一瞬、まさしく瞬き一つの間に、強烈な意思が天空を劈《つんざ》くと、直ぐにその脅威は、まるで闇夜の雲に隠れるが如く気配を消し去った。多くの者達が、この気配を感じ取る事が出来ぬ中で、三つの連なる意思達のみが瞬時に反応してみせた。
「なッ―――――⁉ 」
見えない存在はその脅威に慄き……
「うにゃぁ?」
ギアラは股座をぺろぺろするのに忙しかった。
そして時を同じくして爆走中であったマルチャドもまた、只ならぬ気配を察知すると、猛烈な速度を四つ足で地面に溝を作り乍《なが》ら急停止させると、背中からヴェインを遠くに吐き出した。
ぎゃあぁぁぁぁ―――
―――もうバカ牛ぃぃぃぃぃ
クンクンとギアラは鼻を鳴らすと見えない存在に問う。
「イマなにかきこえたれすか?」
「熊かなにかでしョ。ソレよりもョ‼ アンタ気が付いたァ? 」
「ナニかきたれすっ イッテたしかめるのれす」
「珍しく積極的じゃないのよォ、おかしは出ないわョ」
「やめるれす」
「行けやごらぁぁぁぁァ、気分で生きてんじゃねぇぞゥ」
「ひゃぁぁぁぁぁ、あぶぅ」
一方錬金科学研究所では―――
―――只ならぬ状況下に陥る三人が居た。
それは火を付け、塔から抜け出し、火の巡りを暫く確認している最中に突如として現れた。地響きともとれる叫び声が、鼓膜を響かせ、振動で大気が縦に揺れた。その雄叫びを聞いた直後、塔の一階の煉瓦を派手に吹き飛ばし、まるで井戸から這い上がる様に、地下から何かがノソリとその大きな巨体を引き摺《ず》りながら現れたのだった。
「おいおいおいおい、聞いてないぞ、何なんだアレは、何なんだ‼ サイラ、レイ、散開しながら逃げるぞ、早くしろ――― 」
「まっておくれよジン――― あっ――― 」
いきなりの脅威の登場に、不意を喰らったレイが足を絡め倒れ込む。咄嗟《とっさ》に振り返り、見てはいけない者を見たレイは、余りの恐怖に顔を歪め、奥歯を鳴らす……
「あっ…… うっ⁉ う嗚呼ああああああああ…… ジン―― たっ たすけ――― 」
「レイ―――‼ 」
巡りゆく運命に翻弄されし御霊は、果てなき地を彷徨い生者を喰らう。終わりなき悪夢に侵され心奪われど、求むは安寧へと導かんとする一筋の光の影。亡者になれぬ屍達は、今宵もまた殺してくれとすすり泣く。