テラーノベル
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妙に胸騒ぎがする冷たい風。そして、生命の気配が一切感じられない、返って不気味なほどの静寂。それが、私が最初に覚えた感覚だった。
〈ううっ……一体何が……起きて……〉
我々LCB一行は、別世界から観測した黄金の枝を収集すべく、次元の裂け目を通り、狭間を漂流していたはずだ。しかし、その最中に突如として空間にぽっかりと開いた、全てを飲み込まんとする黒い穴。その、これまで経験したどんな異常現象とも異なる光景を前にパニックに陥った私は、そのまま意識を手放してしまったのだ。
意識は重く深い闇からようやく引き上げられたものの、視界はまだ霞んでいる。うぅむ……はっきりとは見えないが、視界の殆どを占めるのは無機質な灰色。どこかの部屋の中だろうか。だが、一つだけ確かなことがある。この場所の空気、光、その全てが、私の知る『都市』のどの区かとも、あるいは路地裏の澱んだ空気とも、根本的に異質だ。
『ダンテ、私は何かを見失ってしまっても、いつかあなたは見つけてくれると思っています。何故なら…』
……そういえば、意識が途切れる寸前、ファウストはそんな意味深な言葉を残していた。『見つける』とは、この状況を見る限り、離れ離れになってしまったであろう囚人たちのことか? だが、あのファウストにしては珍しく、言いかけた言葉の続きが妙に気になる。
〈いや、ここで思考を巡らせていても進展はない。現状を把握しないと……〉
そうだ、まずは動こう。別に私はヒースクリフの行動理念を持っていないが、考えるより先に手を動かした方が、活路を開けることもある。
そう結論付け、腰を上げようとした、その時だった。
ーーガチャリ
冷たい金属音と同時に、全身が後ろへ強く引かれる。いや、制止させられている、という方が正確か。どうやら両手足にそれぞれ音の発生源があるようで、それが私を縛り付ける枷の正体らしかった。
〈拘束具か? だが、誰が、何のために?ここは一体どこなんだ?〉
カチ、カチ、と自らの頭が時計の針を刻む音だけが虚しく響く。疑問ばかりが渦を巻く中、誰かが答えてくれるはずもない問いを、心の中で繰り返した。
「あなたをこの場に留めておくため。至極、単純な理由ですよ」
〈!?〉
思考を読まれたかのような返答。霞が晴れてきた視界を、声の主へと向ける。そこに立っていたのは、一人の男だった。
「……おはようございます、ダンテ」
〈……誰だ?〉
私の名を知っている。目の前の男は、上質な黒いスーツに身を包んでいた。しかし、その頭部はまるで表情という概念が存在しないかのように滑らかで、肌は影のように黒い。そして、その上に穿たれた穴のような白い目と口が、不気味にこちらを見つめていた。その姿は、私が知る『ねじれ』とも似ているようで、その根源にあるものが全く異なる、理解不能な存在に感じられた。
「いやはや、数多の可能性の中から貴方という『異邦人』を最初に観測し、こうして保護できたことは、実に幸運でした」
〈異邦人? 観測……保護? 何を言っているんだ、この男は〉
言葉の端々から、私という存在を把握しているような口ぶりだ。だが、その単語一つ一つが、私の理解の範疇を超えている。
「ええ、私は貴方に会いたかった。この『キヴォトス』の神秘とは明らかに異なる法則で存在する貴方に。その不可解なまでの復元能力、その存在理念、そして貴方が貯蓄しているという『黄金の枝』の力。その全てを探求すべく……ね」
〈キヴォトス……? 神秘……?〉
初めて聞く単語だ。黄金の枝のことを知っているのは間違いないようだが、それ以外の文脈が全く繋がらない。この男は一体何者で、ここはどこなのだ。私の混乱を愉しむかのように、男は言葉を続ける。
「おや、まだ状況が飲み込めていないご様子。無理もありませんね。貴方は、全く異なる世界から迷い込んだのですから。ここは貴方の知る『都市』ではありません。ここは、学園都市『キヴォトス』です」
男は芝居がかった仕草で一礼した。
「さあ、歓迎しますよ、時計頭の管理人、ダンテ。貴方がどこから来て、何を成そうとしているのか。そして、貴方という存在が、この私たちの世界にどのような『恐怖』と『神秘』をもたらすのか……。これから、じっくりと語り合いましょう」
静寂と無機質な灰色に支配された部屋で、彼の底知れない探究心だけが、確かな熱量を持って、孤立無援の私に向けられていた。
……語り合う、だと?冗談じゃない!こんな見るからに怪しい、得体の知れない存在と、何を語れというのだ。しかし、この拘束された状況で、馬鹿正直に「お前のような奴と話すことなどない」と拒絶すれば、次に何をされるか分かったものではない。
ここは、別の疑問をぶつけて探りを入れるべきだ。どうせ、私のこの「チクタク」という音の羅列を正確に理解できる者など、そうそういるはずがないのだから。
〈……いや、それ以前に、お前は一体何者なんだ!?〉
思考を音に乗せる。意味を持つはずのない、ただの時計の針の音。だが、目の前の男は、まるで流暢な言葉でも聞いたかのように、優雅に口元へ手をやった。
「おっと、これは大変失礼いたしました。最も重要で、最初になされるべき自己紹介を省いてしまうとは」
……ん?
今、こいつは、私の問いに、答えたのか?
〈待て……。なぜだ。なぜ、お前は私と対話できる?〉
ここで、根源的で、あり得ないはずの疑問が湧き上がる。私が発するのは、囚人たちのように特殊な装置を持つ者でなければ翻訳できない、ただの音のはずだ。だがこの男は、何の苦もなく、まるで当たり前のように会話を成立させている。
その私の新たな混乱すらも見透かしたように、男はくつくつと喉の奥で笑った。
「ふふ、流石に、貴方の発するその音の一語一句を言語として理解しているわけではありませんよ。ですが……私、観測が得意でしてね。貴方という存在が、その思考と共に発する意図の波形、その指向性。そういったものを読み解けば、貴方が何を問いたいのかを理解するのは、そう難しいことではないのです。まあ、もっと分かりやすく言えば、貴方の地獄紀行を共に旅する案内人と同じタイプ……言わば感覚ですよ」
まるで、新しいビジネスパートナーの能力を品定めするかのような口調で、男は私の周りをゆっくりと歩き始める。その靴音は、この無機質な部屋に不快に響いた。
しかし、こいつはどこまで私達のことを知っているんだ?私のバスの案内人、ヴェルギリウスの事まで知っていた。私の思考も含めて、奴には全て筒抜けだという可能性を考えないといけない。
一周して、再び私の正面で止まると、男は満足げに続けた。
「これで、貴方が抱いた謎の一つは解決できたことでしょう。では、改めて」
〈……?〉
「そうですね……この世界では、私は『黒服』という名で通っております。以後、お見知りおきを、時計頭の管理人殿」
『黒服』……。見た目そのままの、安直な名前だ。あるいは、あえて覚えやすい偽名を使っているだけか。どちらにせよ、このまま相手のペースで話を聞き続けていては、巧みな話術に絡めとられ、いずれこちらの情報を根こそぎ引き出されてしまうだろう。
ならば、今は無意味かもしれないが、虚勢を張るしかない。私はLCBの管理人なのだ。囚人たちの前で見せる、あの威厳を。まあ、そんなんあったか知らないけど……。
〈……で? その冗長な前置きはもういい。さっさと要件を言ったらどうだ、黒服とやら〉
精一杯の威圧を込めて、時計の針を鳴らす。この音がどれほどの意味を持つかは分からないが、ただ黙って相手の言葉を聞く人形になるつもりはない。
しかし、黒服は私のその態度に眉一つ動かさず、むしろ愉快そうに目を細めるような仕草をした。
「おやおや。まるで、部下を急かす管理職のようですね。結構、実に結構。ですが、そう威嚇なさらないでいただきたい。どうか警戒を解いて欲しいのです。なにせ私は、ただ貴方と建設的な『取引』をしたい。ただ、それだけなのですから」
拘束している相手に「警戒しないで欲しい」とは、よく言えたものだ。黒服はまるで心からの親愛を示すかのように両手を広げたが、その言葉とは裏腹に、私を縛る枷が緩む気配は一切なかった。
〈お前が望んでいるのは、どうせ『黄金の枝』だろう。最初から言っておくが、取引の余地はない。あれは囚人たちを導くための、そして私自身の命を繋ぐためのものだ。そう易々と渡せる代物じゃない〉
私がそう言い放つと、黒服は感心したように小さく頷いた。
「その仲間を想う高潔な精神、そして己の状況を的確に把握する冷静さ。実に尊敬に値しますよ。……しかし、話は最後まで聞いていただきたい。私がこれから持ち掛ける『取引』は、我々だけでなく、貴方にとっても非常に有益なものです」
私が想像していたのは、やはり『黄金の枝』だった。都市でも、それ以外のどんな場所でも、その不可解で絶大な力は誰もが渇望するものだ。それを複数所持している私を攫ったのだから、それが目的であると考えるのは当然の帰結だった。
しかし、どうやら違うらしい。私と黒服、互いに利益がある取引、だと……?
「私が欲しいのは」
黒服は芝居がかった間を置き、その白い口を弧の形に歪めた。
「黄金の枝、ではありません。私が欲しいのは、ダンテ……貴方自身です」
〈……は?〉
理解不能な言葉に、思考が止まる。私自身? この時計頭の、記憶もない、ただ命令に従って囚人たちを管理するだけの存在に、一体どんな価値があるというのだ。
私の混乱を愉しむように、黒服は続けた。
「我々『ゲマトリア』に、貴方のその特異な力を貸していただきたい。もちろん、ただ協力しろというのではありません。その対価として……我々は、貴方の失われた『記憶』を、リンバス・カンパニーの誰よりも早く、そして完璧に取り戻すことをお約束しましょう」
『記憶』。
その言葉は、重い錨のように私の思考に突き刺さった。忘却の闇に沈んだ、私が何者であったのかという根源的な問い。リンバス・カンパニーとの旅も、その終着点にあるはずの答えだ。それを、この男は「与えられる」と、いとも容易く口にした。
カチ、カチ、と規則的だったはずの時計の音が、一瞬だけ、乱れる。
……だが、それも一瞬のことだった。
脳裏に浮かぶのは、あの騒々しく、手のかかる、どうしようもない囚人たちの顔。彼らとの旅路。たとえそれがどれだけ長く険しいものであっても、捨てるという選択肢は、もはや私の中には存在しなかった。
〈……断る〉
「ほう? 即答ですか。これ以上ない魅力的な提案だと思うのですが」
〈魅力、ね。確かに、記憶は取り戻したいさ。だが、お前のような得体の知れない奴に魂を売ってまで手に入れるものではない。それに……私のこの旅は、もう私だけのものではないんでね。あいつらと共に、この目で終着点を見る。そう決めたんだ〉
これが虚勢か、本心か。もはや自分でも分からない。だが、これだけははっきりと断言できる。この男の手に乗ることは、断じてないと。
私の答えを聞いた黒服は、怒るでもなく、落胆するでもなく、ただ心底愉快そうに、喉の奥で笑った。
「……ククク、実に、実に興味深い。その高潔さ、その仲間との絆。それこそが貴方という特異なる神秘を構成する要素なのでしょう。良いでしょう、取引は一旦保留とします。ですが、ダンテ。覚えておくといい」
黒服は人差し指を立て、静かに告げる。
「貴方が旅路の果てにリンバス・カンパニーから与えられる『記憶』が、果たして本当に『真実』であるという保証は、どこにもないのですよ?」
リンバス・カンパニーも、この黒服と大差ないのかもしれない。私の『記憶』を取り戻すという甘言と引き換えに、この終わりの見えない地獄のような旅路を強いているのだから。
ここは『都市』だ。嘘と裏切りが栄養となり、希望という名の果実を実らせる。そして、その実を齧ろうと手を伸ばした愚か者は、例外なく、誰かの利益のために根こそぎ喰われる。それがこの世界の常識であり、決して覆ることのない事実だ。
私の蘇生能力は、それほどまでに特異で価値がある。リンバス・カンパニーがこの絶好の機会をやすやすと手放すはずがない。だからこそ、奴らの提示する『記憶』という餌が、私を永久に繋ぎとめるための虚構である可能性は、決して否定できない。
〈……たとえ、約束された『記憶』が偽りだったとしても、今の私にとっては心底どうでもいいことかもしれないな〉
カチ、カチ……。私の思考は、冷静に時を刻む。
いつからだろうか。私の目標は、もう別の何かにすり替わっていた。
今の私は、記憶のない、この時計頭の『私』だ。『失くした何かを取り戻す』という共通の渇望を抱えた囚人たちと、あの騒々しいバスで旅を続けるうちに、いつの間にか。
私の第一目標は、『彼らの旅路の果てを、この目で見届ける』という、都市の住人が聞けば鼻で笑うほど青臭く、高潔なものに変わってしまっていた。真っ白だったはずのキャンバスは、囚人たちの個性という名の絵の具で、もう取り返しがつかないほど鮮やかに塗りたくられてしまったのだから。
〈だから、『記憶』は要らなくてもいい。そういうことだ。さっさとこの枷を外してくれないか〉
私の決然とした意志を受け、黒服は――失望したように、深く長い溜息を吐いた。
「……やはり、ですか。私が貴方を観測していた頃から密かに抱いていた確信ですが……貴方は、どうにも『彼』と酷似している。なぜなのでしょう?全く異なる出自を持つはずの貴方たちが、ここまで似たような結論に至る理由は。やはり、貴方が記憶を喪失しているからこそ、その魂の本質が顕現しているとでもいうべきか……ふむ、これはまた、実に興味深い謎が発生してしまいましたね……」
〈く、黒服?〉
突然、私のことなど目に入っていないかのように、黒服は虚空に向かってぶつぶつと独り言を紡ぎ始めた。その異様な光景を前に、私はただ困惑するしかなかった。やがて、彼は我に返ったようにこちらを向き直り、慇懃に頭を下げる。
「……大変、残念です。貴方となら、『崇高』なる真理へと至る、最高のパートナーになれると確信しておりましたが。ですが、仕方ありません。貴方のその高潔な意見を尊重し、今回の取引は『却下』といたしましょう」
〈……! なら、この枷を……!〉
希望が見えた、と思った。だが、黒服は私の言葉を冷ややかに遮る。
「しかし、だからといって貴方をこのまま野に放つわけにはいきません。貴方のその規格外の能力……『スペック』を鑑みれば、万が一にも我々と敵対する存在にスカウトされる可能性も考慮すべきでしょう。そうなってしまっては……ああ、何と恐ろしいことか」
その口調は穏やかなままだが、声の温度は絶対零度まで下がっていた。
〈な、何をする気だ……!?〉
「私のビジネスパートナーである『カイザーコーポレーション』に、貴方を『特異兵器』として売り捌くことにします。この選択は私も心苦しいのですが……貴方のあらゆる部位は徹底的に解剖、分析され、その復元能力の秘密は余すことなく利用されるでしょう。まあ、これも貴方が我々の世界にもたらすかもしれない、より大きな厄災を防ぐためです。貴方の未来のためだと思って、どうか受け入れてください」
〈は……はぁ!?〉
何を言っているんだ、こいつは!?
私の絶叫じみた時計の音をBGMに、黒服は悲劇の主人公のように、そっと胸に手を当てた。
「ご安心を。たとえ貴方が名もなき兵器の素体となろうとも、私は決して忘れはしませんよ。同じ『崇高』を目指すことができたかもしれない、偉大なる異邦人……その名を」
〈うわぁぁぁ!?よせ!やめろぉぉぉ!〉
兵器として解剖される?冗談じゃない!このまま誰にも知られず、こんな無機質な部屋で部品にされてたまるものか!
私は拘束されているのも忘れ、虚しく鎖をガチャガチャと鳴らし、意味をなさない抵抗の音を必死に響かせた。その、瞬間だった。
ーーガチャリ。
唐突に、部屋の扉が開く音がした。
光を背に現れたのは、ピンク色の髪を揺らす、小柄な少女だった。その瞳は冷たく、目の前の光景をただの「景色」として捉えているかのように何の感情も浮かんでいない。
「……チッ。こんな気味の悪い廃墟に呼び出すなんて、どういうつもり?」
少女は忌々しげに舌打ちをすると、黒服を睨みつける。その手には、およそ彼女の体格には不釣り合いな、無数の傷がついたショットガンが握られていた。その構えに、一切の隙はない。
救世主だ。
直感的にそう思った。こんな得体の知れない男と対峙しているのだ、彼女は敵かもしれない。だが、今は藁にもすがる思いだった。
私は、これまでにないほど激しく、必死に時計の針を鳴らした。
〈助けてくれ!そこの少女!こいつは危険だ!私をここから出してくれ!〉
私の必死の訴えに気づいたのか、少女は、ようやくこちらに冷たい視線を向けた。そして、眉一つ動かさずに言い放つ。
「……何、このガラクタ。さっきからカチカチうるさいんだけど」
〈ガラクタ!? 違う、私は人間だ! 話を聞いてくれ!〉
私の渾身の叫びは、しかし彼女にはただの『耳障りな騒音』としか認識されていないようだった。少女はすぐに私から興味を失い、再び黒服に向き直る。
「で? このガラクタを見せるためだけに私を呼んだわけじゃないんでしょ。用件があるならさっさと言って。アンタの顔を長く見てると反吐が出る」
「おや、これは失礼。お客様をお迎えするのに、少々この『サンプル』が騒がしすぎましたね」
黒服は優雅に一礼すると、私のほうへゆっくりと歩み寄ってきた。その手には、いつの間にか一本の注射器が握られている。
〈やめろ……!来るな……!そこの少女、目を覚ましてくれ!騙されるな!〉
最後の望みをかけて、私は叫び続ける。だが、少女は私の存在など最初からなかったかのように、ただ黙って黒服の行動を見ているだけだった。その瞳には、憐憫も、好奇心も、何一つ映っていなかった。
「では、少し静かにしていただきましょう」
冷たい声と共に、首筋に鋭い痛みが走る。急速に意識が遠のいていく。霞んでいく視界の端で、ショットガンを構えたまま無感情にこちらを見つめる少女と、満足げに微笑む黒服の白い口元が、ゆっくりと闇に溶けていった。
〈そん……な……〉
それは、希望が冷酷に踏みにじられる音だった。
「……んで、アンタはその『黒服』って奴に捕まって、オレ達に助けられるまで監禁されてたってわけか」
ヒースクリフが、腕を組んでぶっきらぼうにそうまとめる。
〈ああ、まあ……大体そんなところだ〉
あの後の話だ。
私が意識を取り戻した時、目の前に広がっていたのは見慣れた囚人たちの顔と、そしてこのキヴォトスで『先生』を務めているという人物の心配そうな顔だった。聞けば、彼らがセリカという生徒を救出している道中で、私が乗せられていたらしいトラックを発見。恐る恐る中を探索したところ、薬で眠らされていた私を見つけた、ということらしい。
もちろん、話はそれだけでは終わらなかった。彼らを救出する過程で囚人たちが全員死亡し、それを目撃したここの生徒たちにものすごい剣幕で詰め寄られたりもした。何とか彼らを蘇生させてその場を収め……今、このアビドス高等学校という施設の教室で、改めて事情聴取を受けているというわけだ。そして私は、黒服との一件を正直に全て話したのである。
「……まあ、よく五体満足で生きて帰ってこられましたね。運が良かったのか、悪かったのか」
イシュメールが、いつもの毒舌じみた口調の中に、ほんの少しの安堵を滲ませてぽつりと呟いた。
「も~、ダンテぇ!アタシたち、すっごく心配してたんだからね!?どこかの砂漠で、干からびて野垂れ死んでるんじゃないかって!」
〈はは……縁起でもない妄想はよしてくれ、ロージャ〉
相変わらず底抜けに明るいロージャが、大げさに抱きついてくる。その体温に、少しだけ心が安らいだ。
「うへ~、時計のおじさんも色々大変だったんだねぇ」
ふと、すぐ側から間の抜けた声が響く。そちらに視線を向けると、ピンク色の髪をした少女が、眠たそうな目を細めてこちらを見ていた。
ーー小鳥遊ホシノ。
この世界、『キヴォトス』で私が最初に言葉を交わした生徒だ。いや、正確には一方的にガラクタ扱いされただけだが。
(黒服のことは……覚えていない、のか?いや、そもそも私と会ったという認識すらないのかもしれないな)
彼女があの時、黒服と共にいたのは紛れもない事実。だが、今の彼女の様子からは、そんな素振りは一切感じられない。ただ、目の前の気だるげな少女が、私にとっては『囚人以外の』最初の繋がりであることだけは確かだった。
……それにしても。先ほど、蘇生した囚人たちを見て私を射殺さんばかりに睨みつけていた、あの時のホシノの表情。今の彼女の、全てが面倒だと言わんばかりの気だるげな顔と比べてみると、あまりにも違いすぎる。まるで……分厚い仮面を無理やり被って、何かを隠しているかのような、不自然で歪な表情だ。
〈………?〉
「う、うへぇ……? そんなにおじさんの顔、まじまじと見ないでほしいんだけど……」
〈あっ、ごめん〉
思わず凝視してしまった私に、ホシノが気まずそうに視線を逸らす。
“ダンテ、その辺にしてあげて。ちょっと怖がってるから、こっちを向いて”
〈アッハイ〉
もっと観察を続けたかったが、穏やかな男性の声によってそれは叶わなかった。うぅむ……やはり、黒服の件も含め、過去にホシノと会ったことは伏せておいた方がよさそうだ。下手に話して、事態をややこしくするべきではないだろう。
さて、私の観察を遮った声の主。
彼こそが、この学園都市で『先生』という立場にある人物らしい。なぜか名前は教えてくれないが……まあ、深く気にすることではないか。このキヴォトスにおいて、生徒たちを導き、教える唯一の『大人』であり、生徒たちからは絶大な信頼を寄せられていると聞く。下手に迷惑はかけない方が賢明だろう。
そうだ、この機会に、ここで出会った新しい顔ぶれを改めて紹介しておこう。ホシノと先生の他に、この教室には4人の生徒がいる。
ーー砂狼シロコ。
青と金のオッドアイに、ぴんと立った獣の耳が特徴的な生徒。先生たちがこの世界で最初に出会った生徒らしい。
ーー十六夜ノノミ。
おっとりとした優しい雰囲気とは裏腹に、巨大なカードケース(と、その中身の重火器)を軽々と扱う、アビドス一のお金持ち。
ーー黒見セリカ。
黒い獣耳に、快活な印象のツインテールを結んだ生徒。この子が、例の救出作戦の対象だったらしい。今は少し不機嫌そうだ。
ーー奥空アヤネ。
尖った耳に、理知的なメガネをかけた生徒。個性豊かな対策委員会の面々をまとめる、貴重な常識人兼オペレーターだ。
……と、このような面々なのだが。一つだけ、心の底からの疑問を言わせてくれ。
全員、外見の癖が強すぎではないか!?
獣の耳だの、尖った耳だの、都市の路地裏でも「いや、そこまでの改造は酔狂だ」と言われるレベルの要素が満載だ。しかも、これらの外見的特徴に加え、彼女たちの身体能力は生まれつき、我々が多額の金を払って受ける強化手術を施した人間と遜色ないらしい。何なんだ、ここは!? キヴォトスとは、私が想像していたよりも遥かに恐ろしい場所なのでは?
そして何より……生徒たちの頭上にだけ、淡く輝きながら浮かんでいるあの光輪。『ヘイロー』とか言っていたか。あれは一体……?
「おい、時計ヅラ。さっきから黙り込んで、気でも失ったか?」
私の終わらない思考の渦は、ヒースクリフが私の頭をガツンと叩いたことで、強制的に中断させられた。
〈あっ、ごめん。ちょっと思い悩んでて……それで、何の話をしていたんだ?〉
「聞いていなかったのですか?まったく……貴方の能力について、ですよ、ダンテ」
イシュメールが、呆れたように、しかし丁寧に会話の軌道を元に戻してくれた。能力……あの、囚人蘇生能力のことだろう。
「ん……あの時の、あれ?」
ここで、それまで静かに話を聞いていたシロコが口を開いた。その青い瞳が、まっすぐに私を射抜く。彼女も、あの光景を目撃した一人だ。何か言いたげなのは、当然かもしれない。
「『時間を巻き戻す』能力のこと?別に何ともなくないかな?」
私でもないのに、代わりに浮かんだ疑念を口にしたロージャ。いつも私の側に立ってくれるのはありがたいが、今回はそうでもなさそうだ。
「……もう、ロージャは察しが悪いなぁ」
ぽつり、と。それまで気だるげにしていたホシノが、ロージャの言葉を遮った。その声には、いつもの眠たげな響きとは違う、明確な拒絶の色が滲んでいた。
「おじさんは……あれは、もう見たくない、かな」
ホシノはそう言うと、ぷいっと顔をそむけてしまう。彼女とシロコ、そして先生だけが知る、あの凄惨な光景。仲間が、目の前で命を散らすということ。そして、それがまるで無かったかのように元に戻るという、冒涜的な奇跡。
重くなった空気を断ち切るように、それまで黙って話を聞いていた先生が、静かに口を開いた。
“ダンテ”
穏やかだが、有無を言わせない響きを持った声だった。教室にいる全員の視線が、自然と彼に集まる。
“君のその力は、本当に凄いものだと思う。仲間を失わずに済むというのは、何物にも代えがたい価値がある。……でも、だからこそ、危険なんだ”
先生は、まっすぐに私を見つめて言った。
“このキヴォトスで、生徒たちは傷つき、時には倒れる。でも、彼女たちは決して『死なない』わけじゃない。命は一つしかなくて、失えば二度と戻らない。その当たり前の事実を、僕は彼女たちに忘れてほしくないんだ”
彼の言葉は、私だけでなく、その場にいる全員に、特にシロコとホシノに言い聞かせるようだった。
“君の能力は、その『当たり前』を覆してしまう。命が、まるで消耗品のように軽く見えてしまう危険性がある。だから、お願いだ。これはシャーレの先生としての、僕から君へのお願いであり、『命令』だ”
先生は、一度言葉を区切ると、はっきりと告げた。
“今後、生徒たちの前で……いや、僕たちの前で、その蘇生能力を使うことは、固く禁止する”
〈!?〉
カチ、カチ、カチ……ガ、カチ……。
不規則に時計の音が乱れるほどの衝撃だった。一つは、この絶対的ともいえる私の能力を、いとも容易く制限されたこと。そしてもう一つは、この世界では『死』という概念が、これほどまでに重く、尊厳あるものとして扱われているという事実だ。
いや、都市とて死を歓迎するほど腐りきってはいない。ただ、生きるためには他人を殺す。その非情な教訓が、路地裏の空気のように、骨の髄まで深く染みついているだけのこと。だから、これまで囚人たちが幾度となく命を落としても、それを前提として作戦を立て、指揮を執ってきた。それが当たり前だったのだ。
しかし、世界が変われば、常識も変わる。
ここでは、『死』は取り返しのつかない絶対的な終焉であり、決して軽々しく扱ってはならないもの。その厳然たる事実が、私の思考を根底から揺さぶっていた。
「……ダンテ、少しだけ耳をお貸しいただけますか?」
〈イシュメール?〉
私が混乱の渦中にいると、イシュメールが静かに側に寄り、他の誰にも聞こえないよう、声を潜めて囁いた。
「先生の命令により、貴方の能力が実質的に封印されたとなると……今後の私たちの戦闘指揮は、どうなってしまうのですか?」
彼女の問いは、単なる感情論ではなかった。それは、この異世界で生き残るための、極めて現実的で、切実な懸念だった。
囚人たちは、私の蘇生能力があるがゆえに、ある意味で『死』に対して無鉄砲になってしまっている。些細な油断で、あるいは作戦のために意図的に、命を落とすことが少なくない。これまでは、それでよかった。
だが、先生の命令は、それを許さない。
逆に言えば、我々は最大の戦術的アドバンテージを失ったのだ。『死』を前提とした捨て身の突破、死ななければ覆せない状況を強引に覆すという、非情だが効果的な戦術。その全てが、この瞬間、不可能になったということを意味していた。
〈え、いや……先生の言うことが理解できないってわけじゃないんだけど……その……〉
「……ダンテが、その命令には到底納得できない、と申しております」
〈イッシュッシュ!?〉
私の言葉を聞いていたはずのイシュメールが、なぜか全く逆の意味に曲解し、先生に堂々と異議を申し立ててしまった。私を想ってのことなのはありがたいけど……今はもう少し、穏便に進めたいんだけどな!?
“……うぅむ”
……あれ? なんだか分からないけど、イシュメールの発言で、かえって話がこちらに有利に進んでいるような……?
先生は、イシュメールの言葉を真に受けてしまったのか、腕を組んで深く考え込んでしまっている。私の、あの非道徳的ともいえる能力に、何か別の価値を見出そうとしているようにも見える。
いつの間にか、周りも騒がしくなっていた。
「そりゃそうだろ!死んでやり直せるってのがオレらの唯一の取り柄みたいなもんなんだぞ!」
「そうよ!その戦略がなきゃ、私たち、これからどう戦えばいいの!?」
うん、言い方。ヒースクリフやロージャが肯定的な意見を主張する一方で、生徒たちからは悲痛な声が上がる。
「あんなの、二度と見たくない……!」
「人の命が……あんな風に戻るなんて、間違ってる……」
肯定と否定がぶつかり合い、もう収拾がつかなくなってしまった教室。その混沌とした空気の中、先生がふと顔を上げた。その一言が、場の流れを断ち切った。
“わかった。じゃあ、今からダンテと二人きりで話すよ”
「えっ……二人きりで、ですか?」
先生の突然の発言に、アヤネが戸惑いの声を上げる。それは、私も全く同じ気持ちだった。
「そ、そんな奴とどうやって話すっていうのよ!?」
セリカが叫び、ヒースクリフも訝しげに続ける。
「オレたちみてぇな囚人がいなきゃ、アンタには時計の音が聞こえるだけだろ?それ無しで対話できるとでも思ってんのか?」
その場の全員が言う通り、私が発する音を言語として理解できるのは、基本的に囚人だけのはずだ。ヴェルギリウスや、あの黒服のような例外はいるが、目の前の先生にそれができるとは思えない。誰もが、先生の真意を測りかねていた。
しかし、先生は皆の不安を意に介さないように、にこりと笑ってみせた。
“はは、大丈夫。私なりの方法で、何とかしてみせるから”
そう言いながら、先生は私を手招きして廊下へと誘う。
本当に大丈夫なのだろうか。少し強引な気もするが、こうして私は先生と二人きり、誰にも会話を聞かれないであろう場所で、改めて対話をすることになったのだった。
人気のない廊下の突き当たりで、先生は足を止めた。そして、くるりと振り返ると、おもむろに愛用のタブレットを取り出す。教室での穏やかな雰囲気とは打って変わり、その横顔には一切の感情が浮かんでいない。
(一体、どうやって話すつもりなんだろう……?)
私がそんな疑問を抱いていると、先生がタブレットの画面を起動させた。すると、その画面の中に、青い髪の少女が浮かび上がっているのが見えた。彼女は困ったように眉を下げ、こちらを見ている。
……ん? 画面の中に、少女?
〈なあ、先生〉
私は思わず、音を発した。
〈あんたが持ってるその板……の中にいる、その青い髪の少女は一体誰なんだ?〉
その瞬間、先生の肩がぴくりと跳ねた。彼の視線が、驚愕に見開かれながら私に向けられる。
“……は?”
先生が持っていたタブレットから、少女の慌てたような声が響いた。
「せ、先生! 大変です! ダンテさん、間違いなくアロナのことを見てます! な、なんでなんで~!?」
“……お前、なぜ『彼女』が見える?”
先生の声は低く、鋭い。まるで尋問するかのように、私に問い詰める。タブレットを隠すようにしながらも、その視線は私から外れない。
〈見えるから見えた、としか言いようがないが……。それより、その子は一体?〉
“チッ……”
先生は小さく舌打ちをすると、ぐしゃぐしゃと自分の髪をかきむしった。
“……面倒なことになったな。まあいい、その話は後だ。それよりも、アンタに言っておかなきゃならないことがある”
彼はタブレットの画面に視線を落とす。アロナと呼ばれた少女は、まだ混乱している様子だったが、先生に促されて何か操作を始めたようだ。
“おい、ダンテ”
画面を見ながら、先生は投げやりで雑な口調で言った。
“単刀直入に言う。仲間の犠牲を前提にするような奴を、俺は指揮官とは認めない”
彼の言葉と同時に、私が発した時計の音が、タブレットの画面上でカタカタと文字列に変換されていくのが見えた。なるほど、この少女が翻訳しているのか。
“アンタのやってることは、ただの駒の切り捨てだ。死んだら元に戻せばいい? ふざけるな。そんなものが指揮か? そんなやり方で仲間を導いているつもりなら、今すぐやめろ”
反論しようにも、言葉が出なかった。画面に表示される彼の言葉は、私の存在意義そのものを、根本から否定するような重さを持っていた。都市の常識が、この男の前ではいかに歪であるかを突きつけられる。
カチ、カチ……と、私の時計の音だけが、静かな廊下に響く。
しばらくの沈黙の後、私は意を決して、音を紡いだ。その音は、アロナによって言葉となり、先生へと届けられる。
〈……あなたの言う通りかもしれない。私のやり方は、ここでは間違っているんだろう〉
〈だが、それでも……私は、彼らを見捨てることはできない。記憶のない私にとって、あの旅路が全てだった。囚人たちが、それぞれの目的を果たすのを見届ける。いつの間にか、それが私の目標になっていたんだ〉
〈たとえ、そのやり方が歪だと言われても、彼らのために道化を演じ続ける。それが、今の私にできる、唯一の向き合い方なんだ〉
私の決意表明を、先生はただ黙って画面越しに読んでいた。
やがて、彼はふっと息を吐き、それまでの険しい表情を少しだけ緩める。
“……そうか。アンタにも、譲れねぇもんがある、と”
その声はまだ硬質だったが、最初の拒絶の色は消えていた。
“いいだろう。アンタの覚꒱悟はわかった。指揮官として認めるかは保留だが、仲間として協力はする”
先生は、タブレット越しに私を指さす。
“ただし、条件がある。あの力は、今後一切、生徒たちの前で使うな。アンタの部下たちにも、命を軽く見るような真似は絶対にさせないと約束しろ。これが最低限のルールだ。……いいな?”
その言葉に、私は深く、一度だけ、時計の針を鳴らして応えた。
〈……わかった〉
画面に表示された「わかった」の五文字を見て、先生は深く、長い溜息を吐いた。
“ふぅ……その言葉が聞けて、よかったよ”
〈ん……んっ!?〉
まだぶっきらぼうではあるが、先ほどまでの刺々しい口調とは違う。少しだけ、肩の力が抜けたような感じだ。
“もうすぐ10分経つな……ほら、そんな鳩が豆鉄砲食ったような顔してないで。さっさと戻るぞ”
……本当に、この人は掴みどころがない。さっきまでの剣幕が、まるで嘘のようだ。そんな複雑な気持ちを胸に、私は先生の後を追って教室へと戻り始めた。しかし、ただ黙って歩くこの気まずい空気には耐えられそうにない。私は、道すがら浮かんだ素朴な疑問を口にしてみることにした。
〈なあ、先生。一つ聞いてもいいか?〉
“ん?”
〈なんで、生徒たちの前では、あんなに優しい口調なんだ?〉
先生は少し意外そうな顔をしたが、すぐに画面に映し出される私の言葉を読んで、面倒くさそうに頭を掻いた。
“ああ、そんなことか。簡単だよ。生徒たちの教育に悪いからだ”
〈うーん、でも、世の中にはあんたみたいな口調の大人なんて、いっぱいいると思うけど……〉
“お前のいた世界はどうなってんだか……。俺は、本気で、心の底からあの子たちが健やかに育ってほしいと思ってるんだ。元からそういうキャラならまだしも、俺が急に素の口調で話し始めたら、変に影響される子もいるかもしれないだろ”
〈じゃあ、他の大人に、その素の口調を見せたことは?〉
“……一度、他の組織の奴らの前で見せようかと思ったけどな。なんか揶揄われそうだったから、やめた”
〈大変だな、先生も。毎日、自分を殺して生きるのは〉
私の言葉が画面に映し出されると、先生は眉間に深いシワを寄せ、じろりとこちらを睨んだ。
“言い方ってもんがあるだろ、言い方が”
セリカを救出し、ダンテが特異なる能力を見せたあの砂漠の中。廃れてしまったビルが所々倒れており、その中をもう使われない錆びた線路が敷かれている。
そして例の事件があった、煙が立ち昇る場所は未だに壊れたトラック二つと、いくつかの護送車や戦車が取り残されていた。
砂漠に凄惨なる現場が記憶されたこの一連の出来事を、廃墟となったビルの中に、一人だけ双眼鏡を用いて観察していた。
「クックック……」
不気味な笑い声を一つ。上品な黒い服を包んだ者の正体は、かつて最初にこの世界でダンテを見つけた黒服だった。
「やはり、あの能力。『蘇生能力』は素晴らしい代物だ。大量に貯められている黄金の枝も惜しいが、特に……あの能力は私も喉から手が出る程ですよ……」
言葉を区切り、双眼鏡を下げ、再び口である湾曲した白い穴を開ける。
「しかし、警戒対象である『先生』側に着いてしまいましたが……連邦生徒会長が呼んだ、不可解なる存在。あの方も、ダンテ同様素晴らしい力を秘めている。もしかしたら、一石二鳥を狙えるかもしれませんね」
ジリリリリ……
突然、腕時計が鳴り出す。黒服はそれを確認したのち、再び笑い声を発しながら、後ろへ振り向く。
「約束の時間になってしまいましたか。本当は現存する残滓をもっと観測してみたかったのですが……久しぶりに揶揄ってみましょうか……クックック……」
そして場面はいつのまにか、とあるオフィスビルへと転換する。
「……格下のチンピラ如きでは、あの程度が限界か。主力戦車まで送り出したのに、このザマとは 」
「おやおや、どうもうまくいかなかったようですね。カイザーPCM理事長?」
「……黒服か。相変わらず、気味の悪い現れ方をする」
カイザーPMC理事は、忌々しげに顔を歪めながらも、影から姿を現した黒服から目を逸らさない。
「それで? 貴様の入れ知恵通り、アビドスを追い詰めた結果がこれだ。どう説明する? 『不死の兵士になり得る逸材』とやらを捕獲するどころか、主力部隊を壊滅させられたぞ」
「クックック……結果だけを見れば、失敗だったかもしれません。しかし、プロセスは実に有意義でした。あの男……ダンテの能力が、我々の想定を遥かに上回る『本物』であったことが証明されたのですから」
黒服は、まるで他人事のように肩をすくめる。
以前、黒服はダンテという規格外の存在を『兵器』としてカイザーに売り込む取引を持ちかけていた。そして今回のカタカタヘルメット団への支援とセリカ誘拐の指示は、アビドスを追い詰める表向きの目的と同時に、混乱に乗じてダンテを捕獲するための布石でもあったのだ。
「貴方の部隊が彼らを追い詰めてくれたおかげで、素晴らしいデモンストレーションを観測できました。部下たちが何度殺されようと、次の瞬間には何事もなかったかのように立ち上がらせる……。死という概念すら覆す、あの蘇生能力。これほどの『商品』、他にありますか?」
「……フン、性能は確かにな。だが、捕らえられなければ絵に描いた餅だ。結局、あの『先生』とかいう邪魔者が介入したせいで、計画は御破算ではないか」
カイザー理事の不満げな言葉に、黒服は愉悦を隠さず口元を歪めた。
「ええ、その通り。ですが、それすらも想定の範囲内。だからこそ、次の『手』が必要になるのですよ。正面から手を出せば、厄介なことになる。ならば……何も、我々のような『表』の人間が直接手を下す必要はないのでは?」
「……なるほどな」
黒服の意図を完全に理解し、カイザー理事は大きく、獰猛な笑みを浮かべた。彼はデスクの内線電話のボタンに、ためらうことなく指を伸ばす。
「今回の失態を埋め合わせるには、少々荒事も厭わん連中が必要だ。アビドスを完全に潰し、ついでにその『時計頭』も捕獲させる。これならば、一石二鳥だろう」
彼は受話器を取り上げ、短縮ダイヤルの一つを押した。呼び出し音が、静かなオフィスに響き渡る。その無機質な音を聞きながら、カイザー理事は、今度こそ手に入れるであろう究極の兵器を前に、ほくそ笑むのだった。
「ふむ……となると、目には目を、生徒には生徒を……か。専門家に依頼するとしよう」
同日、日が沈んだアビドスの街の一角にて。4人の生徒が、カタカタヘルメット団を蹴散らしていた。
「あ〜あ、こっちは終わったよ〜?」
「こっちも制圧完了だよ、社長」
次々と蹴散らす、ヘイローを浮かばせた四人の影。ヘルメット団も残り一人となってしまった。
「う、うぃ……何者だ、貴様らは……まさか……アビドスのか……!?」
「はあ、こんな不潔で変な匂いにする場所がアジトだなんて。あなたたちは冴えないね。……いいわ。あなたたちを、労働から解放してあげる」
闇の中で、ひっそりと微笑む影にヘルメット団も恐怖を覚えるしかなかった。
「なっ、何だって!?……ってうわああああ!?」
近寄る影から距離を取ろうと、一歩、また一歩と下がって行こうとした瞬間、足を滑らしてしまいビルから落ちてしまった。
「あら、観念して自ら落ちてしまったみたいね……まあ、いいわ」
ただ一つ。落ちて行く様を見守り……。
「私たちは便利屋68。金さえもらえば、何でもする……」
「何でも屋よ 」
……。
「って!あの子、足を滑らせて拍子にそのまま落ちていっちゃったわよ!?」
「はぁ、折角いい感じに締められたのに」
「くふふ〜。やっぱりアルちゃんはアルちゃんだね!」
「もし良ければ、この一帯を爆発させーー」
「それだけはやめて」
コメント
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まあダンテ的にも生き返らせる苦痛は依然としてあるしここいらでいっちょ時計に頼った戦い方を矯正するのはアリかもしれんねぇ
うわ~黒服凄く良いキャラしてるなぁ…先生も生徒の為に大人の対応してるのが凄くカッコいいなぁ ダンテ、だっけかな?言葉が伝わらないのは今後ヤバい時にキツそうだ…
おっ便利屋便利屋