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プルルル…プルルル…
深夜、携帯電話の呼び出し音がかすかに聞こえる。
箱根の12月はよく冷え、夜間だと0℃前後にも気温が下がり、雪も少しずつしんしんと降り始めていた。
寒さのせいだろうか。手袋越しに見つめている指先がかすかに震えていた。
その瞬間、携帯電話の呼び出し音がプツリと途切れると、耳に当てていた携帯電話の向こうから声が聞こえてきた。
真波『はい?』
真波の声を聞くと、徐々に息を荒らげ、かなり動揺している様子だ。
東堂「…ま、真波っ、オレ、オレっ…」
真波『東堂さん?どうされたんですか?』
声から伝わる東堂の動揺ぶりに、真波は少し焦ったように問いかけた。
東堂「…オレ、人をっ…人を、殺してしまったみたいなんだっ…」
電話越しに東堂のすすり泣きだけが響くと、真波がすぐに口を開けた。
真波『今、どこですか?』
真波の声は普段と変わらない。そんな真波の声だけが、今の東堂を少しだけ安心させたように見えた。
東堂「…小田原」
今にも消えそうなほどか細く、震えた声で答える東堂。
真波『小田原?…東堂さん、分かりやすいところ教えてもらえたら俺、向かいますから』
真波がやってきたのは安いアパートの一室であった。
中へ入ると、血だらけで横たわっている女性がひとり。
そして、その場にへたりと座り込んでいる東堂。そんな東堂の手には血の滴るナイフが握られている。
真波「この女性…。…東堂さん、平気ですか?」
東堂「…真波っ、すまん…。オレ、お前をこんな…ううっ…」
真波「東堂さん、大丈夫ですよ。俺といっしょに、この死体片付けましょう?」
東堂「…でも、それじゃあ…」
真波「東堂さん、今は自分のことで精一杯でしょ?俺の心配してる暇なんてありませんよ」
東堂「…すまない、真波」
真波「いえ。それ、もらいますね」
真波はやさしく微笑むと、東堂からナイフを受け取ろうとそっと東堂の手を包み込んだ。
東堂「…手、開かないんだ。固くて、ずっと握ったままなんだ」
虚ろ目でそうつぶやく東堂。
東堂の顔はそばで横たわっている死体に引けを取らないくらいにすっかり青白く染まっていた。
真波が包み込んでくれている手のひらの熱だけを頼りに力をふり絞ろうとしたが、どうやら真波は東堂の電話を受けてから家を飛びしてきたらしく、防寒用の手袋を着用してきていなかったようだった。
手のひらの熱どころか、冷めたひんやりとしたものだけが東堂の身体の中を循環していく。
真波はひとつ息を吐くと、何も言わずにナイフを握ったまま筋肉が硬直した東堂の指を、右手の人差し指からゆっくりと順に剥がしていく。
そしてその度、東堂の表情は少しずつ歪まっていく。
会話のない時間は、東堂の指を全て開き切るまで続いた。
けれどそれは不思議と苦じゃない時間で。
流れるようにすぎていく時間を背景に、そしてまだ、少しだけあたたかい死体を横に東堂は生理的な震えを未だ止められずにいた。
真波「…よし。東堂さん、全部開けましたよ」
真波はふうっと息をつくと、東堂の手に握られていたナイフをそのままそっと受け取った。
真波「これは後で死体と一緒に埋めちゃいましょう。…それと」
東堂の手に再度目をやる。
真波「指紋は拭き取った方が良さそうですね」
東堂「…ああ」
真波は腰を上げ、その場にぺたんと座り込んでしまっている東堂に手をさし伸ばした。
真波「東堂さん、立てます?」
東堂は何も言わず、差し出された真波の手首を強く掴みその場に立ち上がったものの、やはり脚はがたがたと少しだけ震えていた。
真波「この死体、お風呂場に運びましょう。東堂さん、足元の方持てますか?」
東堂「ああ、分かった…」
ふたりはそれぞれ死体を抱えると、安アパートの風呂場へと運び込む。
そして死体を風呂場に運び込んでから数十分後、風呂場からは生々しい音が響いて聞こえたきた。
シャワーの水の音に混じり、東堂の嘔吐、袋をかさかさといじる音、その中ではまさに地獄の光景が広がっていた。
真波「はは…東堂さん血だらけだ」
東堂「…くさいな」
真波「ですね、鉄臭いや。…東堂さん、手、震えてますね」
東堂「…力が抜けた」
真波「…少し、休憩にしましょうか。」
シャワーの湯は止めることなく、真波は血だらけのまま、血だらけの東堂の方へと近寄っていく。
そしてそんな東堂をそっと抱きしめ、口を開けた。
真波「…綺麗だよ、東堂さん」
数時間後、ふたりは一通り処理を終えると、服を着替えたのち部屋とお風呂場を念入りに掃除し、解体した死体やその他のものを袋に詰めたものを真波の持ってきたボストンバッグふたつに詰め込んでいく。
そして生々しい重さが肩にかかると、真波は最後の電気を消し、ふたりはそっと安アパートの部屋を後にした。
少しだけ離れた山へと続く道。といっても生い茂った草ばかりのけもの道だけれど。
空気の冷たさが鼻につき、東堂は前を歩く真波の背中をふと見上げた。
そして、口を開けて疑問を問いかけてみる。
東堂「…真波」
真波「なんですか、東堂さん」
真波は前を向いたまま、そう聞き返す。
東堂「…どうして手伝ったりなんかしたんだ?お前が、お前までが手を汚す必要なんてなかっただろ。俺が電話した時点で、お前は通報すればこんなとこに…」
そう東堂が言いかけた途中、真波がうしろを振り向くと、東堂の言葉を遮った。
真波「好きだから、東堂さんのこと」
東堂「…」
真波「俺は東堂さんの為ならこの身全てをあなたに捧げられるし、人だって殺せる。そして、あなただって」
東堂「…はは、重いな」
真波「仕方ないよ、好きなんだもん。それに俺、東堂さんと過ごす時間が誰よりも何よりも生きてるって感じるんだ。それだけじゃないけど、だから東堂さんにはこんなにも執着してるのかも」
山の中、雪の降るさき、空には星が輝いていた。
雲ひとつない空。
相変わらず空気はからっと乾いていたが、ふたりの間には独特の空気感が漂っていた。
そして、ふたたび歩き出す。
山の、奥へ、奥へと目指し歩き続けていく。
東堂「…そういえば、真波」
真波「はい」
東堂「…おまえ、さっき風呂場でバラしている時、妙に慣れていたよな」
真波「想像はしていましたけど、やっぱり想像しているよりもずっと大変でしたね。当たり前ですけど、実践なんてものもはじめてでしたし」
前を向きながらも、真波はへらっとした声で続ける。
真波「東堂さんこそ、途中嘔吐しながらとはいえよくやり切りましたね」
東堂「…おれは、まあ。真波、お前のその知識と知恵こそどこで入れてきたものなんだ?…まるで、そうだな。日常の一部かのような動きだった」
真波「あはは、そうですか?あれでもはじめてだったんだけどな。あなたの為にしなくちゃと思うと、自然とうまくできたのかな」
東堂「…」
真波「小さい頃、解剖学の本をよく読み漁ったりしてたんです。そういった類の仕事に憧れていたわけでもないですし、もちろん実践でいかせるものでもないのに…今思うと不思議だなって。けど、当時の俺は自転車にも出会う前でしたし、一番『生きてる』って思えるものがそれだったんですかね」
真波は独り言混じりに喋りながら、ふたり足は止めずに歩き進めていく。
真波が発言したあと少しの時間、沈黙が続いた。
東堂「…なら、良かったな」
真波「え?」
ふと、突然東堂が口を開けた。
東堂「今回、その知識を実践でいかすことができて」
真波は一瞬驚いたような顔を見せたが、いつもの笑みを浮かべると足を止め、東堂の方へと振り向いた。
真波「あはは、東堂さんってばなんだか麻痺しちゃってます?あのお風呂場の鉄くさいにおいといい、あんなことまでしたんですから。しょうがないですよね。けど、やっぱりあなたはもう…普通ではないのかもしれませんね」
東堂「ははっ、まあな。俺は普通の域に収まる程度の男では無いからな」
するとすぐに真剣な表情を見せ、真波と目を合わせた。
東堂「だが真波よ、これだけは覚えておくがいい。この東堂尽八が普通の道から外れ手を汚しこの道を歩むのは、すべてお前のためなのだよ」
真波は言葉が出なかった。
無理もない、真波は今の今まで大きな勘違いをしていたのだ。
東堂が殺した女は、今までひどく東堂に付きまとっていた悪質なストーカーであった。
警察にも何度か相談していたが、決定的な証拠がないと取り扱ってくれず、部にも個人の問題で迷惑をかけられまいと相談をしていなかったゆえ、東堂はひとりこの問題に頭を悩ませていたのだ。
東堂は寮住みだったために、幸い部屋に押し入れられたりなどの被害はなかったものの、そんな東堂よりも嫌悪感を抱いていたのが後輩の真波山岳であった。
感の鋭い東堂にとって、真波がそのストーカーに対し嫌悪感だけじゃなく明確な殺意を抱いていることに気が付かないわけもなく、やがて東堂は真波がその女を殺害する計画を立てていることを知ってしまう。
結局、真波は東堂の正当防衛だと思っていたが全ては最初から東堂の計画であった。
東堂は真波に手を汚させまいと、全ては真波の為に実行したことだったのだ。
真波「…そっか、そうだったんだ。全部全部、俺のためだったんだ」
真波は全てに気が付いたようにそう言うと肩のボストンバッグをそばに放り投げ、嬉しくてたまらなくなったような表情で思わず東堂をつよく、つよくつよく抱きしめた。
真波「俺がホントは全部するつもりだった。東堂さんも、それに気が付いてたんでしょ?大切で、だいすきなあなたには手を汚して欲しくなかったから。東堂さんには、東堂さんが自分で自分を愛せる綺麗なままの自分でいて欲しかったんだ」
東堂は真波を抱きしめ返すと、やさしく頭を撫でてやった。
真波「…だけど、ありがとう、東堂さん。あなたが全部背負ってくれたおかげで、俺…今こんなにもあなたと深く繋がれてる」
東堂「…愛してるよ、真波」
真波「…うん、俺も」
死体の入ったボストンバッグは草が生い茂る土の上に放り出され、東堂を抱きしめる真波の目はかすかに潤んでいた。
翌日、日常は変わらず訪れる。
早朝の澄んだ空にはカラスの鳴き声が響いている。
箱根学園自転車競技部のレギュラーメンバーとして、朝の練習はやはり欠かせないものだ。
東堂と真波、彼らは同じレギュラーメンバーのクライマーとして共に走る。
箱根の山、真波が東堂の前を走り風よけになる。
そして山頂の前、東堂が飛び出し山のてっぺんを狙う。
前を走る東堂を、追い風に乗った真波が追いかけ、そしてカーブをひとつ曲がると東堂の背中を見つけた。
真波「東堂さん!」
東堂「真波…」
真波「東堂さん、勝負しませんか?」
東堂「…仕方のないヤツめ。先に頂上の白線を越えた者が勝者だ!いいな?」
真波「ええ!」
朝に起き学校へ着くと授業を受け、昼には友人と共に昼食を取り放課後は部活に行く。
そして部活が終わると帰宅し、シャワーを浴びて夕食を取り、勉強をして歯を磨いて寝る。
いつもの日常。なんてことのない、普通の日常。
人を殺め、山に埋め、ふたり愛で深く深く繋がったところで明日の朝はこの世が終わらない限り永遠に迎え、日常は終わりが来るその日まで変わらず続くのだ。
だけれど日常の終わりなんて、所詮彼らにとっては意味の無いことなのかもしれない。
東堂と真波、ふたりの絆もこの世界のように、この世界が終わるその時まで一生、長い長い時間永遠と続いていくのだ。
たとえ世界がふたりの絆をほどこうとしても、ほどけないほどの絆で結ばれてしまった共犯者たちなのだ。
小田原のとある山。ふたりの秘密が眠る山。
風が吹き、山の木々たちを揺らしていく。
たとえ来世があったとしても、もう二度とふたりが出会うことはないだろう。
だってきっと、幸せになんてなれないのだから。