テラーノベル
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門を開ける朝、空は曇っていた。
ハルはそれを少し残念に思った。
境界の向こうには、もっと特別な空があるような気がしていたからだ。
「行くよ」
ミオが言う。
背負った袋は小さい。
水。食料。布。地図。磁針。簡単な救急道具。
二人は学校へ向かうふりをして北西へ曲がった。
古い搬入路。
草に隠れた舗装。
門の前でハルは鍵を出す。
「最後に確認」
ミオが言う。
「今日の目的は?」
「外へ出て、道と周囲を確認する」
「遠くまで行かない」
「暗くなる前に戻る」
「危険だと思ったら?」
「戻る」
「何か見つけても?」
ハルは少し迷った。
「……戻る」
「今の間は何」
「何でもない」
ミオはため息をついた。
鍵を差し込む。
回す。
重い。
もう一度力を入れる。
ガチン。
以前、補助解除で聞いたものより深い音が門の中で響いた。
操作箱の小さな灯りが一つだけ点いた。
「生きてる」
「全部死んでるわけじゃないんだ」
二人で手動レバーを動かす。
扉が少しずつ開く。
三十センチ。
五十センチ。
人一人が横向きなら通れる幅。
向こう側から風が入る。
土と草の匂い。
ハルは足を止めた。
以前は隙間から見ただけだった。
今日は、その向こうへ行く。
「怖い?」
ミオが聞く。
「かなり」
「私も」
ハルは一歩踏み出した。
靴の半分が境界の外へ出る。
何も起こらない。
もう一歩。
体全部が外へ出た。
ハルは振り返った。
壁の向こうにミオ。
「どう?」
「普通」
「それが一番怖い言い方」
ミオも越える。
二人はしばらく何も言わなかった。
境界の外側から、初めて村の壁を見る。
高い。
想像していたより、ずっと高い。
「中から見るより壁だね」
ミオが言った。
「同じものなのに」
門を閉める。
完全にはロックしない。帰るため、鍵で開けられる状態を確認する。
ハルは地面を見る。
舗装路は草に割られながらも北へ続いている。
「本当に道だ」
「地図通り」
二人は歩き始めた。
十歩。
二十歩。
ハルは無意識に数えていた。
「数えてる?」
「数えてない」
「今、口動いてた」
「癖」
百二十歩を越えたところで、ハルは振り返った。
境界はまだ近い。
なのに、村は見えない。
壁しか見えない。
「変な感じ」
「何が?」
「ずっと村の端だと思ってた場所が、こっちから見るとただの壁」
道の両側には木が増える。
虫の声。
鳥。
風。
怪物はいない。
毒の霧もない。
それでも二人は慎重に進んだ。
知らない植物には触らない。
水たまりの水は飲まない。
建物らしい影があっても近づかない。
一時間ほど歩いたところで、ハルが足を止めた。
「これ何?」
草の中に大きな金属の塊。
四つの丸いものがついている。
「機械?」
「たぶん」
錆びた扉のような部分。
割れた透明板。
ミオが地図と見比べる。
「昔の移動する機械かも」
「これで道走った?」
「たぶん」
ハルは中を覗く。
座席。
丸い輪。
「人が乗るんだ」
世界は突然広くなった。
村では見たことのないものが、道端に捨てられている。
「帰って話したら、ナナ喜びそう」
口にしてから、ハルは胸が痛んだ。
帰る。
絶対に。
その時。
遠くで金属音がした。
二人は身を低くする。
「何?」
「分からない」
もう一度。
カン。
風で何かが揺れているだけかもしれない。
でも二人は進むのを止めた。
「戻る?」
ミオが聞く。
ハルは道の先を見る。
「あと少し」
「約束」
「分かってる」
「ハル」
その声が強くなる。
ハルは息を吐いた。
「戻ろう」
二人が向きを変えたときだった。
道の脇の土に、跡を見つけた。
靴跡。
二人のものではない。
古いか新しいか分からない。
ただ、雨で完全には消えていない。
「人?」
ハルがしゃがむ。
ミオも見る。
「動物じゃない」
「村の大人?」
「外へ出ないって言ってた」
「点検で出る人がいるかも」
「それならトウマさんが知ってる」
二人は足跡を追わなかった。
今日の目的を越える。
けれど、外に何もないという言葉は、また一つ崩れた。
帰路。
境界が見えたところで、ハルは安心した。
同時に、門の前に人影があることに気づいた。
「誰かいる」
トウマだった。
父は腕を組み、門の外側に立っていた。
ハルは驚いて走る。
「父さん!」
「遅い」
「なんで外に?」
「お前が鍵を持っていったから、予備を使った」
「父さん、外に出たことないって」
「今日まではな」
ハルは言葉を失った。
トウマはミオの無事も確認する。
「怪我は?」
「ない」
「何か食べたか?」
「持ってきたものだけ」
「水は?」
「持ってきたのだけ」
父はようやく息を吐いた。
「帰るぞ」
ハルは動かなかった。
「父さん」
「何だ」
「道、続いてた」
「そうか」
「古い機械もあった。あと足跡」
トウマの表情が変わる。
「足跡?」
「誰のか分からない」
父は道の先を見る。
「だから言っただろ。何があるか分からない」
「うん」
ハルは頷いた。
以前なら反発した。
今日は違う。
分からないから調べる。
分からないから警戒する。
両方とも間違いではない。
門をくぐろうとした時、ミオが振り返った。
「トウマさん」
「何だ」
「外、どうでした?」
父はしばらく空を見た。
「思ったより普通だ」
ハルは笑った。
「俺と同じ」
門を閉じる。
村へ戻ったところで、シンと数人の大人が待っていた。
ユイもサキもいる。
母がハルを抱きしめた。
サキはミオを強く抱いたあと、頭を叩いた。
「痛い」
「当たり前でしょ!」
シンの顔は険しい。
「トウマ」
「俺が話す」
父が前へ出る。
「二人は外へ出た。俺も境界の外へ出た」
周囲がざわめく。
「処分の話はあとだ」
トウマは続けた。
「まず、二人が見たものを聞く」
ハルは父を見る。
止めたいと言っていた人が、今は話を聞こうとしている。
その夜、村の大人たちは遅くまで集まった。
ハルとミオは行き先を書いた紙を渡した。
北の旧道。
道端の機械。
足跡。
遠くへは行っていない。
だが二人は、もう決めていた。
次は旧道をもっと先へ行く。
管理棟の地図にあった古い中継地点まで。
そのことはまだ言わなかった。
外は空っぽではない。
少なくとも、道は続いている。
そして誰かの足跡がある。
ハルは窓から境界の向こうを見た。
初めて越えたのに、不思議だった。
外へ出たことで、外への疑問は減らなかった。
むしろ増えた。
門の外へ出てすぐ、ミオは地図の端に時刻を書いた。
「何してるの?」
「出た時間。帰った時間と比べる」
「そこまで?」
「次があるなら必要」
ハルは「次」という言葉に少し笑った。
怖いと言っていたミオも、もう次を考えている。
歩きながら二人は、目印を決めた。
折れた標識。
二股の木。
路面を横切る太い亀裂。
戻る時に同じものを確認する。
外は広いからこそ、村のように「知っている道」がない。
百二十歩を過ぎ、壁が視界から消えた時、ハルは急に足を止めた。
「どうした?」
「音」
「何の?」
「村の音がしない」
水を送る低い機械音。
畑から聞こえる声。
金属を叩く修理の音。
いつも意識していなかった音が、ここには一つもない。
代わりに葉が擦れ、虫が鳴き、遠くで鳥が声を上げる。
「静かじゃないのに、静か」
ミオが言った。
ハルは頷いた。
外へ出るというのは、壁を一枚越えるだけではなかった。
自分が当たり前だと思っていた音や匂いから離れることでもある。
道脇で見つけた靴跡については、ミオが地図に位置だけ記した。
「追わないの?」
「追わない」
「写真みたいに残せたらいいのに」
「絵にする」
ミオは紙へ形を写した。
踵らしい丸み。前側の欠け。大きさ。
「古そう」
「分からない」
「雨で薄くなってる」
「だから、最近誰かがいる証拠にはしない」
ハルは頷いた。
この跡は、誰かが昔通った痕跡かもしれない。
自分たち以外の人間が今ここにいると決めるには弱すぎる。
だからこそ、後で現れる新しい痕跡とは分けて考えなければならない。
帰り道、二人は決めた目印を逆順に確認した。
太い亀裂。
二股の木。
折れた標識。
そして境界。
「帰れる」
ミオが小さく言った。
その声を聞いて、ハルは自分も同じ不安を抱えていたことに気づいた。
外へ出られるかより、帰れるか。
門の前で待っていたトウマを見た瞬間、胸の奥にあった緊張が一気にほどけた。
父が初めて境界を越えた理由が、自分を連れ戻すためだったことを、ハルは忘れないと思った。
コメント
1件
ああ〜〜〜ついに越えたんだね!境界の外!!😭💕 「思ったより普通だ」ってトウマさんが言うシーン、めっちゃ胸にきた…ハルと同じ感想なのが親子っぽくてじんわりしたよ。 外に出ても謎が減るどころか増える感じ、めちゃ分かる。音が違うとか、あの靴跡とか…次が気になりすぎる!二人がまたあの道を行くところ、絶対読みたいです!!📖✨