「 侑、お前これどこまで分かってる? 」
「 えーっと…この文法、ちょっと怪しいです 」
「 正直でよろしい。ほな、ここの構造な―― 」
静かな部屋に、シャーペンの音と北信介の落ち着いた声が響いていた。
北さんの家は勉強に集中できるって噂は聞いてたけど、こんなにも静かやと逆に落ち着かん。
……いや、落ち着かんのは、この距離のせいや。
教科書を開いて、隣で覗き込むように説明してくれる北さん。
肩が、近い。手が、近い。
北さんはただ真面目に教えてくれてるだけやけど、オレはって言うと、もうさっきから心臓がうるさくてしゃあない。
「 ほら、この文の構造。ちゃんと分解してみ 」
「 あ、はい….えっと、主語が ‘He’ で…動詞が ‘has been’? 」
「 惜しい。進行形と完了形の組み合わせやから…. 」
すっと北さんの指が、オレのノートの間違いをなぞる。
その指先が、オレの指先と一瞬だけ触れた。
……やば。なんか、へんな汗出てきた。
「 侑、顔赤いけど大丈夫か? 」
「 えっ、いや..たぶん暑いだけです。北さん、冷房つけてええですか 」
「 ええけど…..無理すんなよ。詰め込みすぎんでいい 」
「 ありがとうございます…. 」
ほんまにやさしい人や。
そのやさしさに、たまに勘違いしそうになる。
いや、勘違いちゃうな。――ずっと前から、ちょっとずつ、気持ちが動いてるのはオレの方で。
――そのとき。
「 あ、ペン落ちた 」
「 あ、取ります! 」
北さんの足元に転がったペンを取ろうとして、体を乗り出した瞬間。
カーペットの端に手が滑って、バランスを崩した。
「 ――うわっ! 」
「 ――侑っ…..! 」
気づけば、北さんの体に覆いかぶさる形になっていた。
肩に手をついたまま、距離、ゼロ。
息が当たる。目が合う。思考が止まる。
「 っ..す、すみませんっ!! 」
慌てて体を起こす。けど、手のひらに残る感触が、妙にリアルで。
顔が火照って、まともに北さんを見れへん。
「 ….わざとやないんですよ、ほんまに 」
「 分かっとる。お前がそんなことするタイプやないのはな 」
そう言いながらも、北さんの声が、いつもより少しだけ低い。
「 ..でも 」
「 …..え? 」
「 もし、わざとやったとしても。オレ、怒らへんと思う 」
言葉の意味を理解するまでに、数秒かかった。
顔を上げたら、北さんがちゃんと、オレを見てた。
「 お前、オレのこと…どう思ってるんや? 」
冗談やない。北さん、真面目な顔してる。
その問いに、心の中で誤魔化し続けてた想いが、急に現実になった気がした。
「 ….尊敬してます。ずっと、あこがれてて..それで、たぶん….. 」
「 たぶん? 」
「 …..好きなんです。北さんのこと 」
沈黙が落ちた。
でも、不思議と怖くなかった。
北さんは、ゆっくりと、口元をゆるめた。
「 ほな….もうちょい勉強がんばったら、ええことあるかもな 」
「 ……え? 」
「 そういうんちゃんと伝えられるようになるには、まず英語のテストで赤点回避せな 」
「 えぇ~、めっちゃ現実的ですね.. 」
「当たり前やろ。….でも、俺も、もうちょっとお前のこと見てたいと思ってる」
「 ……えっ 」
「 ほら、集中せえ。こっからが本番やぞ 」
優しい声と、あたたかいまなざし。
それだけで、もう今日は寝れそうにない。