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昼休みのチャイムが鳴るほんの少し前。
体育館の裏口から戻ってきたオレは、サムと並んで校舎の廊下を歩いとった。
ガラス窓の向こうには、まだ春には遠いけど少しだけあったかい陽が差し込んで、サムの髪の端が光を吸うみたいに白っぽく見えた。
「 ツム、聞いとる? 」
「 聞いとるって。昨日の晩ごはんが親子丼で、タマゴ半熟じゃなかったんがショックって話やろ 」
「 ….ちゃんと聞いてるな、やるやん 」
サムは少し口元をゆるめたけど、その目は笑ってへん。
最近、サムのそういうとこに気づくようになった。けど、オレはなにも言わへん。聞いてもどうせ、「 なんもない 」って返される。
だからオレも、何も言わんまま、進行方向だけを見とる。
けど――
「 …..あ 」
見覚えのあるシルエットが、廊下の奥からこちらに向かって歩いてくるのが見えた瞬間、オレの足が少しだけ止まりそうになった。
北さんや。
白のフェイスタオルを肩に掛けて、髪を片手でくしゃくしゃに拭いながら、こっちに向かって歩いてくる。もう練習は終わったんやろか。ジャージのファスナーを半分だけ上げたまま、首元の汗がまだ乾いてへんみたいやった。
距離は、あと5メートル。
オレは自然なふりして、歩幅をほんの少しだけ落とす。サムはそれに気づいたか、気づかんふりをしてるかのどっちかで、何も言わんまま横におる。
3メートル。
「 お疲れ様です、北さん 」
すれ違うほんの直前、オレは声をかけた。
時間にしたら一秒あるかないか。その一瞬の間に、北さんはオレの顔を見て、少しだけ口元を上げる。
「 …..おぅ、侑。おつかれさん 」
たったそれだけのやりとり。言葉も表情も、たいした意味のないものやって頭ではわかっとる。
でも、あの目。
まっすぐで、優しくて、けどちょっとだけ探るような。
あれを見るたびに、オレの心臓は勝手に暴れよる。
すれ違ったあと、肩越しに振り返るのは野暮やとわかってるからせんかった。
でも、指先がピリつくみたいに熱い。
そんなオレに、隣のサムがぽつりと呟く。
「 ……あんなんで嬉しいんや? 」
「 べ、別に….嬉しいとかちゃうし 」
わざと鼻で笑ってごまかしたけど、サムの表情はずっと変わらへんかった。オレの横顔をちらっと見る目は、昔とは少しだけ違ってた。
**
夜、ベッドに転がりながら、スマホをいじるふりして、北さんとのやりとりを何度も反芻する。
“ 侑 ”って呼ばれるだけで、オレはこんなにも嬉しくなってまう。
でもあの人からは一度も「 好き 」とか「 付き合おう 」 なんて言葉は出てきたことない。
それでも、誰よりも優しいタイミングで目が合う。誰よりも自然に、近くにおってくれる。
それって、脈アリなんか?
いや、脈どころか――もうオレら、両想いなんちゃうんか?って何度も思う。けど、確証は、ない。
そんなふうに、ふわふわした境界線の上で、今日も一日が終わる。
**
ドアがノックもなく、ふいに開いた。
「 風呂、空いたで 」
「 ん、ありがと 」
サムが少しだけ顔をのぞかせて、ドアの枠に寄りかかる。
「 …ツム 」
「 なん? 」
「 今日、北さんと何話したん 」
「 なんで 」
「 なんとなく。気になっただけ 」
「 …..ただの挨拶やん。『 おつかれさん 』って言われただけや 」
「 ふぅん 」
サムはそれだけ言って、何も言い足さずにドアを閉めようとした。
でも、閉まるその一瞬。ほんのかすかに、聞こえた。
本当に、吐き出すような、小さな小さな声で。
「 ……オレの方が、ツムのこと知ってんのに。 」
‐‐‐
この距離が続く限り、侑は気づかない。
それでも治は、隣にいることをやめない。
“ 好き ”という言葉が、誰にも言えないまま、ただ時間だけがすれ違っていく。