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嗚咽が叫び声に変わっても誰にも聞こえない。年代物のブルーバードのエンジン音は低く重く轟とどろいて全てを掻き消した。


「助けて、お願い、誰にも言わないから」


 すると惣一郎は「あっ!」と声を漏らし、表情は晴れやかなものになった。


「そうだ、キャンパスが見える海にしましょう」

「ーーーーーえっ」

「徳光の海岸は人の出入りが少ないですからね」


 その場所は金城大学短期大学部の建物から、田畠の中を蛇行した農道の先にある。北陸高速道路を潜る旧道のトンネルを抜けると粒の細かい砂地の浜辺が現れる。


「人が出入りする事も少ないので作業も捗るでしょう」

「い、いや、いや、嫌だ!」


 私は手足を動かし反抗したが、蝶の蛹さなぎには無駄な努力だった。


「七瀬は波打ち際ではしゃぎ過ぎたんです」

「な、に」

「私と徳光の海岸で遊んでいて波に足を取られて」

「なんの事」

「離岸流に飲み込まれてしまったんです」

「そんな訳ないよ、おかしいよ!」

「あっという間の出来事でした」


 その時感じた。これは惣一郎の悪ふざけでもなんでも無い、私は 碧 さんやもう一人の女性の様に埋められるのだ。


「こんな!」

「こんな、なんですか」

「ガムテープを巻いていたらおかしいよ!」

「なにを言っているんですか、おかしな子ですね」


 顎の付け根が震えた。


「穴に入って頂く時はガムテープは外しますから安心して下さい」


 前歯の噛み合わせが醜く音を立てた。


 「あぁ、ガムテープを剥がす時は痛いかもしれませんがそれは我慢して下さいね」


 汗は乾き恐怖で全身が冷たくなった。


「時々会いに行ってあげますよ」


 手首と足首には力ずくで巻かれたガムテープが血流を堰せき止めていた。指先が白く色褪せてゆく。意識が朦朧となった。


(こんな事なら大垣と千里浜海岸、ドライブに行けば良かったな)


 この状態を受け入れ、観念した私は同級生の顔を思い浮かべた。


「七瀬、七瀬、起きて下さい」


 膝小僧を揺さぶられた私は閉じていた瞼を開いた。温かな手の温もりは惣一郎のものだった。それはコテージのベッドの中で感じた指先、この一夜の出来事が悪夢だったのでは無いかとその顔を仰ぎ見た。


「そう、惣一郎」


 然し乍ら惣一郎の目の下は酷く落ち窪み髭が伸びていた。それは一夜を明かした証だった。身動きがとれない私の手首や足首は色を変え、ビニールロープが巻かれていた肘と膝の裏にはミミズ腫れが醜く血が滲んでいた。


「・・・・・!」


 私は助手席に起き上がれるまでに自由が許されていた。ハサミで切り落としたビニールロープが足元で戸愚呂とぐろを巻いていた。ガムテープで拘束された手足を隠すように肩から毛布が掛けられシートベルトで固定されていた。


「最後のドライブがあの状態では勿体無いと思いませんか」

「は、はい」


 奈落の底に突き落とされる。


(ーーー夢じゃなかった)


 惣一郎の運転するブルーバードは金沢市の街並みをゆっくりと走った。それは葬列の棺、私はここで終わるのだ。


「ほら、ここは初めて口付けた場所です」


 身体の芯から蕩けた熱い口付けが走馬灯の様に蘇り涙となって頬を濡らした。ブルーバードは一時停止の標識で停まりウインカーは右で点滅した。


(惣一郎は何処に住んでいるんだろう)

「惣一郎の家は何処にあるの」

「小坂町こさかまちです」

「それ、何処」

「東金沢駅ひがしかなざわえきの近くです」

「ーーーそう」


 泉ヶ丘高等学校の赤煉瓦の正門、向かいのベーカリーショップの扉のカーテンは閉じたままでバス停に人の姿は無い。


「惣一郎、今、何時なの」

「4:00、少し前ですね」


 早朝の街並みは物音ひとつせず、遠方の客を送迎したタクシーが片町方面へと向かう。路肩の電信柱のゴミステーションのゴミ袋には緑色のネットが掛けられカラスが群がっていた。


カァ カァ カァ


 彼らはブルーバードのエンジン音に慌てて飛び立った。


「七瀬のご自宅はこの辺りでしたよね」


 私は力無く頷いた。こんな事ならば母親に嘘を吐いて出掛けなければ良かった。タイヤは無情にも家の前を通り過ぎ、黄色で点滅する信号機を後にした。

木陰からいつも奥さまがこちらを見ていました

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