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「両親毒殺事件」の犯人は河北柚香といった。
小野寺は河北柚香から高校時代の千尋の話を聞くために、当時事件を担当した所轄の刑事から、河北柚香の保護司の連絡先を聞き、会って話を聞きたい旨の連絡を取った。
数日してから保護司から連絡が来て、河北柚香の指定する場所で小野寺一人なら良いと言われた。
保護司の話だと、彼女は動画配信を仕事にしているらしい。
待ち合わせのために彼女のチャンネルを見て見たが、大き目のサングラスで目を見ることはできない。その代わりに、細く痩せている腕と首。長い黒髪が印象に残った。
河北柚香の指定してきた場所は、彼女が住む地域の駅側にある遊歩道。そこにあるベンチだった。
指定されたベンチは遊歩道の真ん中にあり、後ろに美容室の看板が設置されていた。
小野寺は指定された時間より早めに着くと、ベンチに腰を下ろした。
午前中で天気は良いが、人通りは少ない。
そして10分ほどたったころに「小野寺さんですか」と、声をかけられた。
小野寺が顔を上げるとボブをピンクに染めて眼鏡に黒マスク姿の女性が立っていた。
「あれ?もしかして」
「河北です」
小野寺は驚いた。ネットで配信している彼女は腰までありそうな黒髪だったからだ。
「ああ、これっすか。ネットのはカツラなんすよね。それより一人ですか?」
「はい。一人できました。警視庁目白警察署の小野寺と申します」
警察手帳を見せると、河北柚香は小野寺の顔と手帳を交互に見ながら「なんすか?警察が話しって?」と、頭をかきながら面倒くさそうに聞いてきた。
ダブついた服を着ているが、外に出ている首や手から、かなり痩せているのがわかる。
動画で確認したものと間違いない。
「今日来たのは高校時代に河北さんが親しくしていた、矢島千尋さんについてお話を聞きたいんです」
「千尋…… ああー。千尋ね。千尋なんかしたんすか?」
「いや。そういうわけじゃないんです。ただ、ちょっと気になることがありましてね」
「ふうん……」
眼鏡の奥からこちらを探るような目を向ける。
「河北さんは事件の前に、頻繁に矢島さんと話していたそうですね」
「まあ、友達でしたから」
「話の内容は覚えていますか?」
「すんません。昔のことすぎてあんま覚えてないかも」
「思い出せる範囲でいいんです。あなたは矢島さんと主に何を話していました?」
「別に。大したことは……普通にどうでもいい話とか……あとは私の悩みとか」
「それは偽物の家族についてですよね。そのとき矢島さんはあなたになんと言いましたか」
「あなたは間違えていない。新しい家族を作ればいい」
「それはどういう意味で?」
「さあ。でも凄いなって思いましたよ。だって、私の悩みを聞いて、私を肯定して「新しい家族を作ればいい」なんて、千尋しか言ってないんすから」
「後はなにか?」
「克服しないといけない。とか。自分で乗り越えれば自分が好きになれる。とか」
「克服について具体的には?克服とはなにを指していたのですか?」
「さあ……聞いたら「人それぞれ意味も中身も違うから」って、具体的には教えてくれなかったっす。自分に家族と比較してコンプレックスがあるから家族と思えない、そのコンプレックスを克服すれば家族の一員として自信がつく……今考えるとそんな意味かもしれないっすね」
「でもあなたは犯行に及んでしまった。矢島さんの助言の影響があったからですか?」
「いえ。たんに私が限界だっただけっす。調書のとおりっすよ」
当時の調書によると、河北柚香は「これ以上偽の家族といると自分が消えてしまう」と語っている。
小野寺には全く理解できない理由だった。
自分がこれまでの刑事生活で無数に接してきた事件は、金銭、人間関係の拗れ、大小はあれど権力闘争、どれも動機としてはわかるものだった。
大方の事件の動機はこの三つにわけられる。
しかし、河北柚香の犯行動機は人間関係の拗れに見えるが、拗れるような関係と呼べるものがあったのかと聞かれたら「無い」だろう。
彼女は小学六年生の頃に、この妄想に取り憑かれ、高校一年の事件まで家族とほとんどコミュニケーションをとらなかった。
拗れるような関係は彼女と家族の間にはなかった。
一方的な思い込みが長年蓄積して爆発した。
鈴蘭の毒を食事に混ぜて両親を殺したのだ。
小野寺からは理解不能な存在と言わざる得ない。
しかし矢島千尋は、常人には理解し難い河北柚香を理解していた。
少なくとも河北柚香はそう思っている。
河北柚香と話してわかったことは、矢島千尋は相手を肯定して背中を押す。そういう助言をしたことだ。
きっと小川一華に対してもそうだったのだろう。
そして小川一華は母親の自殺後も矢島千尋をセラピーの相手として親密にしていた。
「矢島さんは、例えばあなたが家族と離れて暮らしてみる。そういうことは言わなかったのですか?」
「それじゃあ根本的な解決にはならないって言ってましたね。私も言われてみればそうだなって」
「なぜ?なぜ解決しないと思ったのです?」
「新しい家族ができたときに偽物の家族が存在するのは歪だから排除した方がスッキリする。私はそう解釈しました。さっきも言ったけど、千尋って具体的なことは言わないんすよ。こっちが自分なりに考えられるようにだと思うんすけどね」
柚香は笑いながら頭をかいた。
「矢島さんはどんな人でした?印象とか普段の様子とか」
「人気者でしたよ。クラスの中心っていうか、いわゆる一軍とか目立つようなグループじゃないんすけど、なんか影響力があるみたいな」
河北柚香は言いながら首を傾げた。
周囲の人間は矢島千尋と接して影響される。
その影響が伝播する。
それがいつの間にか全体に拡がっているということなのだろうと、小野寺は推測した。
「私が言うのも変だけど、千尋って何考えてるのかわからないとこあるんすよね。いつもにこにこしてるけど、たまに何がそんなに楽しいのか不思議だったり」
ふうっと息を吐いてから空を仰ぎ見る。
「千尋が私を理解してくれたみたいに、私は私なりに千尋のこと理解しようとしたけど、最後までできなかったなあ……」
河北柚香は懐かしさと寂しさが混ざったような顔をした。
「医療少年院を出てから矢島さんには連絡は?会いに行きましたか?」
河北柚香は首を振る。
「私なんかが会いに行ったら迷惑っすよ」
「矢島さん……今は結婚して橋本さんですが、あなたのことは今でも大切な友達だと言っていましたよ」
「そうすか……ハハッ……嬉しいな」
そう言いながら頭をかくと河北柚香は顔を伏せた。
「刑事さんはどう思います?他人にはわけわかんない理由で人を殺した奴がこうして社会で生きているのって」
小野寺は言葉を考えた。
「やっぱ許せないっすか?」
「いや……無関係な人間には許すも許さないも、そういう権利はないでしょうな。あるとすれば遺族だけ。だけど法の下で罪を償ったのなら、その人が生きることは社会として許されなければいけないと思っています」
小野寺の言葉に河北柚香はなにか言葉を返すことはなかった。
ただ、空を仰ぎ見ているだけだった。
小野寺は河北柚香の横で考え込んだ。
話を聞いて、橋本千尋がどういう人間か、断片的にわかった気がしたからだ。
彼女は恐ろしく忍耐強く、人心を把握する術に長けており、罪悪感を持ち合わせていない。
話し相手の心を見抜いて、欲しい言葉を投げかける。そうやって自分の望む方向に根気よく誘導を続けていく。
河北柚香の場合はそれが両親毒殺だった。いや、毒殺でなくても良かったのかもしれない。
偽りの家族という妄想に苦しみ河北柚香が、苦しみの根本を自ら排除する。人に人を殺させる。それも直接的な言葉は使わずに。
おそらくは小川一華にも同じことをしたのだろう。
彼女は一時期ずっと橋本千尋の影響下にあった。
母親の自殺は?あれは高橋智花たちを誘導した結果なのか?
そうなると小川一華の父親失踪も、実は殺人事件なのかもしれない。
だが、今となっては調べる術もなく、永遠に謎のままだ。
では、橋本千尋がそんなことをする動機はなんなのだろう?
そんなことをしていったい何の得が彼女にあるのだろう?
少なくとも橋本千尋は中学生のころからこうした行為を続けている。
それは何故だ?
「どうしたんすか?」
「いや、ちょっと考え事を」
「千尋のことっすか?」
「ええ。矢島千尋、今は橋本千尋さんですが、彼女はあなたに会う前から、そして会った後も続けているんだと思います。人の話を聞き、導くことを。なぜそんなことをしているのかが私にはさっぱりわからなくて」
「ああ……それね。困っている人を見ると放っておけないとか。助けている自分が好きとか。理由付けはいろいろできますよね。千尋がどうとかは別として」
確かにそうした理由の可能性はある。罪悪感がないゆえに元凶の排除、殺人というゴールに導くのか。
「千尋ってまだ家庭菜園やっていました?」
「えっ」
河北柚香の不意な質問に小野寺は顔を向けた。
「家庭菜園……そういえば確か庭にトマトがたくさん」
「あれまだやってたんすか。千尋って、私と会った頃もやっていたんですよ。家庭菜園。毎日記録までつけて。小学校のころからやっているって言っていましたね。亡くなったお母さんから引き継いだって。自分が育てて成長する、命を育むことが楽しくてやめられないって言っていました」
「そうなんですか」
「もしかしたらトマトの延長かもしれませんね」
河北柚香の一言に小野寺は言葉を失った。
橋本千尋にとってはトマトも人間も、自分が手塩にかけて育てた対象ということに代わりはないのかもしれない。
自分の望む方向に茎をのばし、余計な枝葉を取り除き、実をつけさせて収穫する。
彼女にとっては人に殺人を犯させるのはそれだけのことに過ぎないのではないか?
もしそうなら、橋本千尋は自分やこれまで関わってきた犯罪者も含めた「人間」とは全く違う。
人間社会に人の皮をかぶった「なにか」が紛れ込んでいるようなものだ。そして「なにか」のやっていることを止めることは人間社会にはできない。なぜなら人間社会のルールである法律を何一つ犯していないからだ。
「でもそれのなにが楽しいのか、やっぱ私にはさっぱりわかんないっす」
河北柚香は笑って言った。
「ねえ、小野寺さん。千尋って最近ニュースでやってる連続殺人事件に関わってるんすか?それの捜査じゃないんすか?」
「どうしてそう思うんです?」
「だって失踪事件といい、殺人事件といい、みんな千尋がいた中学校の関係者じゃないすか。それが解決もしていないときに千尋の話を聞きたいと刑事が来る。私みたいな馬鹿でもそのくらいわかりますよ」
河北柚香の横顔は寂し気に笑っている。
橋本千尋は彼女のことを今でも大切な友達と言っていた。
「いやいや、あなたは馬鹿なんかじゃありませんよ。とても頭の回転が速い」
「千尋は逮捕されます?」
「いえ。彼女は犯人ではありません。あなたの話を聞いてそう思いました。彼女のやっていることは今の社会では決して逮捕されません」
「そうすか……」
小野寺は別れ際に、河北柚香から「なにか思い出したら連絡する」と言って連絡先を交換した。
小野寺は一人歩きながら考える。
この事件に橋本千尋は直接的に加担していない。こうした殺人に加担するのは、少なくとも今話を聞いたうえでの彼女の印象からはかけ離れている。
小川一華は過去に橋本千尋から助言、マインドコントロールで受けたものが長年の間に肥大して今回の犯行に及んだのではないだろうか。
あまりにも理解しがたく現実離れしているが、小野寺にはこれが真相に最も近いと思えてきた。
しかし証拠は何一つない。そして自分一人ではこの事件を捜査するのは無理だと悟った。
もはや事件を解決するには彼女たちの自供しかないが、彼女たちがそうした取り調べの対象になることは、現在の捜査本部を見ているとまずないだろう。
唯一の望みがあるとしたら小川一華だった。
今の小川一華は限りなく橋本千尋に近付いているのかもしれない。それでも橋本千尋に比べればまだ人間味が残っていると思う。
もし対話ができれば、今の自分なら彼女の心に訴えかけることができるかもしれない。
だがそうなった場合、正式な捜査でないのだから自分は一人で会うことになるだろう。
運良く自供が引き出せるかもしれない。あるいは殺されるかもしれない。
そう考えたとき、殺される可能性の方が圧倒的に高いだろうと小野寺は思った。
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