あっという間にお茶会当日になってしまった。私はいつもより念入りに侍女たちに服装チェックをされる。お母様も交えたそれはかなりの長時間に渡り、お茶会に行く前に疲れてしまった。
最終的に淡い水色のドレスに決まる。ドレスひとつ選ぶのに大騒ぎだ。準備が整ったので、お母様と一緒に馬車で王宮へ向かった。
王宮は『ストラ湖』というコスタビューテ最大の湖の中にある島の上に建っている。周りは高い塀に囲まれていて、外から中の様子を伺う事はできない。
島に入るには島とを繋ぐ唯一の橋を渡るしかないのだが、橋の手前には検問所があり、出入りを厳しく制限している。これを無視して船で島に入る方法もあるにはあるけれど、ストラ湖には船を沈めて落ちた人間を餌にする怪物がいるという恐ろしい噂があるので、誰もやろうとはしない。そもそも怪物に食べられる前に見張りの兵士に見つかってしまう方が早いので、どのみち無理なのだけど……
屋敷から馬車でおよそ1時間。王宮の入り口に着いた。ここに来るのは半年振りだ。王宮は相変わらず豪奢でキラキラしている、そしてデカい。ぼんやりしていると迷子になりそうなので、お母様の服の裾を軽く摘む。王宮の執事さんがすでに待機しており、私たちをお茶会会場まで案内してくれた。以前参加した時は王宮内の庭園での立食形式だったので今回も同じがいいな。着席形式だと手持ち無沙汰になって落ち着かないもの。
私の願いが届いたのか、案内されたのは王宮の庭園だった。辺りを見回すと参加者の何人かはすでに到着しているようだった。綺麗にセッティングされたテーブルの上にはサンドウィッチなどの軽食やスコーン、ケーキといったお菓子が並べられている。前回と同じような立食形式だった事にほっとしたけれど、私に集まる視線の多さが全く違う。
うぅぅ……痛い痛い視線が痛い。もう帰りたい。
「クレハちゃん、まずは王妃様にご挨拶に行くわよ。しっかりね」
「はい……」
お母様に促され、今回の茶会の主催でもある王妃様の元へご挨拶に向かう。私は深く息を吸って気合いを入れ直すと、前回覚えた挨拶口上を頭の中で繰り返しリピートした。
「なんか……拍子抜けしちゃった」
緊張はしたものの、王妃様へのご挨拶が何事も無くあっさりと終わってしまったからだ。王妃様は半年前にお会いした時と変わらず、優しく私を迎えて下さった。最初こそ周囲の絡みつくような視線に戸惑ったけど、今はそんな感じはしない。皆それぞれ談笑したり、お茶やお菓子を楽しんだりしている。
正式にレオン殿下の婚約者となった私のお披露目も兼ねているなんて聞いたから、どれだけ仰々しい集まりになるんだと身構えていたのに……。良い意味で予想が外れた。
国王陛下が欠席なのが影響しているのだろうな。陛下は土壇場で急用ができてしまい、不参加なのだそうだ。私に久しぶりに会えるのを楽しみにしていたから、残念がっていたと王妃様から教えられた。更に王妃様は、これを機に頻繁に遊びに来て欲しいとも言って下さった。それはとても嬉しいけれど、やっぱり物凄く緊張するので半年に1回くらいの頻度が私には丁度良い。
陛下がいらっしゃらない理由は分かったが、レオン殿下の姿が見えないのはどうした事だろうか。確かにこのお茶会に参加されると聞いていたのに……
思い切って王妃様に確認すると、殿下は準備に手間取っていて少し遅れるとの事だ。もしかして……私との婚約を嫌がって会うのを拒否されているのではと一瞬考えてしまった……だとしたら気まずいな。
殿下を待っている間、お母様と挨拶回りをしながら時折お菓子を摘んだり庭園のお花を眺めたりしていた。ローレンスさんもいらっしゃるはずなんだけど、それらしい方は見当たらない。私が小さく溜息をついたその時――
「クーッ」
この声はっ……!! 声のした方へ振り返ると、赤い美しい鳥が庭園の上空を円を描くように飛び回っていた。
「エリス!!」
『目印はエリス。彼が私の所まで案内してくれます』
ローレンスさんから頂いた手紙の一文が頭をよぎる。後ろで制止するお母様の声を振り切り、私は迷わず赤い鳥を追いかけた。
王宮の庭園は広い……もうかなり奥に来てしまったのではないだろうか。エリスに夢中で闇雲に走ったから自分の現在位置が全く分からない。
まずいな……これ帰れなくなったかも。エリスはなおも奥に進んでいく。どこまで行くのだろうか。不安な気持ちが大きくなってくる。
やがて庭園の最端と思われる場所に着いた。そこには透明なガラス張りの屋根をした建物が建っていた。エリスは一直線にその建物の入り口から中へ入って行く。少し迷ったがエリスの後に続いて私もその中へ足を踏み入れた。
「凄い……」
甘い香りに体中が包まれる。そこには色とりどりの美しいバラが咲き乱れていた。どうやらこの建物は温室のようだ。夏の温室はかなり暑いイメージだったけど、ここはそうでもなく快適な温度に保たれている。
「クーックーッ」
「エリス、待って!」
バラに見惚れて足を止めてしまっていた。私は慌ててエリスを追いかける。温室の中を進んでいくと、少し開けた場所に出た。エリスはそこで進むのを止め、鳴きながら空中で旋回を始めた。離れた所からそれを眺めていると、コツコツと足音が聞こえてくる。とっさに側の植え込みの陰に隠れた。足音の主はエリスが飛び回っている場所まで来ると、彼に向かって呼びかけた。
「エリス、ご苦労様。戻っておいで」
エリスはその声に反応し、飛び回るのを止めてその人物に向かって急降下した。私は植え込みから顔だけを覗かせると謎の人物の正体を確かめようとする。
あれは――
そこにいたのは私と同じ年頃の少年だった。明るい金色の髪が太陽の光を受けてキラキラと輝いている。少年は飛び回るエリスに向かって呼びかけ、自身の右腕を前に掲げた。エリスは彼の腕に着地すると、クルクルと喉を鳴らして甘えている。エリスを見つめている彼の表情はとても穏やかで優しい。
大輪のバラの花が咲き乱れる庭園……その中心に佇む彼はとても絵になっていて、まるで物語のワンシーンを見ているようだった。
すっごい美少年だなぁ……
容姿もさることながら彼の纏う空気……いや、雰囲気と言うのだろうか……只者ではないと感じさせる。歳は私とそう変わらないだろうに妙な威圧感がある。
「ん?」
「あっ……」
エリスの方に向けられていた彼の視線がこちらへ移った。しまった……いつのまにか体をかなり前に乗り出していたようだ。植え込みから半分以上はみ出していた私は、彼と完全に目を合わせてしまった。
どうしよう。思わずその場にうずくまり頭を抱えた。あの少年は誰なんだろう。私はローレンスさんに会いに来たはずなんだけど、ローレンスさんはいないし……
「こんにちは、クレハ」
「ひぇっ!?」
唐突に自分の名前を呼ばれ、体がビクンと跳ねる。恐る恐る後ろを振り向くと、金髪の少年が私の近くまで来ていた。
「どうして私の名前……あなたは……」
「今日会えるって言ってたでしょ。忘れちゃったの?」
彼は腕に止まっているエリスを私の目の前に差し出した。
「目印。どうしてもふたりだけで話がしたかったから……ここまで来てくれてありがとう」
「まさか、ローレンスさん……?」
「うん」
少年はあっさりと肯定した。そんな……目の前の彼はどう見ても……
ローレンスさんは大人の方だと思い込んでいた。だって……『とまり木』のオーナーで、セドリックさんのご主人だって言うから……
自分と同じくらいにしか見えないこの少年が、今まで手紙のやり取りをしていたローレンスさんだなんて到底信じられなかった。衝撃の事実に頭がくらくらする。何か言いたいのに言葉が上手く出てこない。
「クレハ……君と会えた喜びを噛みしめる前に、俺は君に言わなきゃいけない事がある。手紙にも書いていたけれどクレハと王太子との婚約についてだ」
そ、そうだ……ローレンスさんはその話をしたいから直接会いたいと言っていたのだった。ローレンスさんが子供だったという事実だけで私の頭はパンク状態なのだが、これ以上何があるというのだろう。
「あのね……実はローレンスは俺の本当の名前じゃないんだ。これは『とまり木』のオーナーとして名乗る時の偽名みたいなもので、俺の名前はレオン」
『レオン』
あれ? 何だろう……もの凄く知ってる名前なんですけど。しかも最近やたらよく耳にした名前……
「クレハ? クレハ、聞いてる?」
彼は石像のように固まってしまった私の目の前で、ヒラヒラと手を振っている。少しだけ背を屈めながら私の顔を覗き込む。そのおかげで彼との距離がより近くなり、彼の整った美しい顔を正面から間近で見ることになる。その時……以前ルーイ様に魔法について教えて頂いた時の事を思い出した。
コスタビューテの守り神、メーアレクト様……その力を受け継ぐ一族『ディセンシア家』
力をその身に宿す者の瞳は青く染まり、力が強ければ強いほど紫色になるのだという。
ルーイ様と同じだ……
遠目では分からなかったけれど、目の前にいる彼の瞳は宝石のような美しい紫色をしていた。
「今まで黙っていてごめんね。ローレンス改め『レオン・メーアレクト・ディセンシア』、コスタビューテ王国第一王子……そして――――」
「君の婚約者です」
彼はそう言って私に向かって綺麗に礼をした。
「ははっ……」
口から乾いた笑い声が出る。次の瞬間、早朝から慣れない事をした疲れなのか、張っていた緊張の糸が切れたのか、それとも色々な出来事が一気に起きて処理できなくなった頭が限界を迎えたのか。私はその場で意識を失った。
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