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まぶたを開けると目の前には豪華な天蓋が広がっていた。見慣れない景色に眉をひそめてしまう。
ここどこだろう……
体全体に感じる温かくてふんわりとした感触。どうやらベッドの上に寝かされているみたいだ。肌触りが良くて気持ちがいい。うっかりしていると再び寝てしまいそうになる。
首だけを動かして周りの様子を伺ってみる。人の気配は感じない。部屋はとても綺麗で、置かれている家具や調度品もひと目で高価な物だと分かる。
意識を失う直前の記憶が朧げだ。確かエリスを追いかけて……そこで――
勢いよく上半身を起こす。思い出した……私はそこでローレンスさんに会ったのだった。その時、ガチャリと部屋の扉を開ける音がする。
「クレハ!!」
私の名前を呼びながら部屋の中に飛び込んで来たのは金髪の少年。そうだ、彼が……
「大丈夫? 急に倒れたからビックリしたよ」
彼はベッドの側まで駆け寄ると、力無く横たわっていた私の手を取り強く握り締めた。
「大丈夫です……ローレンスさん。少し疲れていたみたいです。もう何ともありません」
目の前で気を失うなんて、さぞ彼を驚かせた事だろう。迷惑をかけてしまい申し訳ないと謝罪すると、彼は首を傾け困ったように笑った。
「謝る必要は無いよ。悪いのはこっちだから。それとローレンスじゃない……俺の名前はレオン」
「レオン……?」
「そう」
レオン……どこかで聞いたような名前。レオン……レオン……レオン様……って、王太子殿下じゃないか!!
「あっ、あの……私っ、ごめんなさい!! 殿下がここまで運んでくださったのですか?」
「そうしたかったけど違う。君をここまで運んだのは……」
「私です」
「セ、セドリックさん!?」
声のした方を見ると、そこには見知った眼鏡の青年が姿勢良く扉の前に立っていた。いつの間に……全然気付かなかった。
「クレハ様、お加減はいかがですか?」
「はい。もう大丈夫です。心配をおかけして、すみませんでした」
「全く……念のため近くで待機しておいて良かったです。レオン様、ちゃんと最初から説明しないとクレハ様も混乱されるばかりですよ」
「分かっている……」
セドリックさんのご主人はローレンスさん……本当に殿下がローレンスさんなんだ。ふたりのやり取りを眺めながら、改めて先ほどの話が事実だったのだと実感する。
「クレハ様、今まで騙すような真似をして申し訳ありませんでした」
セドリックさんは私に向かって深々と頭を下げ、謝罪の言葉を口にした。
「えっと……つまり、『とまり木』のオーナーであるローレンスさんと殿下は同一人物だったと言うことですよね?」
「ええ。そもそも『とまり木』というカフェは私の趣味というか副業のようなものでして。一応名義上は私の主であるレオン様……つまり『ローレンス』がオーナーという事になっております。ちなみにあのカフェの従業員は、ほぼレオン様直属の部隊兵で構成されているのですよ」
「そ、そうだったんですね……」
あの優しそうなお姉さん店員も軍人さんだったのか。全然そんな風に見えなかった。
「あの日……クレハ様がエリスを『とまり木』に連れて来て下さった時、実はレオン様もその場にいらっしゃったんです」
「ええっ!?」
あの時殿下が……思い出してみれば確かに妙な物音や気配を感じた。セドリックさん以外に誰かいるのではないかと思ってはいたが、まさか殿下だったなんて……
殿下の方を見ると、彼は決まりが悪そうに視線を逸らした。心なしか頬が少し赤くなっているように見える。
「その際にレオン様はあなたに一目惚れなさいまして。クレハ様の見た目はもちろん、一挙手一投足に渡り相当ツボだったらしく、側から見ていて面白いくらいにのめり込んでいっ……」
バチッ!!
一瞬青白い光が目の前を横切り、何かが爆ぜるような音がする。
「セドリック……喋り過ぎだ」
「事実じゃないですか。回りくどい事ばかりなさってないで、こういうのは直球ストレートにいった方がいいですよ」
今のは殿下がやったの? セドリックさんの上着の裾が少し焦げている。これはきっと殿下の魔法。ルーイ様と同じ紫色の瞳……強い力を持っているという証だ。
「クレハ様」
「はっ、はい!」
「詰まるところ、うちの主はあなたにベタ惚れなんですよ」
「ふえっ!?」
聞き間違いだと思ってスルーしてたのに……はっきりと言われてしまった。鏡を見なくても分かる。今の私の顔は真っ赤だろう。殿下が私を……? うそ……そんなこと……どうしよう。
「だから、何でお前が全部言うんだよ……」
殿下はセドリックさんを睨みつけている。私は変な汗まで出てくるし、どこを見ていいか分からなくなり目線はあちこちに泳いで定まらなくなる。
「あの……殿下」
「はぁ……」
ひとつ大きな溜息をついて、殿下は私の方へ向きなおった。
「セドリックの言う通り……俺はあの日、エリスを助けてくれた君をひと目見て恋をした。エリスに向ける優しい表情にケーキを食べている時の幸せそうな無邪気な表情、そして……」
彼は自身の右手を私の方へ伸ばし、頬に触れた。
「こんな風に照れて顔を真っ赤にする可愛いところとか……」
「なっ……!!」
動揺する私にお構いなしに殿下は尚も続ける。
「君の仕草、表情の変化、全てから目が離せなかった。あの短い間で強烈に惹かれていくのを感じた。そしてその後は……猛烈に欲しくなった」
紫色の瞳が真っ直ぐに私を見つめている。熱を孕んだような強い視線から逃れられない。しかし、送られる視線の熱さとは反対に、何故だか背筋がぞくりと震え、火照っていた体に寒気が走った。
「瞳の色からしてディセンシア家に近縁の貴族の令嬢だって事は予想できたから、君がジェムラート公爵の娘、クレハだっていうのはすぐに分かった。驚いたよ。まさか自分の婚約者候補とこんな形で会う事になるなんて」
いや……それを言ったら私だって、まさかあんな町中のカフェに王太子殿下がいるとは夢にも思いませんよ。
「後は君も知っての通り。俺は素性を隠し、ローレンスの名前を使って君と手紙のやり取りを始めた」
「どうしてそんなことを?」
「君と関わりを持ちたかったから。それに……クレハには王子としてじゃなくて、ただの1人の人間として俺を意識して貰いたかった。だってもし、クレハが俺の正体を始めから知っていたら、あんな砕けた内容の手紙出してくれなかっただろ? 手紙のやり取り自体してくれたかどうか……」
それは……確かに。殿下と文通なんて恐れ多過ぎる。勉強をサボったとかつまみ食いをしたとか、その他諸々の恥ずかしい行動を手紙で暴露していたことを思い出し、今度は別の意味で顔が赤くなる。
「本当はもうしばらくこの関係を続けていたかったんだけど、それはちょっと難しくなりそうだったから。1人の人間としてなんてもっともらしい事言ったけど、結局俺は自分の立場を利用して君を手に入れる方法を選んだ」
そう言って殿下は立ち上がると、私が寝ているベッドから少しだけ距離を取った。
「クレハ……此度の婚約は父が決めたものじゃない。君が何人かの候補者の中の1人だったのは事実だけど、クレハを選んだのは俺の意思だ。俺自身がクレハを望んだから……」
殿下は私の前で片膝をつき、左手を差し出した。
「君が好きだ。どうか俺との婚約を受け入れて欲しい」
これはつまり……OKなら手を取れと言うことだよね。
まだ私の頭の中は混乱している。どうすれば正解なのかなんて分からない……でも――
私は彼の左手に自分の右手をゆっくりと乗せた。
「殿下の事は嫌いではありません……でも、かと言って好きかといわれると、それも違うと思います」
「はっきり言うな……まぁ、当たり前だけど。今はまだそれでもいいよ。とりあえず婚約を継続してもいいというくらいには思われているようだしね」
うっ……それはそうなんだけど、そういう言い方をされるとなんか複雑だなぁ。
「クレハ」
「はい?」
彼は重ねた私の右手を握り、そのまま自身の口元まで持っていく。そしてそこに軽く口づけた。
「ありがとう」
ちょっと!? いま何したの……この人!! キ……キスしたよね? 私の手に!!!!
口を開けて固まってしまった私を見ながら、彼はクスクスと笑っている。
「やっぱりクレハは可愛いね。これからよろしく」
輝くような満面の笑顔。美少年の笑顔の破壊力って凄い……殿下のこれは素なんだろうか。もしかしてずっとこんな感じなの? 流石に心臓がもたないんだけど。
「お、お手柔らかにお願い致します……」
パーーン!!
乾いた大きな破裂音がした。驚いた私達が音のした方を見ると、セドリックさんがクラッカーを持って立っていた。さっきの音は彼がクラッカーを鳴らした音だったようだ。
「レオン様、クレハ様、改めてご婚約おめでとうございます!!」
「セドリック……お前、ほんといい加減にしろよ」
殿下が低く呟いた。