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#現代ファンタジー
月神零華@生きてます
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室温は一般的な人間の適温とされる二十八度。プラスチック製の観葉植物を添えて。ホワイトボードのかすれたアルコールを眺め、意味もなくパーソナルコンピュータにつながれた、マウスをかちかちと音を鳴らして、すぐに彼はため息をついた。時刻はすでに午後を周り、人工太陽は輝きを増している。 地下奥深くに位置する都市ヨハネ。いくつにも根を張る階層の最高権力、または最高戦力である管理者たちが週に一度集まり、各領地の状況、部下らの死者数などを行う会議。何度か繁殖の真似事をしたこともある色狂いや、二番目に位が高いのにありえないミスをずうっと繰り返す問題児、そもそもなにも喋らない少年、実験に没頭しすぎていてほとんど顔を合わせたことのない女性──あげるとキリがないし、全員揃うことはないとよく理解していた。
「これ以上は集まりませんね……ベルゼブブ」
「はっ……はい、べ、ベルゼブブです!」
ベルゼブブ、と呼ばれた女はオフィスチェアをがたん、と揺らして立ち上がった。抱えているいくつかの書類がゆらゆらと落ち、それをすいません、すいません、と繰り返しながら拾うと、定まらない視線をドアノブ、ホワイトボード、仲間、コンピュータに向けてゆっくりと息をつく。
「えと、ええと……エーイーリーは亡霊たちとの戦闘で……ご、五名の職員が開花して、核を壊すのに八名……あ、いや……十二名が重症を……そっ、それ以外はなんともない、です!」
そう言い切ると、勢いよく彼女は椅子に腰かける。愛用らしい万年筆を握りしめ、急いでメモに発言を書き留めているようだ。
「五名ですか、存じています。……新開発の抑制剤の投与は?」
「いっかい、みんなにやったんですけど!気持ち悪くなったらしくて、じゃあやめようってことにして……」
「君の部下から聞きましたよ。二十ミリグラムから徐々に増やすものをいきなり百ミリグラムから与えたらそうなるに決まっているでしょう。……アドラメレクがこの場にいたらどうなることか」
「ええっ?そんなこと書いてたっけ……いや、ご、ごめんなさい……サタンさま。みんな苦しそうで……」
こめかみに皺がよっていたのをベルゼブブは見届けて、すぐに膝へ視線を移す。
「あなたへの懲罰はあとで考えます。……はあ、次」
サタンが退屈そうにやり取りを見届けていた男へ目を向けると、一拍遅れて彼は反応した。口元のガスマスクのベルトを緩め、声が届きやすいようにする。
「ツァーカブのバールでーす。まあ、平和?ってやつ。特になんもありませんよー」
手をひらひらと振り翠眼を爪の先に向けるのを見やって、何度こぼしたかわからない息を吐く。
「ベルゼブブのほうがまだ被害報告ができてますよ。ちゃんと話してください」
「えー?……死ぬほど売れた。コンドームが」
「売れてません。嘘はやめてください」
手首にぴったりと巻かれた電子の腕時計を見て、業務に戻るべきだとサタンは思い立ち、解散の意を告げようとした。
半分も揃っていない部屋はいつもより空調が効いているのを感じたが、聞き慣れたこつり、こつりという音に目を見開く。鋭い犬歯が唇の先から白色を覗かせた。
「あなたは……あなたさまは」
ベルゼブブとバールのふたりは目を合わせ、同時に首を傾げて振り向いた。プリントの一枚がエア・コンディショナーの風にあおられて大理石の上に落ち、その余韻に大理石の上をすべって壁に角がこつんと当たる。
「車掌」
最初に声を上げたのはサタンだった。手元のコルクボードが手から滑り落ち、丁寧に磨かれた床をボールペンが転がる。
「ああ、生きてた……やはり、あんたは死んでなんかなかった!」
車掌と呼ばれた男はサタンに手を取られるなりその雪のような冷たさに肩を震わせ、一歩引く。サタンはそれを追いかけ、やがて壁際に男の背中がつく。
「おや、あの冷酷無慈悲のサタンサマがあんなにアツくなるとはねえ。こりゃ即ベッドインか?俺を抜いてにゃんにゃんしようってのは感心しないな」
「ちょ、ちょっと……バールくん、車掌の前で変なこと言わないでよ……」
男はバレエヒールのかかとで壁を引っ掻いてから観念したように呟く。
「ごめんね。……君は誰かな」
その言葉に困惑を込めた吐息を漏らしながらサタンは床に片方の膝をつく。彼自身の胸に手を当て、アタッチメントの尾が不快を示して地面を叩いた。唇を二秒ほど噛んでから上ずった声を出す。
「これは、失礼しました。私は区域バチカル管理人であるサタン。あなたの側近であり、あなたの右腕である者です。……ひとまず、中に入っていただけますか」
男は手を引かれて会議室と記された、消毒液とわずかな鉄の匂いが漂う部屋に導かれる。時計は刻一刻と時の流れを刻み、その心臓を打ち鳴らす。
案内されて席についた〝車掌〝は手元の置き場がないのか、膝の上やテーブルの上に置き、その白く整った、だが体液や血液の滲んだ乾燥した指先を晒した。その手に握られていたIDカード、そして本人を生体認証に通すと、何度も本人であるヨハンという名の表示が出る。“車掌”の顔にはみな見覚えがあったが、それには驚きを覚えたものだ。なにせ、何年も行方知らずだった男がなんの外傷もなく帰ってきたものだから。
区域バチカル。ここは下層の一部であり、富豪が多く住むヨハネ一番の都市である。時計は脈打ち、人口太陽は瞳を閉ざす。列車ヨルムンガンドが巡回するネオンの街並みは昼と変わらず瞬き、夜の蝶が線路から羽ばたいた。
外傷はないが、この車掌は記憶がまるきりないとわかって、サタンは保護という名目で彼を私室に招いた。バールはそれに着いていこうとしたが、やめなさいと叱られて誰かの合鍵を持って他の車両に移っていった。
「簡単にこの都市のことを説明します」
サタンはそう言ってアロマストーンにオイルを垂らす。花の青さと蜜の香りが部屋に薄く立ち上る。
「この都市の名はヨハネ。膨張しゆく太陽から身を守るため、地下奥深くに位置しています。千三百年ほど前には地上に方舟と呼ばれる都市が位置していました」
本棚から彼はひとつ分厚いファイルを持ち出した。動物園でなにもすることのない動物がただエネルギーを消耗するためだけにその場を回るように、彼は上質なカーペットの上を回る。
「この都市には十つの階層があります。バチカル、エーイーリー、シェリダー、アディシェス、アクゼリュス、カイツール、ツァーカブ、ケムダー、アィーアツブス、キムラヌートの十つ。そしてそれらの管理を任されるのが管理人。私がそのうちのひとり、あなたを除けば最高権限を保持するサタンです。個性的な彼らとは実際会ったほうが覚えやすいでしょう。……外周にらせん状に組まれた線路、レギオンと呼ばれる怪物がいないか監視するために私たちは列車ヨルムンガンドに乗り込み、ヨハネを回っている」
車掌の前で指を立てて言い切る。彼は寝台、ヨハンの隣へ腰掛けた。
「ざっとこれで以上でしょう。口下手なもので。足りないところがあればその都度説明いたします」
そっとサタンはヨハンの手に自身の手を重ねると、引き絞っていた口元をわずかに緩めた。アタッチメントの尾が機嫌のよさそうに整えられたシーツを乱していく。
「口調の割に距離が近いんだな」
「……よく言われます。かつてのあなたのほうがその言葉に似合っていましたね」
列車はわずかだが振動を感じる。その揺れに乗じて、サタンは彼の首筋にひとつ、触れるだけの口づけを残した。
コメント
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おお、冒頭からすごく密度のある世界観ですね。二十八度の人工太陽、地下都市ヨハネ、魔王っぽい名前の管理者たち……設定のひとつひとつに「この世界はどう成り立ってるんだろう」と引き込まれました。特にサタンが車掌にだけあんなにアツくなるあの温度差が気になる。ベルゼブブのどもり方やバールの軽さも性格描写が上手くて、キャラの個性が立ちまくってて好きです。行方不明だった男が記憶をなくして戻ってきた、その記憶、どこにあるんでしょうね。この一話で既に「読む手をぐっと掴む力がある」を感じる。続きめたくてならない。