テラーノベル
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「ねぇ、小田さん。小田さんの気持ちは有難いけど、仕事は仕事だし、本当に嫌だったら美紗に仕事振ったりしないよ、俺。変に気を利かせなくてもいいよ。小田さんやみんなが美紗を良く思わない気持ちは理解出来るけど。でも、美紗は本当に何も悪くないんだよ。全部誤解で……。だから、あんまり美紗を責めたり、疎外するようなことはしないでほしい」
美紗がトイレに行ってしまった為、美紗に頼もうと思っていた仕事のファイルを小田さんに手渡す。
「ちょっと何を言ってるのか分からないんですけど。しっかり浮気を見せつけられて、『美紗は何も悪くない』って言われても、『そうですね』って誰が同調するんですか?」
俺から受け取ったファイルをパラパラ捲りながら、不服そうな表情を浮かべる小田さん。
「例え誤解じゃなかったとしても、小田さんが美紗に何かをされたわけじゃないでしょ? 小田さんが怒るのも、美紗の仕事に横入りするのも違うと思わない?」
「……何それ」
パタンと大きな音を立ててファイルを閉じた小田さんが、睨む様に俺を見上げた。その目は薄ら涙を帯びている。
「横入りって……そんな言い方なくないですか?」
「……ゴメン。でも、美紗の仕事なのに……」
確かに言い方は良くなかった。さっき、美紗に誤解を与えただろう小田さんに苛立っていたから、ちょっと言葉に棘があったと思う。
だけど、今ある誤解を解くのにも手を焼いているのに、更なる誤解を吹っ掛ける小田さんを煩わしく感じて、謝りながらも余計な言い訳を付け足してしまった。
「……本当は『横取りするなよ』って言いたかったわけだ。……酷いですね。でしゃばってすいませんでした」
小田さんが、俺から渡されたファイルを俺の胸に押し返した。そして小田さんもまた、走って事務所を出て行った。
「……あぁー‼ もう‼」
ファイルを小脇に挟み、頭をぐしゃぐしゃ掻くと、誰にも手伝ってもらえなくなったプレゼン資料作りを1人でするべく、自分のデスクに戻った。
以前使ったプレゼン資料を元に1人で黙々とパソコンに文字を打ち込んでいると、
「佐藤、酷過ぎね?」
隣のデスクの岡本が、外回りから帰ってきた。
「何が?」
美紗に手伝ってもらう予定だった仕事を自分ひとりでしなくてはいけなくなった為、岡本の話相手をしている時間などなく、岡本の方さえ見ずにとりあえず返事だけはする。
「さっき、廊下で小田さんに会った。泣いてたから、何があったか聞いた。俺は、佐藤が悪いと思う」
岡本が、自分のパソコンを立ち上げながら話を続けた。
確かに小田さんに取った態度は良くなかった。だけど、そんなに俺が悪いのか?
小田さんに責められ、岡本にも責められ、美紗に逃げられる程の悪事を、俺はしてしまったのか?
「小田さんって分かり易いから、部署の全員が気付いてたと思う。佐藤だって当然勘付いてただろ? 小田さんが佐藤に気があることくらい。分かってて寄りかかったんだろ? 精神的に参って誰かに甘えたくなった佐藤の気持ちも分かるけどさ、小田さんをその気にさせておいて『もう気が済んだから関わらないで』っていうのはあんまりだと思う」
岡本の言う通り、小田さんが自分に好意を持っていることは何となく分かっていた。俺を好きでいる小田さんなら、落ち込む俺に優しく接してくれるだろうと思った。だから昨日、甘えてしまった。でもそれ以上、小田さんの気持ちを利用して付け込んでやろうなんて考えはなかった。実際、小田さんの肩を借りて、そこに頭を乗せて髪を撫でてもらっただけだ。それが、俺の甘さなのだろう。
「それは悪かったと思うよ。だけど、岡本だって『甘えちゃえば?』って俺を乗せたじゃん」
「まぁ、そうだけど。俺、小田さんはいい子だと思うよ。みんなの前で平気で佐藤を傷つける木原さんなんかより、小田さんの方が絶対にいいと思う。自分を好きでいてくれる人と一緒にいる方が幸せになれると思うけどな、俺は」
岡本の助言は、俺を思ってのことなのは分かる。この状況で岡本がそう思うのも無理はないとも思う。でも『木原さんなんか』って……。
岡本に、美紗を下げられながら小田さんをお勧めされていると、
「自分がやると言っておいて仕事放棄をしてすみませんでした。資料作成、私もやります。どこから手伝えばいいですか?」
小田さんが事務所に戻ってきて、俺のデスクまでやって来た。
「あ、小田さん。俺のデスク使いなよ。俺、もう1件アポあるから、もう少ししたらまた出かけるからさ」
そんな小田さんに自分の席を譲る岡本。小田さんの肩をポンと叩き、「頑張って」と声を掛ける岡本は、完全に小田さんの味方だ。
「じゃあ、使わせてもらいます。すみません」と言いながら岡本の席に座った小田さんに、資料作りの指示をしようとした時、美紗も事務所に帰って来て、俺らのデスクの前を横切った。
自分のデスクではなく、課長のデスクに向かう美紗。
「課長。すみませんが、来月の第三水曜日と木曜日、有給申請してもよろしいでしょうか」
有給を願い出る美紗。何でもない平日に2日間の休暇願い。何の用事なのか、気になる。
「うん。大丈夫だよ。じゃあ、総務にWEB申請しておいてね」
「はい。ありがとうございます」
課長に有給の申し出が通った美紗は、少し嬉しそうな表情を浮かべると、課長に頭を下げて課長のデスクを後にした。
自分のデスクに戻ろうと、また俺たちのデスクの近くを通り過ぎようとした美紗に、
「木原さん、有給取って新しい彼氏とどこかにお出掛け?」
岡本も、美紗と課長の話をしっかり聞いていて、悪意たっぷりな質問を美紗に投げかけた。
「……はい」
「……え?」
まさかの美紗の返事に愕然とした。
「……最ッ低。そのままもう会社に来なくていいよ、美紗」
俺の横で小田さんが美紗を睨み付けた。
会社に来たくない美紗を、上司に掛け合って留めているのは、俺。
美紗の返答にショックを受けながらも、美紗が小田さんに『辞めろ』と嫌味を言われるのに罪悪感を抱く。
「……」
美紗は何も言い返すことなく、目を伏せながら俺らにも頭を下げ、自分のデスクに戻って行った。
岡本が事務所を出て行き、美紗を気にしながらも小田さんとプレゼン資料作りを続ける。
美紗は、EXCELもパワポも得意で、作表もセンスが良く、込み入った計算式も難なく打ち込めた。
だけど、パソコンをそれほど使いこなせない小田さんは、美紗の倍以上の時間がかかってしまう。
斯く言う俺も、美紗ほどパソコンに詳しくない。
残業確定だな。と肩を落としていると、俺のパソコンにメールが届いた。
美紗からだった。
メールを開くと、計算式が既に組み込まれている表が作られたEXCELが添付されていて、本文に『数字を打ち込み終わったら、該当項目をフィルターで絞って、ピポット集計すれば前回と同じ様な資料が出来ます』と書かれていた。
美紗のデスクからは、俺らの様子が良く見える。四苦八苦している俺らを心配してくれたのだろう。
……しかし『ピポット集計』。やったことないんですけど。
『フィルター掛けるとこまでしか分かんない。ピポットってどうやるの?』
隣で懸命に資料作りをしている小田さんに気付かれない様に美紗にメールを飛ばす。美紗に手伝ってもらっている事が小田さんに知れたら、きっといい気はしないだろうから。
『【ピポット集計】か【ピポットテーブル】でググればやり方が出てきます』
すぐに美紗から返事が来た。
言われた通りにググる。……が、確かにやり方はいくつも検索出来た。しかし、解読不能。説明が難しくて俺には理解が出来ない。
『ググったけど出来そうにない。俺、パソコン強くないから分からない』
美紗にメールを送った後、美紗に目配せをすると、俺の視線に気づいたのか、美紗が俺を見た。
久々に美紗と目が合って、なんか嬉しかった。
しかし、美紗はすぐに俺から目を逸らし、凄いスピードでパソコンのキーボードを打ち鳴らし始めた。
5分くらい経ってから、また美紗からEXCELが添付されたメールが届いた。
EXCELを開くと、ネットからコピペしただろう画と、美紗の分かり易い説明文付きの、ピポット集計の手順が書かれていた。
『ありがとう』
と美紗にメール送信した時、美紗の後ろを外回りから帰ってきた岡本が通りかかった。
岡本が、目を細めて美紗のパソコン画面を覗き見た。そして、
「本当に最低だね、木原さん。自分の方が仕事が早いからって、こそこそ佐藤に自分が作ったEXCEL送るとか。小田さんをバカにしてるとしか思えない」
美紗の頭上に罵声を浴びせた。
「……すみません」
岡本を見上げることも出来ず、俯きながら謝る美紗。美紗の肩が少し震えていた。
「何だよ、その言い方‼」
立ち上がり、岡本に駆け寄って、岡本の腕を掴むと、そのまま事務所の外に引きずり出した。
他の社員もいるのに、流石にいい大人が事務所内で喧嘩出来ない。
「お前だって、何度も美紗に仕事手伝ってもらったことあるじゃねぇか‼ しかも、お前が口に出さなければ、小田さんも気付かなかったし、誰も嫌な思いをしなくて済んだだろ‼ 何なんだよ、岡本‼」
通路で大声を出す。通りすがる他の会社の人間にビックリされながらも、そんなことを気にしていられない程にイライラしていた。
「言い方についてお前がとやかく言うなよ‼ 佐藤だって小田さんに酷いこと言ったじゃねぇか‼ お前も木原さんも無神経なんだよ‼」
岡本が言い返してきたところで、美紗と小田さんが俺と岡本の喧嘩を止めに事務所を出てきた。
小田さんが俺と岡本の間に入り、俺の胸を押しながら岡本から引き離した。
その様子を美紗は複雑な表情で見ていて。
小田さんは、俺と岡本に喧嘩をやめて欲しくて、俺の胸を掴んでいるんだということは分かる。
ただ今の状態で、美紗が他の女に触られている俺を見たら、嫉妬してくれるわけではなく、更に気持ちが離れていってしまう気がした。
俺の胸にある小田さんの手を退けようとした時、
「余計なことをしてすみませんでした。佐藤さんと小田ちゃんが今している作業、私にやらせてください。岡本さんの言う通りです。私、2人に腹が立っていたんです。最初に私が頼まれた仕事なのに、2人でやっちゃうから。私の方が、前にやったことがある分早く出来るのにって。後は私に任せて、みなさんは違う仕事をして頂けませんか? 私、ちゃんと退社時刻までに作り終えますから」
美紗が俺らに向かって勢いよく頭を下げた。
やり方は良くなかったかもしれないが、美紗に悪気があったとは思えない。ただ、俺らを気遣ってくれただけだと思う。だけど、美紗は何も反論せずに悪者に徹していた。
美紗が、俺と岡本の喧嘩の原因の怒りを、全て引き受けようとしている。
美紗に『岡本さんの言う通り』『腹が立って余計なことをした』と自分の意見を全部汲み取られた岡本は、これ以上に言いたいこともなくなったのだろう。「戻ろうぜ」と俺の肩を叩いた。
「何でそんな言い方するの? 何で自分が悪いみたいに言うの⁉」
岡本の手を振り払い、美紗に詰め寄る。
「じゃあ、悪いのは誰ですか? 佐藤さんですか? 岡本さんですか? 小田ちゃんですか? 3人共違いますよね?」
美紗が涙目になりながら俺を見上げた。
「でも、美紗でもない‼ 悪いのは……」
『悪いのは真琴』などと、仕事に関係のない妹の名前を出すのは、更に話を拗れさせそうな上、美紗との約束をここで破って良いのかも分からず、咄嗟に語尾を消した。
「庇ってくれてありがとうございます。佐藤さんと小田ちゃんが途中まで作った資料、メールで送っておいてください。出来上がり次第送り返しますから。 私、ちょっとお手洗いに……は、さっき行ったので、飲み物を買いに行ってきます」
美紗がまた頭をペコっと下げ、俺たちから離れて行った。
「……小田さん、あとは美紗にやってもらうから、自分の仕事に戻っていいよ。俺もちょっとコーヒー買いに行ってくる」
美紗の後を追い掛けようとする俺の腕を、
「最後までやらせてください」
小田さんが掴んで止めた。
「ピポット集計」
「……え?」
「美紗が作ってくれた表、VLOOKUP関数が入ってた。それに数字打ち込んで、フィルターで絞ってピポット集計するんだって」
「……」
俺の言葉に、小田さんが俺の腕から手を放した。
「パソコンが得意な美紗が、小田さんより秀でているとは思ってないよ。これは仕事だから。迅速に出来る人に手伝ってもらうのが普通だと思う。小田さんには小田さんの得意分野を手伝ってもらいたい。頑張ろうとしてくれてありがとうね、小田さん」
小田さんにお礼を言うと、
「……いえ」
小田さんが眉を顰めて肩を窄めた。そんな小田さんを慰める様に、岡本が小田さんの肩をポンポンと撫でた。
そんな岡本に『小田さんを頼む』という念を込めた視線を送ると、それを感じ取ってくれたのか、岡本が小田さんの背中に手を添え、小田さんと一緒に事務所の中に入って行った。
取りあえず、仕事の揉め事は落ち着いた。
今度は美紗との問題を解決しようと、美紗がいるだろう自販機コーナーへ走る。
廊下の突当りを右に曲がると、自販機の前で飲み物を眺めている美紗の姿が見えた。
「美紗‼」
名前を呼びながら美紗に近付くと、美紗が振り向いた。
まだ目に涙を溜めたままの美紗。
「美紗、こういうのもうやめてよ。わざと悪者になったりしないでよ。美紗が辛そうにしてるの、見てらんない」
「ごめんね。すぐ辞められると思ったの。だけど、後任がまだ見つからないって……。もう辞めたいのに。すぐにいなくなりたいのに。辛い。苦しい」
美紗の目から、大粒の涙が零れ落ちた。
俺は、『辞めたい』と苦しむ美紗を、上司の力を借りてまで留めている。
俺が、美紗を苦しめているのだろうか。
美紗は、とうとうと流れる涙をしきりに拭きながら、「ごめんね。泣いてごめんね。泣き止めなくてごめんなさい。同情を引きたいわけじゃないんだ。佐藤さんを責めたいわけでもないのに……。ごめんなさい」と何度も俺に謝ると、何も買わずにどこかへ走って行った。
美紗を引き留めることが出来なかった。
俺が素直に手放せば、美紗は苦しみから解放されるのだろうか。
『コーヒーを買いに行く』と言った手前、手ぶらで事務所に戻るわけにもいかず、さほど飲みたいとも思っていなかった缶コーヒーを購入して事務所に戻る。
自分のデスクに戻り、途中まで作った資料を美紗に送ろうとパソコンのメール画面を開くと、誰かからのメールが受信されていた。
メールを開き、また怒りが沸き起こった。
『和馬と美紗、旅行に行くんだって。お兄ちゃん、知ってた? ココに行くんだよ、2人。わざわざウチの会社に来て、嫌がらせの様に予約して行ったから』
真琴からだった。真琴のメールには、ご丁寧に美紗と和馬が宿泊する旅館のURLが添付されていた。
あれから、【真琴】という名前を目に入れるのも、耳に入ってくるもの嫌になり、真琴の電話は着拒にしたし、メールもLINEもブロックしていた。
俺と連絡を取る手段のない真琴は、実家に1枚は置いてあっただろう俺の名刺を見つけて、俺の会社のパソコンにメールを送ってきたのだろう。
真琴からメールをもらうまで、美紗が言った『新しい彼氏とどこかへ行く』というのは、美紗が自分を悪者に見せかける為の嘘だと思っていた。
美紗の有給の計画を知るはずもない真琴が知っているということは、真琴のメールの内容は本当なのだろう。
『いいの? 2人で旅行に行かせて』
真琴がメールで俺を煽る。
いいわけがない。大人の男女が温泉に行くなど……そういうことでしかない。
デスクに両肘を付き頭を抱えていると、ふと『美紗ちゃんに謝りたい』と言っていた親の顔が頭を過った。
真琴のことも去ることながら、両親とも連絡を絶っていた。親さえも許せなかった。真琴を産み、育てた親が憎かった。
家族の誰1人して、美紗に近付いて欲しくなかった。
「……俺は、謝らなくていいのか?」
こんな風になってしまったことを、俺は美紗の母親に謝罪どころか連絡さえしていなかった。
美紗は、自分のお母さんに何か話しただろうか?
話していなかったとしたら、これからどう説明するつもりなのだろう。
また自分を悪者にして、お母さんにまでも嘘を吐くつもりなんじゃ……。美紗ならやりかねない。
美紗は優しい。自分がどんなに悪く言われ様とも、俺の体裁を守ろうとしてくれるだろう。
でも、お義母さんにとって、美紗は【素敵な娘】であって欲しい。
お義母さん……。美紗の母親を【お義母さん】と呼んでも良いのだろうか。
こんな状態になってしまったけれど、あなたのお嬢さんは素晴らしい人ですと、美紗の母親に伝えたい。
『近々、お時間作って頂けませんか? お会いしてお話したいことがあります』
ポケットからスマホを取り出し、美紗のお母さんにメールを打った。
『私、今日仕事お休みだから、そっちの仕事が終わったら美紗と一緒にうちにいらっしゃいよ』
すぐに美紗のお母さんから返信がきた。
美紗と一緒に。は、行けない。今後、美紗と一緒に美紗の実家に行くこともないのかもしれない。
『今日は、2人でお話がしたいので、俺がそちらに行くことは美紗には黙っていて頂けませんか?』
俺が美紗のお義母さんに会いに行くことが美紗に知られたら、美紗が阻止しようとし兼ねない。
美紗のお母さんに口止めのメールを送信すると、
『了解です。でもなーに? 気になるわー』
と、悪い話を聞かされるなんて露程も思っていないだろう美紗のお母さんから、明るい文面の返事が来た。
今日、美紗のお母さんを悲しませることになるかと思うと、心苦しくて、申し訳なくて、押し潰されそうに胸が痛んだ。
コメント
1件
第10話、すごく切なくて苦しかったです……。美紗さんの「自分が悪者になる」優しさ、あれが痛いほど伝わってきて、胸が締め付けられました。佐藤さんの「悪いのは誰?」って問いには、誰も悪くないのにみんな傷ついてるって感じがして。最後の美紗のお母さんへのメール、どうなるんだろう……続きが気になります🥀