勢いのまま書けてしまったので他のお話は止まっていますがお先にこちらを。
もっきー視点。
世界はこんなにも暗くて冷たかっただろうか。こんなにも静かで恐ろしいものだっただろうか。
涼ちゃんがいるだけで春の陽射しのようなぬくもりがあったのに。夏の煌めきのようなうつくしさがあったのに。
何もする気が起きずにただ茫然とする。まるで夜の孤独に呑まれたかのように身体が動かなかった。こういうときこそ、涼ちゃんが隣にいて強く抱き締めてくれていたと、心が彼を求めていた。
その一方で、さっきの涼ちゃんの冷たい笑みが脳裏にこびりついて離れず、愛し合った記憶さえ嘘のような気がしてくる。耳の奥に残る甘い声はもう思い出せず、最後の乾いた笑いだけがこだましていた。
何が現実で、何が嘘なのか分からなくなる。
全部嘘でこれが夢で、目を覚ましたら腕の中に涼ちゃんがいるような気がする。涼ちゃんの腕に抱かれているような気がする。
涼ちゃんの伸びてきた髪を指でいじって、素肌をくっつけて足を絡ませて、触れるだけのキスを繰り返す、甘い時間に戻っているような。
でも、頭のどこかでこれは現実だと理解していて、涼ちゃんは俺のことをほんとうは受け入れていなかったんだって、打ちのめされる。俺のことが好きとかじゃなくて、Mrs.を守るために、何が最適かを考えて、俺の機嫌をとったってことなんだろう。
馬鹿だねぇ、と嘲笑う声が聞こえる。人を信じたから裏切られるんだよ、という囁きが聞こえる。
怒鳴っても叫んでも意味がないけれど、この情動をどうにかするために喚き散らしたい。手当たり次第に物を壊して、この絶望を吐き出してしまいたい。
何もかも破壊し尽くしても残るのは、未練がましくも君への想いだけだろうなと、それにまた自嘲する。
眠らないと午後からとはいえ仕事があるのに、眠気なんて降ってこなかった。
それでもせめて身体を休めろとビジネス脳が怒るから、緩慢な動作でソファに寝転びぼんやりと天井を眺めた。こんなことがあったって、ひとつの成功をおさめた今、それを失うことなんてできなかった。
彼が俺に身体を俺に売り払ってでも守ろうとしてくれた場所だけは死守しなければ。
余計にそれが俺を惨めにしたとしても、彼の献身を無駄にしてはいけない。
いっそのこと、目を閉じたらもう、二度と目醒めなければいい。
ああでもどうせなら、抱き合った直後にそうなればよかった。そうしたら永遠に幸福のままだった。甘い夢を見続けることができた。
どのくらいそうしていたのか分からないが、ぼんやりしていた俺を引き戻したのはスマホが震えるバイブ音だった。
途切れないところをみると着信なのだろう。机の上に置いてあったせいでうるさく、イライラしながら腕を伸ばしてスマホを取り、表示も見ずにタップする。
「もしもし」
『あ、お疲れ様。よかった、起きてて。明日なんだけどさ……』
掛けてきたのは事務所の社長だった。流石に適当に返事はできないと起き上がり、事務的に、けれど丁寧に対応する。
明日の午後からの仕事を変更したいと言うことと、その後のスケジュールの確認だった。
ざっくりと全員のスケジュールは把握しているから、気付いてしまった。
明日から一週間、涼ちゃんと顔を合わせることがないことに。
なるほど、それで今日だったんだ。別れ話をしておいて、俺をあんなふうに振っておいて、合わせる顔がないって? それとも顔を合わせたくないってことかな?
どっちでもいい。どうでもいい。どれが答えだろうと、変わらないんだから。
思わず笑いが込み上げてくる。笑いと一緒にどす黒い感情も湧き上がってくる。
声を荒げそうになるのをどうにかこらえて、わかりました、よろしくお願いします、と通話を終える。
真っ暗になった画面を見つめると、口元を歪めた自分の顔が映った。
ねぇ、涼ちゃん。天然でほんわかしているくせに、実は計算高い涼ちゃん。
そうまでして俺から逃げたかったの? 俺と一緒にいることに耐えられなくなっちゃったの……?
――――ほんとうに?
「……ははっ」
起きている事象を頭の中で整理して、行き着いたひとつの可能性に吹き出して天を仰ぐ。
誰もいない静かな部屋に、俺の高めの笑い声が響く。
ひとしきり笑って、深く深呼吸をする。
目を閉じて、頭の中でこれからどう動いていくか、どう動くのが正解なのかを列挙していく。
涼ちゃんの態度がどう変化するかは気になるが、どうせ明日から暫く会うことはない。マネージャーさんたちにそれとなく探りを入れるとして、自分はどうするべきかを考える。
Mrs.の活動に支障をきたしてはいけない。がむしゃらに走り続けてやっとここまできたんだから。まだまだやりたいことだってある、ここで足踏みをするわけにはいかない。
涼ちゃんとの関係が変わったせいで、今ある形に歪みを作るわけにはいかない。壊すわけにはいかないのだ。
彼をここに、俺の傍に繋ぎ止めておくためにも。彼という存在を囲い込むためにも、Mrs.と言う場所は必要不可欠だ。
それなら……、やるべきことはひとつだけ。
目的が決まればあとは行動に移すだけだ。
ある程度計画がまとまったから、風呂に入るためにバスルームに向かった。あとは今後の展開によって、その都度調整をすれば良い。
服を脱ぎ捨てて浴室に入る。
鏡に映った俺の身体に残る、涼ちゃんと愛し合った証。
鬱血というよりはもはや傷になったそこに、指先でそっと触れれば、ちりっと痛みが走る。
ふっ、と微笑む。こんな痕跡を残しておきながら、ねぇ?
くつくつと笑いをこぼしながらシャワーコックを捻ってお湯を浴びる。知らず知らずのうちに鼻歌をうたっていた。
湿らせた髪にシャンプーを馴染ませる。涼ちゃんが選んでくれた、俺の髪質に合わせたもの。
涼ちゃんとお風呂に入ったときは、あの綺麗な指でよく頭を洗ってもらっていた。お礼とばかりに身体を洗って、そのまま情事にもつれ込んだことなんて数えきれない。
そこかしこに散りばめられた涼ちゃんとの記憶。そこら中に漂う涼ちゃんの残滓。
その思い出だけを抱いて、俺に生きていけって?
きみと愛し合った記憶に縋って、俺に生きていけって?
「……許すわけないだろそんなん」
逃げるなら追いかければいい。的が定まっているなら簡単な話だ。
せいぜい頑張って逃げて欲しい。逃げて逃げて、ぼろぼろになってしまえばいい。
そうしたらまた手を取って、君に愛を囁いてあげるから。
続。
赤鬼さんが、追いかけっこを始めました。
コメント
4件
赤鬼の♥️くん、めちゃ好きです! 💛ちゃんを捕まえて欲しいと思っちゃいました🫣笑
続けての更新ありがとうございます! 大切に読ませていただきました!