ぱ視点。ひたすらにしんみり。
設定したアラームとは違う音が鳴り響き、強制的に覚醒させられる。
音の発生源を手探りで見つけ、はっきりとしない視界で元貴の名前を確認する。働かない頭で画面をタップする。
『あ、若井? おはよ』
「おぁよ……なんかあった……?」
やたらハキハキとした声で挨拶をされ、なんでそんな元気なの、と思いながら急ぎの用件かもしれないからぽやぽやしながら問い掛ける。
『今日から俺らみんな別の仕事じゃん?』
「んぇ、そーだっけ?」
徐々に動き始めた頭でスケジュールを思い浮かべる。午後から三人だった気がするけど、変更になったのだろうか。
『…………お前じゃないんだ』
「……? なにが?」
『や、なぁんも。マネージャーさんに確認とりなね』
暫くの沈黙の後、元貴がぼそっと吐き出した言葉の意味が分からず問い返すと、明るい声が念を押した。じゃね、と一方的に切られた電話で時間を確認すると、起きるには早すぎる時間だった。
こんな早朝にこれだけを言うために掛けてきたの? と不思議に思いながら、睡魔に身を任せて目を閉じた。
今度はちゃんとアラームが鳴って目覚めると、マネージャーさんから連絡が来ていた。
元貴の言う通り日程が変更されていて、ここ最近では珍しく、元貴とも涼ちゃんとも顔を合わせないスケジュールになっていた。
明け方の元貴の言葉の意味を思い返すが、結局答えは見つからず、シャワーを浴びて身支度を整えた。
指定された会議室で打ち合わせをこなし、翌日からのスケジュールを改めて確認する。二日後まで涼ちゃんとも会うことないのか、となんだか少し寂しくなった。
それでも個別に仕事があるのはいいことだ、元貴にばかり重責を負わせないように頑張らないと、と意気込みながら仕事をこなしていった。
二日後、借りてもらったスタジオに行くと既に入っていた涼ちゃんを見て絶句する。
毎日顔を合わせてたからたった三日会ってないだけなのにやけに久しぶりに感じる、という感情面を除いても、涼ちゃんはひどく憔悴していた。
それこそ、何日も寝ていないような、ご飯もろくに食べられていないような、体調が悪いんじゃないか、って心配になるくらいには疲れ切っていた。
ソファに深く腰掛けたまま、ぼんやりとして動かない。ドアの開く音で俺に気付いたようで、ハッとなって視線を上げて俺を見て、どこか安心したように目尻を下げた。
「おはよ、若井」
「……おはよ」
疲労なのか寝不足なのかは分からないが、明らかな不調を表情に乗せたままそれでも笑顔で涼ちゃんが俺に挨拶をする。やわらかいはずの笑顔は、泣きそうで苦しそうだった。
何があったの、と直球で訊けばいいのだろうか。でも涼ちゃんはきっと言わない。苦しいときに苦しいって言えないのは、俺たち三人に共通した課題だ。
嫌なところを言い合う会を開催して、溜め込まないようには気を付けるけれど、弱さを見せることが苦手だった。プライドなんかじゃなくて、相手に迷惑をかけたくないっていうつまらない意地なんだと思う。
なんと切り出せばいいのか分からず、取り敢えず横に座る。放り出された手を握ると、相変わらず冷たくて余計に心配になる。
ぎゅ、と強く握ると、どうしたの、と首を傾げる涼ちゃんの目を見つめる。
どうしたの、は俺のセリフだよ。この三日の間に何があったっていうの。
この三日間、今までと違うことと言えば元貴と顔を合わせていないってことだけだ。じゃぁ原因は元貴と会えない寂しさってこと?
こんなとき、恋人の元貴ならなんて言うんだろう。
やさしく抱き締めて、何かあったの、って訊くんだろうか。頬にキスをして、大丈夫だよ、って慰めるんだろうか。
普段の二人を思い返すけれど、当然その役目は自分ではない。だからそっと寄り添うことしかできない。
それにしても、元貴がいないだけで、たった数日顔を合わせないだけで、こんなにも弱るなんて驚きだ。Mrs.の象徴であり俺たちの指針でもある元貴の不在が涼ちゃんに与えるダメージは、あまりに大きいようだ。
それだけ涼ちゃんが、元貴を好きだってことなんだ。
涼ちゃんが心配ではあるけれど、その想いの強さが嬉しくもある。俺の親友を大切にしてくれている証拠だから。
「……そんなに寂しいんだ? 明日には会えるのに」
「ッ、えっ!?」
「……?」
ちょっと揶揄うつもりで言ったのに、思っていた反応と違って涼ちゃんはひどく動揺して、上擦った声で叫んだ。思わず首を傾げる。
「さっき連絡入ったよ、早めに切り上げられたって」
「あ、え、そう、なんだ……」
「……連絡、取ってないの?」
「…………」
答えはないけれど、分かりやすすぎる反応が肯定を示していて愕然とする。
今までの二人を考えればあり得ないことだった。くだらないことでも頻繁に連絡を取り合っていたはずだ。
涼ちゃんの不調は、元貴に会えない寂しさからじゃないの?
「……なんかあった?」
眉を潜めて静かに問い掛ける。俺に届いた元貴からの連絡は至って普通だった。強いて言うならグループLINEじゃなかったってくらい。だけどそんなの、恋人の涼ちゃんには先に伝えたんだろうなくらいに思っていた。
涼ちゃんは視線を伏せて、俺が繋いだ手をぼんやりと見ていた。
「涼ちゃん?」
どこかに消えてしまいそうな恐怖を覚えて声を掛けると、涼ちゃんは覚悟を決めたように顔を上げて、泣きそうに笑った。
「僕たち別れたんだよね、先週」
時間が止まったんじゃないかってくらいの衝撃を受ける。
何を言ってるのか理解ができなくて、返す言葉も浮かばなくてただ息を呑む。
なんで、と口を突いて出た疑問に答えるように、涼ちゃんが俯いて続ける。
「……仕事ならともかく、プライベートでまであのワガママは、ちょっとしんどくてさぁ」
「涼ちゃんが振ったってこと?」
「まぁ……そうなるかな」
確かに元貴は我儘だ。傲慢な部分だって否定はできない。でもそんなの、十年前から分かっていて、分かって付き合ってたじゃん。
今更そんなことを理由に、二人が別れるなんて信じられなかった。
もちろん、二人きりだともっとひどくて、っていうのがあったかもしれないけれど、そんなの一度だって感じたことはない。
いつだって二人は互いを思い遣ってて、元貴に至っては涼ちゃんがいなかったら死ぬ、くらいに依存していたはずだ。そこに危うさも感じていたけれど、この二人が離れることなんてないかと楽観的に捉えていた。
「本気……?」
「……嘘だと思うなら元貴に確認してみなよ」
すぐにでもそうしようかと思ったけれど、消えてしまいそうに儚く笑う涼ちゃんを放っておけなくて、元貴への連絡は後でもできると涼ちゃんに向き直る。なんて送ればいいのか分からなかってのもある。
「元貴のこと好きじゃなくなったの?」
「……好きだよ、仲間としてはね。ずっと尊敬してる」
「好きなら別れる必要なくない?」
「……若井には関係なくない?」
ぶっきらぼうを装う言い方にカチンと来たのを自覚して、まずいなと思ったけれど止めることができなかった。
「涼ちゃんから振ったって言うなら、なんでそんなつらそうにしてんだよ! ワガママがしんどくてっていうならもっと清々したって顔するだろ!」
そう叫んだ俺に、涼ちゃんは何も言い返さずに唇を噛み締めた。
責めたいわけじゃない。二人が納得してその結末を選んだのなら受け止めるし受け入れる。
でもそんなふうには全然見えない。
寝不足で、泣き腫らした目をして、つらそうに笑ってるくせに。
「……俺、涼ちゃんが好きだよ。元貴のことも大切だよ。親友だし、仲間だし……ふたりには幸せになって欲しいよ。ねぇ、今しあわせ!?」
元貴と組みたくて必死だった俺は、一目惚れしたって涼ちゃんが連れられてきたときは正直なところ反感を抱いた。見た目だけで選ぶんかよ、ってショックだったのだ。
だけど、休止期間での同居で涼ちゃんのことが大好きになったし、ワガママで繊細な元貴の傍を離れずにいてくれたことに、友人ながら感謝もしていた。
だから二人が付き合うってなったとき、本当に嬉しかった。寄り添って笑い合う姿を見ているだけでこっちまで幸せだった。
ぼろぼろと俺の目から涙がこぼれる。涼ちゃんが目を見開いて焦りを感じさせる声で俺の名前を呼んだ。涙を止めるために涼ちゃんの手を握っていない方の手で顔を隠す。
なんでお前が泣くんだよ、って元貴なら笑うかもしれない。でも涼ちゃんは笑ったりせず、ただただ泣きそうになっている。
「……俺っ、涼ちゃんも元貴も大切、なんだよ……ッ、なんでボロボロのくせに……ッ、あんな顔で、好き、だ、って言うくせに……ッ」
涙が止まらない。訳がわからないっていう不安と、泣きそうで消えちゃいそうな涼ちゃんが心配で、握った手に力が籠る。
涼ちゃんが身体を捻って俺を抱き締めた。あたたかくて、やわらかく包み込んでくれるのに、今日はなんだか涼ちゃんの方が縋り付くような感じだった。
「ごめん、ごめんね、若井。ちゃんと、切り替えるから……」
そんな言葉が聞きたい訳じゃない。どうして、なんでって問い詰めたいのに、涙があふれて嗚咽ばっかりがこぼれていく。涼ちゃんのやさしい香りと背中を撫でてくれるやさしい手つきに、もっと泣けてくる。
「……ごめんね、元貴は悪くないからね。僕が全部悪いから、元貴を責めないでね」
ふるふると首を振る。誰よりもやさしい涼ちゃんが別れを選んだ理由が分からなくなった今、涼ちゃんが悪いなんて思えなかった。別れを選ぶだけの何かが、俺には分からないから。
「……おれ、元貴を傷付けちゃったんだぁ……ッ」
罪を告白するように吐き出された涼ちゃんの小さな叫び。
じわっと俺の肩が濡れるのを感じた。涼ちゃんも泣いてるんだって思った。
ねぇ、元貴のワガママがしんどいなんて嘘なんでしょ? しょうがないなぁ、って絆されてるの、知ってるんだからね。それに喜んだ元貴を、愛おしいって見てたの知ってるんだからね。
なんでそんなやさしくない嘘をついてまで、元貴の傍を離れようとしてんの?
「でも、こうするしかなかったんだ」
消えてしまいそうな涼ちゃんの呟きは、泣きじゃくる俺の耳には入らなかった。
優しい青鬼? みたいな絵本があった気がする。
最後の言葉を聞き届けていたとしても、赤鬼は止まらないんだろうなぁ。
コメント
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若井さんが2人のことちゃんと思って泣いちゃってるの本当に素敵すぎます...😢若井さんは藤澤さんと大森さん、幸せで居て欲しかったんですね...