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その言葉を切っ掛けにして、住職様は右手で抹茶碗に触れた。
《《私は左手で抹茶碗に触れた》》。
私は両利き。
茶釜から柄杓を使い、お湯を掬い。お碗と茶筅をお湯で温めることなど造作もない。
普段と変わらない動きで、温めたお湯は建水へと流す。
私と住職様は流れるような同じ動作で、次に茶杓を持ち。棗から抹茶を掬い、お碗に抹茶を入れる。
それは皆様から見たら鏡写しのように。全く同じ動きに見えているだろう。
思った通り「同じ動きをしている!」と言う声が耳に入って来た。
そう、私は住職様の動きと一緒。同一。
住職様の手首の角度。腕の動き。目線、視線、動線。
私の目は住職様の全て捉えている。
それでお茶を点てる。
先日、お会いした時に住職様のお茶の味を知った。動きを知った。
住職様の動きは流水のように自然で雄々しかった。
その動き頭で思い描くだけで、自然と体が動く。なんと楽しいことか。
抹茶碗を持ち、茶筅で抹茶を点てる音も住職様と寸分と変わらない。すなわち。私が点てた抹茶は──住職様の点てた抹茶と同じ味になる。
それが、まず最初の狙い。
しゃっと茶筅をふるい。茶筅を横に置く。その仕草すら住職様と一緒。
それを見ていた皆様が「おぉっと」驚きの声を上げた。
私達に強い視線が集まっているのを感じる。
その中には『こんなの茶道ではない』と、言いたげな疑問の視線を投げ掛けている人達が居るのも分かっている。
お茶を点て終わり。
皆様の視線を受け止めるようにくるっと、正面を向き。茶碗を回して皆様の前へと差し出す。
もちろん、この動きも住職様と寸分狂わず息ぴったり。
そうして口を開けたのは私。
「皆様。ただいま披露いたしました茶の点前、侘び寂びの精神とは些か趣を異にし、奇異を抱かれしやもしれませぬ。されど茶の道に『守破離』と申す言葉がございます。流儀の教えを忠実に守り、次にその型を破り。工夫を凝らして独自の境地を拓く──斯くの如く成長を重ねる道程にございます」
本堂に私の声が響く。
その響きは澪様、臣様の心に響けと願いながら声を上げる。
「藤井屋は堺の地にて常に先駆を務め、古きを温めつつ新しきを知り、進取果敢に道を切り開いてまいりました。まさに温故知新の志を胸に、今日まで素晴らしい歩みを進めております。そして、その藤井屋を支え給うは藤井臣様。そして──藤井澪様。このお二方の存在に他ならず。御両名に相応しき茶を点てるには、ただ一人にては足らず。私と住職様が心を一つにし、共に点てることこそふさわしきと存じました」
これが澪様、臣様に見せたかった私なりのお茶の形。
仰々しく口上を上げているが、私の心にあるのは二人が心を通わせて欲しいと言う願いだ。二人もそれを分かってくれはず。
そんな思いも込めて頭を下げる。
「皆様、本日はただ一度の特別な茶の席とご覧いただき、どうぞ心ゆくまでご笑覧賜りますよう、衷心よりお願い申し上げます」
そして、すぐに英語で訳すとわぁっと拍手が巻き起こった。
ほっとしつつ住職様を見ると爽やかに笑顔を浮かべておられ、ほっとした。
私も笑顔のまま正客。臣様へと点てたお茶を差し出す。続いて今回は特別に住職様が点てたお茶も飲み比べ出来るようにお渡しした。
臣様は隣の澪様に「お先に」と声を掛けてから「お手前、頂戴致します」と言い。美しい所作で私と住職様のお茶を順番に口付けた。
そして深く呼吸して私と住職様を見て微笑んだ。
「両名の御点前、共に誠に素晴らしく。味わい全く変わらぬ絶妙の妙にございます。さながら千利休の御魂が二つ並び給うかの如く。見事な茶を同時に拝する僥倖、欣快の至り。されど何よりもお二方の御心遣いの深さに心打たれ、この佳き日に深い感謝を感じております」
臣様の言葉に周囲の人々が「飲んでみたい」「美味そうだ」とひそひそ声を上げた。
先ほど私に向けて、訝しげな視線を送っていた人も今では期待の眼差しを向けていた。
堺の人達はとても素直な方ばかりで、思いのままにお茶を点てたくなる。喜んで欲しいと、うずうずしてしまうのを抑え。
澪様を見ると、澪様は二つのお茶を口にしたものの。
静かに私達に向かって「美味しく頂きました」と、言っただけ。
──うん。澪様。苦いの嫌いだもんね。でもちゃんと飲んでくれてありがとう。嬉しい。
次は澪様を笑顔にするから!
そんな気持ちで、正客の皆様がお茶を飲んだところで──次は私のお茶点てたいと思った。それが今日の最大の目的でもある。
今の二つのお茶の味わいは住職様のものだ。
しかし、お茶を飲んで頂き。私の実力は茶の湯の名人と呼ばれる、住職様と遜色ないと分かって貰えたはず。
「藤井臣様、並びにご列席の皆様方。厚かましき願いと存じつつ。もう一杯の茶を点てることをお許し賜りたく、謹んでお願い申し上げます。次なる一服はこの本堂に居並ぶ皆様と共にしたく。何卒お願い申し上げます」
是非お願いしますと、臣様の返事がすぐに返ってきた。
「ありがとうございます」と頭を下げてから、今度は一人でお茶を点て始める。
最初と同じく道具を温めてお椀に抹茶を入れるが、今回は少し多めに入れて点て始める。
あぁ、楽しい。心が躍る。呼吸をするたびに、茶筅を動かすたびに。
一つ一つの動きに。神経の全てに光が走るような気持ち良さを感じる。
耳に『なんと美しい』『舞のような動き』『素晴らしい』と、称賛の声が聞こえた。
今の私は皆様にそのように見えているのか。
なんとも不思議だ。茶道はいつも私に驚きと喜びを与えてくれる。だからその喜びを皆様に。澪様、臣様に届けれますようにと抹茶を点てる。
次は用意しておいた、あの保温スキットに手を伸ばした。
スキットは程よく温度を保っており、蓋を外して中身の液体。牛乳をとろりと茶碗の中に落として、
棗の蓋を開ける。
茶杓で棗の中のキラキラした粉末を掬い、抹茶椀に入れる。
この粉末の正体を知ったら澪様はさぞかし驚くだろう。そう思うと笑みが溢れた。
茶杓を置き。再度、茶筅を手に取る。
牛乳と抹茶と粉末が入ったものを滑らかにする為に、先程より早く手を動かした。
すると抹茶椀の液体は緑の抹茶と白の牛乳が混ざり、まろやかな白緑色へと変わる。
しゃっと手首を回すごとに抹茶と違った、ふわりと甘やかな香りが立ち上がる。
──指先に柔らかな滑り具合。全てが混ざりあい。
お茶が完成したと思った。
用意していた白磁器のティーカップ二つにお湯を注いで、温め。それぞれお湯をキッチリと捨ててから、出来上がった抹茶椀の液体をそれぞれのカップに均等に注いだ。
見た目も白の器と白緑色が美しい。
これで完成である。
それを臣様と澪様の前へと並べた。
「お待たせしました。これは抹茶ミルクティーです」
「抹茶ミルクティー……紅茶じゃなくて?」
臣様が不思議そうに呟いた。
澪様も同じように、カップを見つめている。
「はい。西洋では紅茶に牛乳を淹れて飲む習慣があります。近代、ミルクティーはカフェで飲める時代です。西洋文化にも明るいお二人ならミルクティーは飲み飽きているかと思い、抹茶でミルクティーを作りました。どうぞお召し上がりください」
そもそも紅茶と緑茶の茶葉は同じ。
チャノキから作られる。二つのお茶の違いは醗酵の進め方が大きいのだ。
だから、紅茶で出来る飲み方は緑茶でも合うと思った。
アフリカ大陸の熱い国。|摩洛哥《モロッコ》。その国ではたっぷりの薄荷と緑茶。そこに砂糖を加えた古来からの飲み物があると昔、外国人夫婦から教えて貰ったことがある。
──そう、お茶の組み合わせは無限大。
だから抹茶と牛乳は合うと思ったのだ。
美味しいから飲んで下さいと、お二人を見るとお二人は視線をほんの少し交わしてから、カップを持ち上げてゆっくりと口付けた。
ざわっと本堂の関心が二人に注がれる。
そして最初に声を上げたのは澪様だった。
「これは──素晴らしい。こんな飲み物は初めてです。私は実は抹茶が苦手です。お恥ずかしいですが、先ほどの抹茶も美味しさがわからなかった。しかし、これは……抹茶の苦味とコク。牛乳のまろやかさが渾然一体となり。とても美味しい。それになぜか懐かしい気持ちなる──極上の飲み物だ」
澪様は最後に「さすが千里やな」といつものように微笑んでくれて、胸が暖かくなった。
「お褒めの言葉、誠にありがとうございます」
「千里。藤井臣として俺からも良いだろうか」
もちろんと臣様に視線を向ける。
臣様も表情が柔らかく。口元には春の陽光さを漂わせていた。
「澪が言ったように、この抹茶ミルクティーは素晴らしい味わいだ。抹茶と牛乳の絶妙な組み合わせ。滑らかな口触り……きっとどちらかの配分が偏るとしつこくなると思うのだが、君の腕前により、完璧な調和をとれているんだろうね。千里、実に見事だ。そして何故か俺も懐かしい気持ちになる。これはどう言ったことか教えてくれないか?」
お二人が抹茶ミルクティーを飲み干して、カップを置いたのを見てから喋った。
「はい。この抹茶ミルクティーはお二人の為だけに私が考案したもの。お二人の心が和やかになるにはどうしたら良いのかと考えに考えて。紅茶を好む澪様からミルクティーを糸口に。このお茶会のことを知り、抹茶と合わせてみようと思いました。そしてその二つをまとめ上げるために……抹茶ミルクティーに《《コレ》》を加えました」
懐から赤いセロハンに包まれた飴玉を取り出す。
するとお二人はハッとした表情をされた。
「この飴玉は藤井屋が長年取り扱っている品物。臣様、澪様に馴染みが深いものです。それを砕いて、砂糖の代わりに抹茶ミルクティーに加えました。それが懐かしいと思わせる味わいだと思います」
「驚いた。あの飴玉を砂糖代わりにした……」
臣様の言葉に頷く私。
「はい。だからこの抹茶ミルクティーの甘さは、お二人にとって特別なものとして感じるのです」
棗の中に入っていた正体は砕いた飴玉。
飴玉は言うまでもなく、砂糖を溶かして固めたもの。砂糖代わりにしても何もおかしくはない。
それどころか、この場面においてはお二人には慣れしたしんだ味わい。そして記憶を刺激するもの。
きっとお二人はこの飴玉をよく一緒に食べたのだろう。
甘さが舌と記憶を刺激して、抹茶ミルクティーをより美味しく感じることが出来たはず。私の狙い通り、お二人はじっと飴玉を懐かしそうに見ていた。
やはり、二人には飴玉を通して共通の思い出があるのだろう。これなら大丈夫。
今のお二人の心は抹茶ミルクティーにより、柔らかく解けている。
ここに居る皆様も、暖かく私たちを見守っていてくださる。
私のお茶の最後の仕上げだと、ずっと思っていることを二人に、私の心を伝えようと思った。
「抹茶ミルクティーお二人の口に合いまして、誠に恐縮です。厚顔無恥とは思いますが、その美味しさの褒美を頂きたいと思います。臣様。私が欲しい褒美は私にあの日、和室で話した澪様への気持ちをここでもう一度言葉にして欲しいのです」
「千里、君は……」
「私が本当は言いたいのですが、臣様が私に秘密だと禁を設けました。だから私には言えないのです」
勢いのまま、澪様もにも言葉を投げかける。
「そして、澪様におきましてはどうか、素直なお気持ちで臣様の心を受け止めて下さい。ここは御仏の前。どんなことでも御仏は全て受け入れて下さいます。私は澪様に助けて頂き、懐の深さは御仏のようだと思っております」
すると澪様がふっと笑った。
「御仏とは良く言うたもんやな。千里は腕も口も達者で実に面白い。分かった素直に聞く。我が兄上様が何を思っているか清聴させて貰う」
澪様のいつも通りの口調に嘘はないと思った。私の希望通りに臣様の言葉に耳を傾けてくれるだろう。
そうして澪様は「皆々様。それでよろしいか」と翠緑の視線を皆様に向けると、本堂はシンと静まった。
誰も翠緑の瞳に抗う人は居なかった。
それもそのはず。
ここに居る人たちは藤井兄弟の確執を知っているのだろう。その心の片鱗に触れるのは誰だって興味が湧くもの。
あとは臣様がなんと仰るか。あの和室で会話したお気持ちをもう一度お願いしますと、祈ったとき。
「千里。そうか。迷っていた俺に君は場を整えてくれたんだね。ありがとう」
そう言って、臣様が澪様を見つめた。
「──澪」
「……なんや」
臣様が澪様に向き直り。手を付き、頭を下げた。
ざわっと本堂の空気が戸惑いに揺れる。私も緊張感からきゅっと拳を握り締める。
「澪。今まで済まなかった。俺は澪と一緒に商売をしていきたい。澪の容姿のことをとやかく言う他人から守りたかった。その為には誰にも何も、文句を言わせない為には俺が藤井屋を継げばいいと考えた」
「僕を守りたかった……?」
「そうだ。だが、俺が本当のことを言えば戸惑う人達がいるのを知っている」
そこでチラリと驚きの顔をしている夫妻を見て、また澪様へと視線を定める。
「でも、もう俺が藤井屋の当主だ。本当のことをずっと言えなくて済まなかった。冷たい態度をして悪かった。許してくれとは言わない。だけども、これからも俺と一緒に……藤井屋を支えてくれないか。俺は昔のように澪と一緒にいたい」
静まり返った本堂にごくっと生唾を飲む音がした。
その音は私の喉からなのか。澪様なのか。誰の音なのか分からなかった。
永遠にこの張り詰めた、静けさが鎮座したままなのかと思うと。
小さな小さな、声が聞こえた。
「……なんやそれ、今更やろ……」
澪様は頭を下げる臣様を困惑の表情で見ていた。
「こんな、大勢の前でよう言うわ」
悲哀の混じった言葉は行き場がなくて彷徨う。
それをなんとか掴もうとするかのように、臣様が顔を上げた。
「澪……、俺はっ」
「やめろ。藤井屋当主が易々と頭を下げるな。いつものように一人、悠然としているのが藤井臣やろ」
澪様の鋭い声に私はビクッとして、澪様に声を掛けたくなった瞬間。いつまの間にか横に居た、住職様にそっと手を掴まれてしまった。
住職様を見ると、ゆっくりと首を横に振った。それは『手出し無用』と言う意味なのだろう。
でも、でも! と思いながらぐっと気持ちを堪える。
澪様。
お願い。
臣様の気持ちをわかってと言うのは私の傲慢さかも知れない。でも、やっぱり──。もう少しで声を出してしまいそうになると。
澪様が困ったかのように微笑した。
「──アンタが頭を下げるのは似合わん。アンタは兄上は……僕の兄上は今まで通り。もっと堂々としていて貰わないと困るやろ。藤井家当主らしくしていろ」
臣様の顔に驚きの感情が広がる。
「み、お……」
「兄上。そうか……今まで長男の責務を一人で、いろんなものを担いで来たんやな。そうやった。誰よりも真面目に仕事をしていたもんな」
澪様は深く呼吸をして。微笑んだ。
「吐き出してくれてありがとう。なんか僕も──楽になった。これからは僕も手伝う。僕こそ意固地になっていたかも知れん……がむしゃらに、あの人の遺言だけをなぞることだけを必死に……」
澪様の翠緑の瞳が優しく仏様へと向いた。
それはきっと、仏様に亡き乳母様の影を求めているのだろうと思った。
優しい澪様の声色に、私の頬はいつの間に濡れていた。
「澪っ」
再び臣様が声を掛けると澪様は、臣様の前へと姿勢を直して宣言した。
「兄上。今までのご無礼。申し訳ございませんでした。何卒これからも末永く、よろしくお願いします」
その瞬間。
わぁぁっと、今まで一番大きな歓声が上がり。二人の仲を祝福する拍手が湧き起こった。
私も泣きながら拍手を送った。
良かった。本当に良かった。私は今日と言うお茶会を生涯忘れないようにと、手を硬く取り合う澪様と臣様を心に焼き付けるのだった。
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