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#💛愛され
れいちょす
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19
店内は柔らかな照明に包まれ、木目のテーブルが淡く光を返していた。
夜の喧騒から少し離れたこの店は静かで落ち着いた空気を保っているはずなのに、仁人の胸の奥では微かなざわつきが消えずに残っていた。
向かいの席には今日仕事で関わった俳優が座っている。
彼は軽い調子で、何度も命令めいた言葉を投げてきた。
「仁人くん、こっち向いてよ」
「その席より、こっちのほうがいいって」
声の調子は柔らかいのに、言葉の端々に従わせようとする意図が滲んでいる。
仁人はその圧を敏感に感じ取っていた。
仁人は視線を動かさず、淡々と返した。
「…もう、冗談はほどほどにしてください」
柔らかい言い方ではあったが、そこには明確な拒絶があった。
subという体質デアあっても、仁人は誰に対しても従うわけではない。
心を開いていない相手の命令には心が反応しない。
むしろ心を許していない相手から強く求められれば、身体に疲労が溜まり、精神的にも消耗してしまう。
それは生まれ持った特性だけではなかった。
誰かの言葉に流されないこと。
嫌なものは嫌だと判断すること。
自分の意思を失わないこと。
幼い頃から、自分の心を守るために身につけてきたものでもある。
しかし、繰り返される言葉は、少しずつ仁人の肩に重く積もっていく。
俳優の声は仁人の心に届かないまま、ただ圧だけが残る。
食事が終わる頃には、仁人は軽い頭痛と疲労を覚えていた。
俳優の言葉が心に触れない分、身体だけが疲れていくような感覚だった。
店を出ると、夜風が頬を撫でる。
食事のあとに俳優が「この後も…」とありきたりに誘ってきたが丁重に断った。
さすがに何度言葉を重ねても仁人の態度が変わらないことを悟ったのか、男はそれ以上何も言わずに帰っていった。
ひとりになった瞬間、仁人は小さく息を吐いた。
けれど、胸のざわつきは消えなかった。
境界線を守り続けたせいで、心の奥が固く張り詰めている。
上手く息ができない。苦しい。
仁人はスマートフォンを取り出した。
連絡先の中から、迷うことなく一人の名前を探す。
勇人。
その名前を見ただけで、ほんの少しだけ呼吸が楽になった。
それが嬉しい反面、仁人は胸の奥が痛くなるのを感じた。
また頼ってしまう。
これで何度目だろう。
二人が今の関係を始めたのは、互いの特性を安定させるためだった。
信頼できる相手同士なら、無理なく衝動を抑えられる。
だからこれは、あくまで互いを守るための取り決め。
仁人はそう思っていた。
けれど最近は、その理由だけでは説明できない。
勇人の声を聞きたい。
勇人に安心させてほしい。
勇人に「大丈夫」と言ってほしい。
その願いが、少しずつ大きくなっている。
もしかすると彼に負担を強いているのではないかという不安がよぎる。
迷った末、短いメッセージを送った。
『今から会える?』
返事は思ったより早かった。
『分かった。どこ?』
その短い言葉だけで、張り詰めていた呼吸が少し緩む。
『今から家に向かうから、30分くらい。声、聞きたい』
『分かった。向かう』
その返信を見つめながら、仁人は胸の奥に生まれた安心感に気づかないふりをした。
――――
玄関の扉が開いた瞬間、勇人は仁人の顔を見て眉を寄せた。
「……大丈夫か?」
一歩近づき、顔色を確かめる。
「さっきまで誰といた?」
その声は優しかった。けれど、いつもより少しだけ低く抑揚がない。
その変化に仁人は敏感に反応し、視線を落とした。
「…仕事で一緒だった人」
「何かされた?」
「何か、っていうほどじゃ……」
「仁人」
名前を呼ばれただけだった。
それなのに、胸の奥が大きく揺れる。
さっきまで何を言われても動かなかった心が、勇人の声には簡単に反応した。
身体が自然と勇人の方へ向く。
仁人はその瞬間、息を止めた。
――違う。
これは、ただの特性じゃない。
他の人には同じことをされても、心は動かなかった。
勇人だけだ。
勇人の声だけが、こんなにも深いところまで届く。
その事実に気づいた瞬間、手先が冷たくなった。
自分たちは、互いの体調を保つために関係を続けている。
そう思っていた。
けれど。
もし、それだけではなかったとした?
「…仁人?」
「…なんでもない」
仁人は笑おうとした。
けれど、上手く笑えなかった。
勇人はそんな仁人を見つめ、そっと肩に手を置いて何かを察したように口を閉じた。
「…今日は、無理に話さなくていい」
その言葉に、仁人の胸がまた痛くなった。
優しい。
いつもそうだ。
自分が苦しくなる前に気づいてくれる。
だからこそ、怖かった。
このまま頼り続ければ、勇人を巻き込んでしまう。
「勇人」
「ん?」
「……ずっと頼りっぱなしだけど」
仁人は一度言葉を止めた。
「これからは、自分でもちゃんと対処法を考えるから」
勇人の表情が固まった。
「…対処法?」
「うん」
「俺から離れるってこと?」
「そういう意味じゃ……」
「じゃあ、どういう意味?」
仁人は答えられなかった。
答えれば、自分の本心まで溢れてしまいそうだった。
離れたいわけじゃない。
むしろ逆だ。
もっと近くにいたい。
もっと勇人の声を聞きたい。
もっと安心させてもらいたい。甘えたい。
だからこそ、離れなければいけないと思った。
「……このままじゃ駄目なんだと思う」
「何が?」
「俺たちの関係」
勇人の目が揺れた。
仁人はそれを見ないようにしたが、自分の肩に触れる手がわずかに強くなるのを感じていた。
「同じグループなんだから。仕事も一緒だし…今のまま、どんどん深くなったら、きっとどこかで無理が出る」
「仁人」
「だから――」
「本気で、それが望みなのか?」
低く、鋭さを持った声だった。
勇人の胸の奥では、仁人を手放したくないという衝動が渦巻いていた。
自分以外の誰かに頼る仁人を見たくない。
苦しい時に呼ぶのも、安心したい時に思い浮かべるのも、自分だけであってほしい。
そんな独占欲を、勇人はこれまで「仁人を守りたい」という言葉の奥に隠してきた。
けれど今、仁人は自分から離れようとしている。
理性的でいようとする気持ちは崩れ、自分のものにしたい、誰にも渡したくないという思いが膨らんでいく。
それでも、仁人の意思を奪って繋ぎ止めることはできない。
無理やりではなく、仁人自身の意思で自分を選んでほしい。
その矛盾に、勇人は苦しんでいた。
一方、仁人は俯いたまま黙り込んでいた。
離れたいわけではない。
むしろ、離れたくない。
けれど、そう口にすれば勇人をさらに縛ってしまう気がした。
自分が求めれば、勇人はグループのために、関係を壊さないために、無理をしてでも応えてくれるだろう。
だから、これ以上頼ってはいけない。
そう思い込もうとしても、勇人の声を聞いた瞬間から、胸の奥では別の願いが膨らみ続けていた。
そばにいてほしい。
離れたくない。
怖い。
けれど、その怖さよりも先に、心が勇人を求めてしまう。
それが何より苦しかった。
俺と離れたいかと問われたまま、仁人は答えられないでいる。
口を開けば、「嫌だ」と言ってしまいそうだった。
頭では離れたほうがいいと理解しているのに、それでも気持ちは溢れてしまう。
胸の奥に灯った熱は全身へ広がり、大きな瞳から涙となってこぼれ落ちた。
勇人はそんな仁人を見て、ようやく気づいた。
仁人は拒絶しているのではない。
拒絶しようとしている。
それは全く違う。
仁人の言葉は、本心ではない。
「…仁人」
勇人は一度目を閉じ、深く息を吐いた。
自分の中にも、激しい感情が渦巻いている。
仁人が他の誰かに傷つけられたことへの怒り。
自分から離れようとしていることへの恐怖。
そして、今まで隠してきた感情。
全部が混ざって、自分でも制御できなくなりそうだった。
それでも。
「……俺、さっき怖い顔してたよな」
仁人が顔を上げる。
「ごめん」
勇人ははっきりと言った。
「お前を守りたいって思ってるのに、俺自身がお前を怖がらせた」
仁人はすぐには答えず、勇人の次の言葉を待つように黙って見つめた。
「俺は、理性的なDomでいようとした。なのに、一番守らなきゃいけないところで自分を見失った」
その言葉に、仁人の胸が締め付けられる。
「だから、今は何も決めなくていい」
「…勇人」
「お前が俺から離れたいなら、俺はそれを尊重する」
勇人の声が震えた。
「…でも、本当は離れたくない」
仁人の目からまた涙が零れ落ちた。
「俺も…」
小さな声だった。
「俺も、離れたくない」
初めて、本心を口にした。
その瞬間、二人の間にあった何かが少しだけほどけた。
――――
どれくらい時間が経ったのか分からない。
仁人はベッドに横になり、ゆっくりと呼吸を整えていた。
先ほどまでの緊張が抜けたことで、身体はひどく重い。
勇人は水を渡し、仁人が落ち着いて飲めるのを確認してから、少し離れた場所に座っていた。
「……少しは楽になった?」
「うん」
仁人は小さく頷いた。
「呼吸も落ち着いた」
「そっか」
勇人はそれ以上、近づかなかった。
その距離が、仁人には少し寂しく感じられた。
「勇人」
「ん?」
「…そばにいて」
勇人は一瞬、目を見開いた。
「いいのか?」
「うん」
「俺が命令するんじゃなくて?」
仁人は少し考えた。
「…今日は、俺が自分の意思で勇人に頼りたい」
その言葉に、勇人は静かに頷いた。
「分かった」
そして初めて、二人は「命令」ではなく「お願い」という形で距離を縮めた。
勇人が隣に座る。
それだけで仁人の呼吸が穏やかになっていく。
「…不思議」
「何が?」
「勇人がいると、安心する」
「俺も」
「え?」
「お前に頼られると、嬉しい」
仁人は驚いた顔をした。
勇人は少しだけ笑う。
「でも、頼られることと依存させることは違うから」
その言葉に、仁人は黙り込んだ。
「俺たち、今までそこを曖昧にしてたんだと思う」
勇人が続ける。
「お互いに必要だったから、決めたルールの中で関係を続けてきた。でも、そのうちに気持ちまで入り込んでた」
「…うん」
「だから、これからはちゃんと確認したい」
勇人は仁人の目を見る。
「今から言うことに、嫌だったら答えなくていい」
仁人は頷いた。
「俺の言葉を受け取ることは、仁人にとって幸せ?」
しばらく沈黙があった。
仁人は自分の胸に手を当てた。
「…幸せ」
勇人が息を呑む。
「勇人の言葉は、一番安心できる」
「…そっか」
勇人は嬉しそうに笑った。
けれど、その笑顔には、仁人を大切に思うほど自分の欲望や独占欲で傷つけてしまうかもしれないという不安が滲んでいた。
勇人は深呼吸をしてから仁人を見た。
「じゃあ、もう一つだけ」
「うん」
「俺の言葉に従いたいと思うのは、俺がDomだからか?」
勇人にそう尋ねられ、仁人は目を伏せた。
これは、二人のこれからを決める大切な問いだった。
仁人は自分に問いかける。
勇人の言葉を受け入れたいのは、Subとしての特性に突き動かされているだけなのか?
――違う。
勇人の言葉だから、心が動く。
勇人の声だから、安心して受け入れられる。
命令されたいのではない。
勇人の言葉を信じて、その先へ進みたいのだ。
仁人はゆっくり顔を上げた。
「…勇人だから」
もし勇人がDomでなかったとしても。
ケアをし合う関係じゃなくても。
自分を必要としてくれなかったとしても。
それでも、この人の隣にいたいと思う。
「…勇人の言葉だから、従いたい。勇人になら、俺の心ごと預けても大丈夫だって思えるから」
その言葉を聞いた瞬間、勇人は目を閉じた。
何度も聞きたかった言葉だった。
けれど同時に怖かった言葉でもある。
一度聞いてしまうと、仁人を自分に縛りつけてしまうかもしれないと分かっていたから。
「…仁人」
「うん」
「俺は、お前の全てを勝手に決めたいわけじゃない」
「分かってる」
「お前が嫌なら止める。迷ったら止まる。俺が間違えたら言ってほしい」
「うん」
「それでも―」
勇人は仁人の手をそっと握った。
「俺だけを信じてほしいって、思ってる」
仁人の目に、また涙が浮かんだ。
けれど今度の涙は、先ほどまでの不安や恐怖からこぼれたものではなかった。
胸の奥に張りつめていたものが、勇人の言葉によって少しずつほどけていく。
唇をきゅっと結び、震えそうになる声を抑えながら、仁人は勇人の手を握り返した。
指先から伝わる温もりに、ひとりで抱え込んでいた寂しさや罪悪感まで溶けていくようだった。
「…俺も、勇人だけに甘えたい」
「うん」
「勇人だけに、主導権を預けたい」
「…うん」
勇人の指が、そっと仁人の手を包み込む。
「じゃあ、一緒に考えよう」
「何を?」
「これからのこと」
仁人は小さく笑った。
「グループのことも?」
「もちろん」
「仕事のことも?」
「全部」
「…大変じゃん」
「今さらだろ」
二人で笑った。
まだ問題は何一つ解決していない。
これから先、仕事と関係をどう両立するのか。
グループをどう守るのか。
二人の特性と感情をどう扱っていくのか。
考えなければならないことは、いくらでもある。
けれど。
少なくとも、もう一人で答えを出す必要はなかった。
「勇人」
「ん?」
「…俺、勇人のこと好き」
「知ってる」
「なにそれ」
「だって、俺もずっと好きだったから」
仁人は恥ずかしそうに下を向いて笑った。
「…もっと早く言ってよ」
「お前もだろ」
「…それは、そう」
二人の間に、小さな笑い声が落ちる。
仁人は勇人の肩に頭を預けた。
その距離は、今までよりずっと近い。
けれど、不思議と怖くなかった。
勇人が自分を大切に思ってくれていることも、自分の気持ちを受け止めてくれていることも、今はもう分かっている。
互いの想いが通じ合っている。
その確かな実感があるからこそ、仁人は安心して勇人のそばにいられた。
「……勇人」
「ん?」
「これからも、よろしく」
勇人は少しだけ照れたように笑った。
「こちらこそ」
その声を聞きながら、仁人はゆっくり目を閉じた。
逃げるためではない。
信じるために。
end
~~~
domsubユニバースをホントに最近知ったのですが、なかなか奥深くて…
domとsubは精神的繋がりが重要であると(勝手に)解釈してます。信頼関係がないと成り立たない。
もっといろいろなシチュエーションで書いてみたいなぁ
コメント
1件
うわあああああっ!!😭💕💕 読んだよ読んだよ読んだよ!!もう最初から最後まで心臓ぎゅうぎゅうされっぱなしだった…! 仁人くんの「離れたくない」って本音、勇人くんの「俺だけを信じてほしい」…この二人の距離感が尊すぎて死ぬかと思った🥺💞 特に「勇人だから」っていう仁人くんの告白、あれが全てだよね…命令じゃなくて信頼で繋がってる関係性、めっちゃ好き…!! 蝉の抜け殻さんの描く世界観、奥深くてどんどん引き込まれる…!続き、絶対読みたいです!!📖✨