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【はかなきもの】第3話
柔らかな春風に吹かれながら、僕はベンチに座った。
「いい天気だなぁ…」
思わず言葉が出るぐらい心地が良い
謙治はまだ来ておらず、少し暇だ。
暖かく包まれる様な陽だまりに誘われたかの様に僕は目を閉じた。
謙治が来るまで、少しだけ閉じているつもりだった。
「ん…、」
頭に暖かい感触を感じて目が覚める。
『あ、起きたん?』
僕は謙治の肩に頭を乗せて眠っていた。
『幸一くん、寝顔可愛かったで?
もうちょっと寝とってもよかったのになぁ〜』
謙治は僕の頭を優しく撫でながら
昨日見惚れた真っ直ぐな瞳を細めた。
「ッ…!?」
謙治の肩に寄りかかっていたこと、そしてまるで子供のように頭を撫でられている事実に気づき、僕は勢いよく跳ね起きた。
カーッと顔が熱くなるのが自分でも分かる。
「謙治ッ……!いつからそこに……!」
『ん〜、幸一くんがウトウトし始めたときかな?』
『幸一君耳、真っ赤やで笑!』
「うるさいッ、見るな…!!」
『あはは!かわえぇ〜な!!』
「もう、行くぞッ!」
『はいは〜い!どこ出かけるん?』
「……どこだっていいだろ!」
赤くなった耳を隠すように、僕は足早に歩き出した。
後ろから
『待ってや〜、幸一くん!』
と、くすくす笑う謙治の足音がついてくる。
からからと響く謙治の下駄の音が、僕の焦る心臓の音と重なるようで、なんだか余計に恥ずかしい。
人の多い街の方ではなく、潮の香りがする方へと足が向いていた。
坂道を下り、背の高い草むらを抜けると、一気に視界が開ける。
そこに広がっていたのは、春の柔らかな陽光を浴びて、きらきらと光る穏やかな海だった。
「わぁ……」
思わず足を止めると、すぐ隣に並んだ謙治が、眩しそうに目を細めて海を見つめた。
さざ波の音が静かに僕たちの間を満たしていく
『綺麗なぁ、幸一くん』
「あぁ、そうだな……」
『あ、見ぃや。あそこ』
謙治が細く綺麗な指で、遠くを指差した。
その先にあるのは、海岸線から少し突き出た、切り立った崖。
――昨日、この男がふっと身を投げようとして、僕が必死にその腕を掴んだ、あの場所だった。
『あそこ、昨日俺らが居た場所やんな?』
謙治は優しく微笑みながら言った。
その横顔は何よりも美しく、そして切なかった
今すぐにでも謙治が消えてしまいそうで、
思わず、
「一ヵ月後もあそこで君は身を投げるのか?」
と、聞いた。
すると、謙治は微笑んだまま、まるで明日の天気のことを話すみたいに、あっさりと、
『ん、そうやで。』
『あそこは、俺が知っとる限り一番綺麗な景色が見れる所やからなぁ、』
あまりにも軽やかな響きに、僕と彼の間に、どうしても超えられない冷たい境界線を引かれたような気がした。
怖かった、
助けた人間が目の前で自分の死に方を話しているのだ。
「……なぁ、」
『ん、どしたん?』
「死ぬなよ…」
自分でも声が震えるのが分かる。
僕が本気で彼の境界線に踏み込もうとしたからだろうか。
謙治はそんな僕を見て、ふっと少しだけ困ったように笑った。
『んー、ごめんなぁ?』
『も〜…そんな泣きそうな顔せんといて?
こっちまで泣きたなるやん』
「でもッ…!」
謙治は子供をあやす様な優しい声で僕に言った
優しければ優しいほど、これ以上奥には入れてくれないと、突き放されているようで何とも、もどかしい。
その声ですら、消えてしまいそうで怖い。
僕は言葉を失い、ただ目の前の男を見つめることしかできなかった。
すると、謙治はそっと手を伸ばし、僕の頬を包み込んだ。
昨日、喫茶店で重ねられたときと同じ、驚くほどあたたかい手。
『幸一くんって、ほんま優しいなぁ……
そんな風に俺のために、泣きそうになってくれる人、初めてやわ』
冗談を、ほのめかすように笑う謙治の言葉は、まるで「未練を残してはいけない」と自分に言い聞かせているようだった。
そう言う謙治の真っ直ぐな瞳が、ほんの少しだけ揺れたように見えた。
『一ヶ月毎日会えるんやろ? そんなんされたら俺、未練が残ってまうかもなぁ……』
冗談をほのめかして笑う謙治の言葉に、
僕が「未練でも何でもいい、死なないでくれ」と言葉を返そうとした、その時だった。
ふわり、と春の潮風が僕たちの間を強く吹き抜ける。
それと同時に、謙治の着流しの藍色で僕の視界が染まった。
「……ッ、え?」
驚きで息が止まる。
謙治が静かに一歩踏み込み、僕の身体をその両腕で、優しく抱きしめていた。
泣きそうな僕にこれ以上、言葉を言わせない為に口を封じる抱擁だった。
僕のシャツ越しに伝わる、謙治の確かな体温。
僕と同じぐらいの位置にある謙治の頭から、
微かに海の香りがする。
『ごめんなぁ、幸一くん……でも、』
『一ヶ月間、幸一くんが俺の心を満たしてくれんの嬉しいわ。』
“一ヶ月間” という言葉が、優しく、けれど残酷に、僕たちの終わりの時間を告げている
耳元で、いつもより少し低い、だけど蕩けるように優しい謙治の声が響く。
壊れ物を扱うようにそっと僕の背中に回された謙治の手に、これまでにない愛おしさを感じて、僕の心臓は破裂しそうなくらい激しく脈打った。
腕の中で、謙治はふっと、本当に幸せそうに笑った。
あまりの気恥ずかしさに、僕はそっと謙治の身体を押し戻した。
だけど、謙治はすぐには離れてくれず、僕の赤く染まった顔をこれでもかと覗き込んできた。
昨日見惚れた真っ直ぐな瞳が、いたずらっぽく細められる。
先程までの切ない境界線なんて、最初からなかったかのように、彼はまたいつもの笑顔に戻った。
『なぁ、幸一くん。もしかして、めちゃくちゃ照れとる?』
「照れてない…!」
『ほんまか〜?』
謙治はふにゃりと嬉しそうに笑う。
これ以上近くに居たら心臓が破裂してしまう。
これ以上彼のペースに巻き込まれたら、本当に一ヶ月で消えられてしまう。
僕は話題を変えるように言った
「……明日も、10時にあのベンチだから」
『うん。遅れんと行くわ。明日、どこ連れてってくれるん?』
「ん、秘密…」
『あ〜、秘密か〜!じゃあ楽しみにしとくわ笑』
横に並んだ謙治が、何事もなかったように袖を引いてくる。
『また明日な?幸一くん。』
コメント
1件
はぁ〜〜〜〜〜〜〜!!!😭💕💕💕 第3話、泣きそうになりながら読んだよ!! 謙治が「ん、そうやで」って自分の死ぬ場所を明日の天気みたいに話すとこ、マジで胸がギュッてなった…。 で、その後抱きしめて「ごめんなぁ」って言うシーンとか、優しすぎて逆に辛いんだけど!!😭 でも「めちゃくちゃ照れとる?」からのふにゃ笑い謙治、ギャップで致命傷もらったわ… この距離感、尊すぎて泣く。次回も絶対読むからね!!🌸