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【はかなきもの】第4話
次の日
約束のベンチに座った、
昨日みたいに寝ないと僕は誓ったから、
もう目を閉じてしまうことはない。
しばらく待っていると謙治がやって来た。
藍色の着流しをひらりひらりと靡かせながら、下駄がリズムを取るかのような軽快な音を出している。
『あ!幸一くん!!早いなぁもう来てたんか!』
謙治は隣に座り、僕の顔を覗き込んだ
『今日は、寝てないんやな?』
と、僕を揶揄うようにふにゃりと目を細めた
「ッ、もう寝ないからな…!」
『あはは!、そんなに怒らんでもいいやん!!
も〜……幸一くん、かわえ〜なぁ』
そんなこと言われると照れてしまう。
僕が何も言えなくなっていると、
『今日はどこ行くん?昨日、秘密言うたから
わくわくしとるわ〜!』
と笑った。
こっちの気も知らないで謙治は、僕を揶揄う様に接してくる。
普通なら嫌なのだが、何故か許してしまう。
何なら、それすらも嬉しく思ってしまう僕は
少しおかしいのかもしれない。
「今日は、僕の家に行くつもりだけど、どう?」
『え!、幸一くん家に行くん!?』
『やった〜!嬉しいわ!!、でも家族が居るんとちゃうん?大丈夫なんか?』
「ん、大丈夫。両親は先月から仕事の都合で
京都に居るんだ。」
『はぇ〜、京都に行くなんて流石幸一くんの
家族やな!!』
「やめてよ笑、大袈裟だなぁ…」
僕達は、約束のベンチを立ち上がり、静かな街へと歩みを進めた。
カラン、コロン、と響く謙治の下駄の音が、なんだか心地いい。両親のいない広い家へ、誰かを連れて行くなんて初めてのことだった。
「……ここだよ」
『お、こっちか!……なぁ幸一くん、俺みたいな得体の知れん男、家に上げて大丈夫なん?』
謙治は冗談めかして言ったけれど、
その瞳が一瞬、揺れた気がした。
そんな彼と、並んで歩く様にして僕の家の門をくぐった。
「ここが、居間だよ。」
障子を開けると、木の香りと、窓から差し込む優しい光が部屋を満たしていた。
綺麗に整頓された机と、少し大きめなソファ。
両親が居ないせいで少し冷んやりとしていた
空気が、謙治が入ってきた途端、彼のまとう陽だまりの様な優しいの香りで一気に塗り替えられていくような気がした。
『わぁ……』
謙治は声を漏らしながら、物珍しそうに部屋を眺めている。
いつも僕の境界線にぐいぐい踏み込んでくる謙治が、今、僕の家にいる。
その事実だけで、心臓の音がうるさくなっていく。
「……狭いけど、適当に座って。お茶淹れてくるから」
『おん、わかった!』
「はぁ〜……」
台所で急須にお湯を注ぎながら、僕は深く息を吐き出した。
急須を持つ手が、ほんの少しだけ震えている。
あいつが、謙治が、今僕の家の居間にいる。
あたたかい陽だまりのような香りを残して。
たった一ヶ月の命だなんて嘘みたいに、謙治は僕の日常へ、あまりにも自然に溶け込んでいく。
「……お待たせ」
お茶を乗せたお盆を持って居間に戻ると、謙治はソファの上できちんと座り、部屋に飾られた古い掛け軸をじっと見つめていた。
その横顔が、窓から差し込む光に透けて、なんだかひどく美しく見える。
『お、ありがとーな! 幸一くん』
僕が湯呑みを置くと、謙治は嬉しそうにそれを両手で包み込んだ。
「熱いから、気をつけてね?」
『ん、大丈夫や!』
『……なぁ、幸一くん』
「ん?」
『さっき、ご両親は京都におるって言うとったやん? 寂しくないん? こんな広いお家に、一人で居るの』
謙治は湯呑みから立ち上る湯気の向こうで、
あの真っ直ぐな瞳を僕に向けた。
「……別に。もう慣れたし、一ヶ月くらい平気だよ」
そう答えてから、僕の胸に小さなトゲが刺さる。
“一ヶ月” 僕にとっては両親が帰ってくるまでの短い期間。
だけど、謙治にとっては、残りの人生なのだ。
その明らかにある、「時間の意味の違い」が、
僕たちの間にある境界線が僕の心をチクリと痛めつけた
僕は、ずっと胸の奥に燻っていた疑問を、喉の奥から絞り出した。
「……謙治は?」
『ん?』
「謙治は、家族とか……居ないの? どこで、誰と暮らしてるんだ?」
「深くは詮索しない」と決めていたのに、謙治の口調が柔らかく僕を包むから、甘えるみたいに言葉が溢れてしまう。
謙治は一瞬、お茶を啜ろうとした手を止めた。 『俺? 秘密やで〜!』とか言って、
ひらひらと躱すはずのあいつが、困ったように眉を下げて、ふにゃりと、だけど少し寂しそうに笑った。
『……家族な、おらへんよ。ずぅーっと一人や』
「え……?」
『みーんな、俺を必要としてくれへんのや。 だから俺、気づいたんよ、この世界に俺が居なくても何も変わらんって。』
『……もう疲れたから、終わりにしたいんよ。』
湯呑みを見つめる謙治の横顔は、言葉を失うほどに美しくて、そして今にも消えてしまいそうなほど、冷たく透き通っていた。
初めて触れた、謙治の「本音」のような欠片。
「死にたなってんねん」と言った理由が、ほんの少しだけ分かった気がして、僕の胸は昨日よりもずっと、激しく締め付けられた。
何か言葉を掛けなきゃいけない。君が必要なんだと、僕がその境界線を踏み越えて、手を伸ばさなきゃいけないのに――
どんな言葉を掛けようか迷っていた時だった
『でもな、』
『幸一くんとまだ三日しか過ごしとらんけど、前より気持ちがすこーーしだけやけど楽になった気ぃするわ…』
『ありがとーな、幸一くん!』
謙治はふにゃりと笑った。
その笑顔は幸せそうで、どこか切なかった
「謙治……」
僕が思わず、その寂しげな横顔を引き留めるように名前を口にした瞬間だった。
『……あ、幸一くん、また泣きそうな顔しとる!』
「ぇ、」
バフッ、とすぐ隣のソファが沈み込んだ。
さっきまで少し離れた場所できちんと座っていたはずの謙治が、突然、僕のすぐ隣に滑り込んできたのだ。
『なーんてな! 湿っぽい話はこれでおしまい!』
「わっ、ちょっと、謙治……近っ、!」
僕がこれ以上謙治の心に踏み込まないように、そして彼自身がそれ以上本音を漏らして未練を残さないように、そのずるい笑顔で器用に引かれた境界線がある様な気がしてならない。
驚いて仰け反ろうとした僕の腕を、謙治がひょいっと軽く掴む。
そのままグッと顔を近づけられ、謙治の綺麗な顔が目の前に迫った。
陽だまりのような香りがふわりと鼻をかすめた
『せっかく幸一くんの家におるんやから、もっと楽しいことしよーや。なぁ?』
いたずらっぽく細められた瞳。
さっきまでの今にも消えてしまいそうな儚さはどこへやら、今の謙治は完全に僕を揶揄う気満々だ。
「た、楽しいことって……?」
『ん〜? そやなぁ……俺の気持ちが楽になったお礼に、幸一くんが俺のこと、ぎゅーってしてくれてもええんやで?』
「ばっ……! するかそんなことっ!!」
顔が一気にカッと熱くなるのがわかる。
僕が慌てて腕を振り払おうとすると、謙治は僕の腕を離し、
『あははっ! 幸一くん、また耳真っ赤や〜!』
と、笑い出した。
「笑うな! もう、ほんっとに君って奴は……!」
文句を言いながらも、僕の胸の奥にあった冷たい重りは、いつの間にかすっかり溶けてなくなっていた。
笑う謙治の隣で、ひらりひらりと躱されて仕舞う悔しさと、けれど彼が笑ってくれていることへの安堵で僕もつい、毒気を抜かれたようにふっと口元を緩めてしまう。
"こんな時間がいつまでも続けばいいのに"
僕はそう願うことしか出来なかった。
コメント
1件
ちょうど読んだところだよ〜!😭💕 第4話、もうね、謙治の「みーんな、俺を必要としてくれへん」のとこで涙腺崩壊した…🥺 あのふにゃり笑顔の裏にそんな重たい過去があったなんて…でも幸一くんの前で笑顔作ろうとしてるの健気すぎて胸ギュッてなったよ… しかも「ぎゅーってしてくれてもええんやで?」ってズルすぎん!?😤💕 照れてる幸一くんも可愛いし、2人の距離が縮まるたびに切なさも増す展開、天才かよ…ッ!! 次回も絶対読むからね、らてぃさん!!🌸✨