────ヤマヒメの訃報が大陸にいるヒルデガルドに届いたのは、アバドンとの激闘から数カ月が過ぎた頃。修業のために大陸中を移動していたヒルデガルドとイルネスの二人を見つけたのはリュウシンだった。
彼は他の鬼人たちと違って気配を消すのによく長けていたのと同時に探知も得意で、ホウジョウの何倍もある大陸を渡り歩き、ヒルデガルドたちの僅かな魔力の痕跡をにおいとして、熊のような執念深さで休むことなくどこまでも追い続けた。
「……あのヤマヒメが、死んだなど信じられぬ」
小さな森に拠点を置いて魔物狩りの日々を過ごしていたところへ舞い込んできた話に、イルネスは手紙を握り潰さないように感情を抑えた。泣きそうになり、全身が震えた。豪放磊落で、自分たちのために二年も費やしてくれた友人であり、かけがえのない仲間の死に、イルネスは初めて、胸を締め付けられて、我慢が出来ないこともあるのだと知って、ぼろぼろ泣いた。
「わりぃな。姉御は最初からこうなるのが分かってて、あんたらが帰るのを止めなかったんだ。あの場にいたら、絶対に手を出しただろうからって」
「……ふん、そうじゃろうな」
腕で涙をごしごしと拭き取り、あらためて手紙を読む。
『我が妹のようなイルネスへ。小さいてめえが大きくなったり、また縮んだりして、面白おかしい時間を過ごさせてもらった。昔に殺し合ったときと違って、ずいぶんと丸くなったもんだと感心さえした。自分がどうして蘇ったのか、気付いたときにはさぞや恐ろしかっただろう。だけど、安心しろ。てめえは死にやしねえよ』
声が聞こえてきそうだった。
悔しさに背中を丸めて、また涙が溢れそうになる。
『アバドンが消滅すれば、たぶんてめえの無理に蘇生させられた魔核も壊れちまうだろう。どれだけ綺麗に取り繕ったところで、奴の魔力で修復された継ぎ接ぎだらけのモンにしか過ぎねえ。だから代わりに、わちきが二年の時を費やして妖力で創った特別な〝新しい魔核〟をこっそり捻じ込んでおいた。魔法は使えなくなるだろうが、少なくともてめえが消滅することはねえ。何も怖がらなくていいんだ』
いくらアバドン・カースミュールが短い年月で神の領域に至ったとしても、魔核を創るのは簡単なことではない。三千年という悠久の時を生きてきたヤマヒメであったからこそ、完璧な魔核の創造といった技術を持っていた。
死を前にして怯えるかつての宿敵であり、良き友人のために出来ることがあるはずだ、と妖力を操って二年も微調整を繰り返しながら、デミゴッドではなく、その先へさえ至れるような強靭な魔核を生み出したのだ。
『この文《ふみ》がてめえの手に届く頃には、わちきはもういねえ。あのくそったれの骸骨野郎は多分、想像よりもずっとバケモンだ。出来ることがあるとしたら、野郎がてめえらとかち合う時期を遅らせるくらいだ。だから、ひとつだけ頼まれてほしい。どうかヒルデガルドを守ってやってくれ。てめえになら出来ると信じてる』
手紙を丸めて、テーブルの上にそっと置く。どんな思いで筆を執り、どんな思いで戦いに臨んだのか。半ば分かっていた敗北の未来。その先に待っている死への覚悟。想像を絶するだろう果てに、願いを託されて、見てみぬふりはできなかった。
「手紙は届けたぜ。俺は都に戻らなくちゃならない。本当なら首を落としても許されねえはずの俺を生かし、姉御はホウジョウを託した。ノキマルや他の連中にも土下座して納得してもらった。……あとは、あんたらに任せる」
声を震わせ、リュウシンは大きな身体をぐっと曲げて深く頭を下げた。
「どうか姉御の仇を取ってくれ。俺ではとても、あの魔力には太刀打ちできそうにない。あんたらだけが、俺たちの希望なんだ」
「わかっておる。のう、ヒルデガルド?」
部屋の奥で、時分に当てられた手紙を見つめながら背を向けたままのヒルデガルドは、短く「ああ」と返事をした。優しく、温かい声色で。
「安心しろ、リュウシン。その想いは受け取った」
振り返ったヒルデガルドの髪色が紅色から灰青に戻っていく。今までは新しい自分を示すように変えていた髪色は、大賢者としての決意に満ちた過去の己を振り返り、再び大魔導師の名を冠する一人の人間を滾らせた。
「アバドンは必ず私が倒す。ヤマヒメが私たちのために戦ってくれたというのなら、私もまた、誰よりも大切な友人のために立ち上がるよ」
自らに当てられた手紙に目を滑らせる。書いてあったのは、これといって特別な言葉ではない。ただの思い出だ。ただ、かけがえないだけの。それゆえに、彼女の心を大きく動かした。
「ゆっくりしているのも終わりだ。私も十分なほど時間はもらった」
立ち上がり、杖を手に外へ出ると、ホウジョウへのポータルを開く。
「わりぃな、帰り道を用意してもらっちまって」
「ここまで手紙を届けてくれた礼だよ。全部終わったら、顔を出す」
「楽しみにしてるぜ。兄貴の話、聞かせてくれるか?」
ヒルデガルドは、ポータルの向こう側に立って、寂しそうな表情を浮かべるリュウシンに、にかっと笑いかけながら。
「もちろんだ。とびっきりの面白い話を用意してやるから待っていろ」
そうしてリュウシンを見送った後、ポータルは静かに閉じられた。
「……ヒルデガルド、これからどうするんじゃ?」
彼女はすうっ、と深呼吸をして。
「行こう、奴の魔力を辿る。──私と君の二人で決着をつけよう」