テラーノベル
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それから、僕の生活は変わった。
ライブ。
スタジオ。
バイト。
その合間を縫うように、
葵生の世話をする日々が始まった。
最初は、
まだ普通だった。
薬を飲ませる。
病院へ付き添う。
帰り道に好きなプリンを買う。
その程度。
僕は、どこかで甘く見ていたのかもしれない。
ちゃんと支えれば、
まだ大丈夫だと。
でも、
病気は待ってくれなかった。
⸻
「零くん」
深夜二時。
曲作りをしていた零司の袖を、
葵生が不安そうに掴む。
「……トイレ、どこだっけ」
数秒。
何も言えなかった。
毎日使っている家だ。
分からなくなるはずがない。
でも葵生は、
本当に困った顔をしていた。
「……こっち」
立ち上がって、 葵生の手を引き
ゆっくり案内する。
その手は冷たかった。
⸻
またある日は
「ねぇ、零くん」
「ん」
「私さ」
葵生はぽつりと呟く。
「今日、歯磨きしたっけ」
していた。
十分前に。
「した」
「そっかぁ……」
葵生は少し安心したみたいに笑う。
その笑顔を見るたび。
胸のどこかが、
静かに削れていく。
⸻
ライブの日も スマホを手放せなくなった。
楽屋で何度も時間を見る。
通知が来るたび心臓が跳ねる。
ステージへ上がっても、
頭の片隅には葵生がいた。
一人で転んでないか。
火をつけっぱなしにしてないか。
迷子になってないか。
観客の歓声が遠い。
ギターを弾きながら 思う。
——僕、何してんだろ。
⸻
ある雨の日。
葵生の母から、
また電話が来た。
『少し寄っていきませんか』
僕はライブ帰りのまま、
葵生の実家へ向かった。
葵生は先に寝ていた。
静かな部屋。
テーブルには、
湯気の立つお茶。
母親はしばらく黙っていた。
それから、
ぽつりと呟く。
「……あの子、小さい頃からよく笑う子だったんです。 転んでも笑って、失敗しても笑って。 だから私は、大丈夫だって思い込んでた」
母親の声が少し震える。
「でも、本当はずっと無理してたのかもしれません」
窓の外で雨音が鳴る。
「最近ね」
母親は俯いたまま言う。
「あの子、“お母さん”って言えなくなる時があるんです。 分かってるんです、本人も。 分からなくなっていく自分に、一番怯えてるのはあの子なんです」
母親はそこで、
小さく笑った。
でも
その目は赤かった。
「私はね」
掠れた声。
「母親なのに、守ってあげられなかった」
その言葉が、
胸に重く落ちる。
母親は続ける。
「零司くん。 あなた、最近ちゃんと寝てますか」
答えられなかった。
図星だった。
「自分を削ってまであの子を支えようとしてませんか」
母親は、
泣きそうな顔で笑った。
「……あの子、あなたのこと大好きだから…… だからきっと、あなたが壊れるのが一番嫌なんです」
部屋が静かになる。
長い沈黙のあと。
僕は呟いた。
「……守ります」
母親が顔を上げる。
真っ直ぐ前を見たまま、
静かに言う。
「俺が、葵生を守ります」
迷いはない。
たとえ全部忘れられても。
最後まで。
そばにいると決めていた。
コメント
1件
静かに、でも確実に日常が削れていく描き方が巧いですね。葵生が「歯磨きしたっけ」と笑う場面が特に胸に残りました。覚えているからこそ、忘れた自分を認めたくないんでしょう。母親の「一番怯えてるのはあの子」という台詞も重い。零司の「守ります」が迷いのない決意として響いて、この構造、よくできてると思います。