高台に聳え立つ王宮の下に、王都ルントンはある。
ここで手に入らないものは無い。国中の美しい芸術品や、挿絵が見事な本。地方の特産品や、王室御用達の高級菓子やお茶を取り扱うお店が、お行儀よく軒を連ねている。
少し離れた平民街の市場では、新鮮な野菜や肉。水揚げされたばかりの魚介類を扱い、学者を数多く産み出した学院や、最高の技術者を集めた病院もある。
そんな巨大な街が、王都と呼ばれ続けている年数と同じだけ、ロゼット邸はそこにある。
ロゼット家は、長い歴史を持つ名門貴族で、歴代の当主は国王を支える地位を約束され、家は繁栄を続けている。
現在、ロゼット家当主のウィレイムも、次期宰相閣下となるべく、宰相補佐という役職に就き、毎日業務に励んでいる。
一方、その妹であるマリアンヌは、王都のことを良く知らない。過保護な兄のせいで、あまり外に出してもらえないのだ。
けれど、今日のマリアンヌは、侍女のジルを伴って街を歩いている。普段身に付けているドレスより、幾分か地味な姿で。
「ねえ、ジル。これ、あなたに似合いそう。中に入って見てみましょう」
店先に飾られているコサージュをあしらった帽子が目に入り、マリアンヌは足を止めて隣にいる侍女に声を掛けた。
けれど侍女のジルは、音がしそうなほど激しく首を横に振った。
「い、いえっ。とんでもないですっ」
「どうして?」
「どうしてって……こんな高価な品、わたくしには身分不相応ですっ」
強く辞退され、マリアンヌは自分が世間知らずであったことを知る。
ガラス越しに見える帽子はデザインは違えど、クローゼットにあるものと品質は変わらないように見える。
それを自分は、高価なものと認識せずに使用していた。
「ごめんなさい、ジル。困らすつもりはなかったの。ただ……今日のお礼がしたかっただけなの」
しゅんと肩を落としながらそう謝罪をするマリアンヌに、ジルは青ざめる。
「そんなっ、お礼だなんて不要でございます!わたくしは、マリー様が楽しんでいただければ、それで充分でございます」
「っ……!」
労わりの眼差しを受けて、マリアンヌは言葉が見つからず唇を噛んだ。
今日、街に出たことは、兄には内緒だ。
レイドリックとエリーゼのことを考えたくなくて、マリアンヌは気分転換がしたかった。そのワガママを叶えてくれたのは、ジルだった。
執事のヨーゼフや他の使用人達を上手く説得して付き合ってくれているが、兄に知られたらジルは罰を受けてしまうだろう。
そんなリスクを負ってくれた共犯者に、お礼がしたかったのに。
それすら要らないと言われ、マリアンヌは途方に暮れてジルから目を逸らし──息を吞む。
視線の先に、ある人に良く似た青年を見つけてしまった。
(ま、まさか……彼じゃないわよね!?)
真っ黒な騎士服を着た青年は、マリアンヌの視線に気づいたようで、顔をこちらに向けた。
ばっちりと目が合ってしまい、人違いであればと願ったけれど、それは叶わなかった。
人混みの中に紛れていたのは、あろうことかクリスだった。しかも彼は、すいすいと流れるように近づいてくる。もはや逃げる時間は、残されていない。
「えっと……マリアンヌ様……ですか?」
クリスの口調が疑問形になったのは、まさかこんなところにという気持ちの表れなのだろう。
マリアンヌだって、同じ心境だ。この邂逅は喜べない。控えめに言って、最悪だ。
でも”人違いでは?”と白を切る度胸はないし、「どうして、あなたがいるの?」と、彼を責め立てるのは、お門違いということもわかっている。
ひとまず今一番にやらなければならないのは、兄への密告を阻止することだ。
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