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残された時間の中、私はまた中村先生の所に戻った。
「先生……」
もはやどう声をかければ良いのか分からず、先生の顔色を伺う。
「はは、僕も何を言えばいいのか分からんわ」
笑っているような、元気な声色を発しているけれど、いつもの笑顔がそこには無かった。
……そんな顔、しないでくださいよ。
言えるはずもなく、立ち尽くしてしまう私達。
「さっきまで数学やってたのになぁ、急にこんなことになるなんてびっくりやな」
こちらに身体ごと視線を向ける先生。
中村優と書かれている名札がヒラヒラと舞う。
やはりそこに笑顔は無かった。
16時半頃、つい先程まで私達は職員室前のスペースで数学をしていた。
先生がオススメしてくれた本を教材として置き、分からないところを解説してもらう。
月に1回ほどの恒例行事だった。
「……なるから、〜なるやろ?だから、」
「!!、○ですか?」
「そう!」
よく出来ました、と言うように軽やかな動きで私の数式に花丸を描く。
やっぱり、数学は面白い。
自然とそう思えた。
それと同時に、分かりやすく説明できる中村先生にも興味が前に質問した時よりも湧いた。
段々と、徐々に。
「……面白いですね」
「そうなんよ!数学って面白いんよ!」
キラキラした笑顔で私を見つめる先生は、まるで子供かのような無邪気さを感じた。
そんな可愛らしい一面を見て、また数学を好きになる。
……そんなことがあった、1時間半前。
「そう、ですね。」
「……田辺さんは強いなぁ」
「…え?」
急に話題を変えられたものだから、少し驚いてしまう。
先生の目は少し微笑んでいるように見えた。
「周りの子は泣いたりしてるのに、って。いや、辛いは辛いよな、ごめん。」
また顔が戻ってしまう先生。
正直、辛くは無いかもしれない。
特に何も無い平凡な人生だったし、あんまり平和に生きたくても生きられない人がいる中でこう言うのはよくないと思うが、刺激がない平和な世界で生きていても、つまらなかった。
……いや、中村先生と出会ってからは楽しくなったかな。
数学の楽しさに先生が触れさせてくれて、数学と友達になりたくて、先生と対等に話せるようになりたくて。
最近はかなり女子校ながらも青春を謳歌してたと思う。
それなのに、どうして辛くないんだろう。
「辛くはないですよ、何でなんですかね……あはは」
「田辺さん……」
心配そうな顔をする先生。
左胸がギュッとなる。
人が辛そうな顔を見ると、自分も辛くなる。
昔からそうだった。
ドラマで家族が亡くなって苦しんでいる子供、好きな人には実は彼氏が居て、告白する前に失恋してしまった女子高生。
経験したことは無いはずなのに、とても心が痛くなる。
中村先生が辛そうな顔をしている時はさらに胸が痛くなる。
何でなんだろう。
いや、分かってるんだろうな。
そんな自問自答を繰り返していると、先生が動き出したので、慌てて着いていく。
何かを探しているらしく、どうしたんですか?と聞くと、紙がどこかにないか、ということだった。
私は唯一持ってこれたリュックを下ろし、その中からルーズリーフを1、2枚取り出し、先生に渡した。
「ありがとう。あの、おそらく残らないと思うけど、遺書書いとかん?最後やし」
「そうですね、最後ですし」
最後、その言葉を言われた時、急に緊張感が走った。
本当に今から私達は津波に飲み込まれるのだろうか?
いや、やめよう。
余計なことを考えても辛くなるだけだ。
そう思い、またリュックからボールペンを取りだし、床に座り、書き始める。
まずは、お母さんにかな。
ーママへー
今日まで育ててくれてありがとう。
シングルマザーで大変なはずなのに愛を沢山くれてありがとう。
何不自由ない暮らしをさせてくれてありがとう。
雪菜は、幸せでした。
隠し事はしたくないので、ちゃんと書き記します。
私は━━━━
「田辺さん、修正テープ持っとらん?」
思わずびっくりしてしまい、肩がビクッと動く。
慌ててルーズリーフを隠し、平静を装う。
「あ、修正テープですね!ありますよ、はい。」
「ありがとう」
そう言い、修正テープで間違えたところを消して、また書き始めている。
先生は、誰に書いているんだろう。
申し訳ないと思いつつ横目で見ると、お母さんとお父さん宛に書いているのが見えた。
その顔は今まで見た事のないくらい真剣で、つい見惚れてしまうほどだった。
っと、いけないいけない。
私も書かないと。
おばあちゃんと従兄弟にも一応書いておこう。
津波が来るまで、あと10分。
ホール内は嵐の前の静けさと言うべきか、閑散としていた。
それぞれが書いた遺書を少しでも残しておけるようにと、先生が提案してくれた。
クリアファイルになるべく厳重に入れて、すぐに私のリュックの中に入れる。
再び沈黙が訪れた。
が、すぐに口を開いたのは私だった。
「中村先生、最後に一緒にいるのが私でいいんですか」
さっきからずっと聞きたいことだった。
我ながら否定しずらい質問をしてしまったと思う。
けれど、もし「教師」としての義務を感じて私の隣にいるのならば、最後くらいは「中村優」として自由にして欲しかったから、勇気を振り絞る。
「うん。田辺さんがいいんよ。あっ、いや、そう意味じゃなくて……!その〜、、」
言い訳らしき事を早口で言う先生。
ふっ、と笑ってしまう。
心から笑ったのはさっきの数学以来からだろうか。
まさかこの状況で笑えるなんて、思いもしなかった。
「……田辺さんは、私でいいんですか?」
珍しく「私」という先生。
真面目な時は必ず一人称を私にすることを知っていたので、何故だか少し嬉しくなってしまう。
「中村先生がいいんです。最後に一緒なのが先生で良かった。」
津波が来るまで残り7分程度。
「そ、っか。」
途切れる言葉。
少し顔を赤くする先生。
「先生に、遺言を託してもいいですか」
「僕も死んじゃうのに?笑、ちなみに誰宛?」
「中村 優先生にです。」
「……僕?」
「はい」
不思議そうな顔をする先生。
1年間、ずっと先生のことを見てきた。
嬉しそうな顔、悲しそうな顔、怒っている顔、幸せそうな顔、辛そうな顔。
感情豊かな先生は、見ててとても面白かった。
いや、面白いんじゃない。
「中村優先生へ
本当は成人して、どうにか関わりを持ってから言いたかったんですけど、叶いそうにないので、今言います。」
ふぅ、と一息着き、心を落ち着かせる。
覚悟を決めるようにまだ不思議そうに私を見つめる先生の目を見て、ゆっくりと今まで言えなかった言葉を口にする。
「好きです」
「……ぇ」
気の抜けた声を発する先生。
そんなことを気にせず私は続ける。
「先生にとって理想の生徒として死を迎えるのも良かったけれど、やっぱり愛する人には好き、って言っておきたかったから……。迷惑ですよね、ごめんなさい。」
なるべく早口にならないようにゆっくりと話す。
「先生は私を数学に惚れさせてくれました。けれど、私は数学をしていくうちに、中村先生にも惚れてしまいました。単なる憧れではなく、本当に1人の男性として……。」
「ちょっと待って」
さすがに語りすぎてしまったか。
引かれてしまったか。
そんなことを脳内が回り巡り、呆然としてしまう。
「え、あ……ごめんなさ…」
「いやいや!ただ、違う場所で話した方がええかなって……」
かぁっと、顔が赤くなるのを肌に触れなくても感じる。
いくら大声で話していないとは言えども、こんな話をホール内の隅でするのは確かに気まづい。
「急いで移動しましょうか、えっと、図書室に。」
「せやな」
津波が来るまで残り5分。
外はかなり曇っていて、1寸の光すらも見えなかった。