僕の暮らす町は、ドがつくほどの田舎だ。
コンビニだって24時間営業じゃなく10時には閉まってしまうし、自宅からそこに行くのだって車で片道5分、自転車で30分かかる。
同じように、僕の通っている中学校へも行きは自転車に乗って20分、帰りは自転車を押して1時間。
なんでそんな時差が生まれるかと言うと、答えは簡単。行きは下り坂だけど、帰りは自転車を漕いで進むのがなかなかに厳しい上り坂だから。
(…ほんっと不便だよなぁ。)
自転車を押しながらの家への帰り道。
左側は杉林、右側は畑の片道一車線。
そのはじっこを延々、何かの修行のような気持ちで歩いていると、ふとどこかから鳴き声が聞こえた。
「?」
立ち止まって、きょろきょろと辺りを見回し、やっと声の聞こえる場所を特定する。
杉林側の道路脇、雨水なんかを通すために作られたコンクリートの側溝。その底には、生まれたばかりらしい子猫が3匹、にゃあにゃあと鳴いていた。
「…ねこじゃん」
自転車を止めて、しゃがみ込み側溝を見下ろす。黒ぶちにミケに白。ちいさな子猫たちは、3匹寄り添ってみゃーみゃー鳴いている。
親猫の姿を探すけれど、どうやら近くにはいないらしく、だんだん心配になってきた。
連れて帰れるものなら連れて帰りたいけど、うちには猫アレルギーの家族がいるし、3匹も飼うなんてそもそもできないし。
だからと言って、このまま立ち去るのも、なんだかなぁ。
…どうしよう。
「なにやってんの?」
不意に後ろから声をかけられ、心臓が飛び出るくらいに驚いて振り返る。
そこに立っていたのは、自転車に手をかけた、見知らぬ少年。
こんな田舎じゃ珍しいくらいの整った顔に、本当に同じ生きものなのかと疑いたくなるようなスタイル。
ぽかんと見惚れてしまいかけて、慌てて我に帰り、立ち上がる。
向かいあっても、少し見上げないといけないくらい背が高い。僕と同じ黒い学ランに校章。ということは同じ中学のひと。でも、こんなひと同級生にも先輩にもいなかったはず…と考えを巡らせピンとくる。
あ、もしかしてこの人。
最近親の転勤で引っ越してきたって噂になっていた、同じ学年の隣のクラスの、確か…
「佐野、くん…?」
「え、何で俺の名前知ってんの?」
目を丸くして驚く佐野くんの顔がおかしくて、思わず笑ってしまう。
「うちじゃ転校生って珍しいから。噂になってたよ、都会からイケメンが来たって」
何日か前、同じ学年どころか学校中の女子がキャーキャー騒ぎながら、隣のクラス前に人集りを作っていたのを思いだす。
なるほど、確かにこんなイケメンなら女子がほっとくわけないな。
「あー、そうなん?」
転校生佐野くんは、困ったように頭を掻きながら苦笑いする。
「ハードルあげんで欲しいわぁ。いたの愛知やし、俺ゆうてそんなイケメンじゃねぇから」
「そのハードルを軽く飛び越えるぐらいイケメンだと思うけどね」
「そんなん雰囲気だけだって。アレだよアレ、雰囲気イケメン。」
「世の雰囲気イケメンに刺されるよ?」
そう言ったら佐野くんは、わはっと大きな口を開けて笑った。
「お前、おもしれぇのな」
…本当、男の僕からみても惚れ惚れするくらいかっこいい。
その笑い顔にまた見惚れそうになっていると、で?と佐野くんがまた聞いてくる。
「で?ここでなにやってんの?」
「あぁ、あの…」
にゃー。
僕が答えるより先に、側溝が返事をする。
それにまた目を見開いて、佐野くんは声が聞こえた方へと視線を落とした。
「は…え?ねこ?」
「そう、ねこ。」
「なんで?」
「わかんない。僕もさっき気づいて、どうしようか考えてたとこなんだ」
「ふーん、そか」
佐野くんは頷くと、自転車を止め、膝くらいの深さの側溝へと降りて、3匹の子猫をまとめて抱き上げた。
「ちっっさ!かわいすぎんこれ?!」
佐野くんは愉快そうな声を上げて、僕にも見えるように子猫を掲げる。その腕の中におとなしくおさまった子猫たちは、きょとんとした様子で僕を見上げていて。
思わず側溝に下り、僕はその小さな頭をそっと撫でてみた。
「…うわぁ〜」
くりくりの目にふわふわな毛並み。あまりの可愛さに、自然と笑顔になる。ほんと、こういう動物の赤ちゃんってなんでこんなに可愛いんだろう。
「…かわい」
目の前から聞こえた声に、完全同意して佐野くんを見上げて笑いかける。
「あはは、ね、可愛いね?」
「お、おう。」
目が合った途端、なぜだか気まずそうに視線を逸らす佐野くんを不思議に思ったけど、それは気のせいだったらしく、佐野くんはさっきの僕のようにあたりをきょろきょろと見回した。
「親ネコとかいないんかな?」
「それがいないみたいなんだよね」
「どっかゴハンでも探しに行ってんのかな」
「そうかも」
それから、子猫を撫でたりしてしばらく待ってはみたものの、親猫が戻ってくる気配もなく。
「そろそろ帰んなきゃだわ、俺」
「僕も」
「連れて帰りてぇけど、うちペットダメだしそもそも親猫帰ってくるかもだしな」
「そうだね」
「うっし。じゃあ、こうしとくか」
佐野くんは抱いていた3匹の子猫を僕にそっと渡して側溝から出て、自分の自転車のカゴに乗っていたエナメルバッグをひっくり返す。
ジャージ、水筒、トレッキングシューズもろもろをカゴにぶちまけてバッグの中身を空にすると、そのバックとタオル片手にもう一度側溝に降りてきた。
一体何をするのかと見守っていたら、そのエナメルバッグの中にタオルを丁寧にしいて、佐野くんはその中を指差す。
「最近夜とか寒いから、こんなかいれば大丈夫じゃね?」
「え。でも、それじゃ佐野くんのバッグが…」
「いーよいーよ、そのうち親迎えにくるっしょ。明日の朝回収すりゃどうとでもなるし」
なんでもないように言って笑う佐野くんに、もはや脱帽で声も出ない。都会(愛知だってここからしたら十分都会だ)からの転校生でイケメンでスタイルも良くて性格もいいの?
え、佐野くんってもしかして、どっかの漫画から出てきた王子様だったりする?
喉元まで出かかった言葉をさすがに飲み込んで、抱えた3匹の子猫をバッグの中にそっと下ろす。
子猫は突然できた住処に最初はうろうろしていたけど、どうやら居心地は悪くないらしく、3匹とも佐野くんのタオルに包まるようにころんと横になった。
「うん、カンペキじゃん!」
「うん、ほんとカンペキ。」
ふたりで笑いあって、最後に3匹の頭を撫でてから、名残惜しいけどその場を後にする。
「佐野くんってここら辺に住んでるんだ?」
「おう、こっからもうちょっといったとこにある公民館の先のマンション」
「あー、あそこかぁ!僕んちはあの無人販売所の近くだよ」
「あぁ、あっこの?じゃあ近所っちゃ近所だな」
「距離はあるけどね」
自転車を押して、2人で何でもない話をしながら帰る帰り道。
佐野くんのいた街のこと。
お互いの部活動のこと。
うちの学校のこと。
いつもなら辛い修行のような帰り道も、佐野くんと話していたら、あっという間にうちの前に着いていた。
「あ、うちここだから。」
「え、ここ?…もしかしてお前って、金持ちのお坊ちゃんだったりする?」
「違うって。田舎は土地だけはあるからね」
笑いながら否定して、僕は道の先を指差す。
「佐野くんちはまだ先だよね?」
「そ。…なんかさぁ」
「うん?」
「 引っ越してきてから、何なんこれクソ遠いなって思ってたんだけど、お前と帰れて今日は楽しかった。秒だったわ」
その言葉が、何だかとても嬉しくて照れ臭い。
「僕の方こそ、楽しかった」
「そんならよかった。じゃ」
「うん、じゃあ」
佐野くんは片手をあげると自転車にまたがり、僕じゃ到底漕げない坂道をなんなくすいすいと進んでいく。
「なぁ!」
…かと思ったら、自転車から降りて振り返った。
「そういえば、名前聞いてなかった!」
声を張り上げて言う佐野くんに届くように、僕も大きな声で叫び返す。
「ぼ、ぼくよしだ!よしだじんとっていいます!隣の3組!」
「わかった、吉田ね!」
じゃあ また明日な、吉田!
佐野くんは、笑いながらぶんぶんと手を振って、再び自転車に乗って走り去っていく。
「……また、明日。」
そうちいさく呟いて、
なんだか明日が待ち遠しいような、不思議な気持ちになりながら。
僕は、その後ろ姿が見えなくなるまで見送った。
続
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