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私は雪の顔が好きだ。

極めて美しく、整っているということも理由の一つだが、何よりその声やふとした表情にどことなく親しみを感じるのだ。

そう、何だか懐かしいような、

誰かに似ているような────────



「藍子ちゃん」


何か大事な事を思い出しそうな気がしていたが、一歩先で振り返った雪に名前を呼ばれ、私はそこで考えることを辞めた。

いつの間にか立ち止まっていたようだ。

「どうかした?」

「ううん、なんでもない」


今日は初めて雪と二人で出掛けた日だった。

汽車に乗って隣町へ訪れ、映画を見、少し遅めのランチをとり、これからカフェへ行こうとしていた。

「そう?じゃあはやく行こっ」

明るくそう言って雪ははしゃぐように私の右腕に抱き着いた。


あの日から─────雪の援交が露見した日から、彼女からのスキンシップが増した気がする。というか、態度に気兼ねが無くなった。

あれから私たちがあの話題に触れることは無かったが、彼女なりに何か吹っ切れたのかもしれない。

私は全く嫌な気はしなかった。



昼下がり、落ち着いた雰囲気のレトロなカフェで私たちは話に花を咲かせた。

「ここすごくお洒落だね。藍子ちゃんはセンスいいなあ」

私が提案して訪れたカフェで、雪は感心した様子で言った。

「それならよかった。

…私中学のとき、ひとりでカフェ巡りするのが趣味だったの」

「そうだったんだ。なら、また次も藍子ちゃんのお勧めのお店、連れてってよ」

「また、次も…」

当たり前のように二度目の約束が為されたことが嬉しくて、私は何気無い雪の言葉を噛み締めた。中学時代、誰の友達枠にも入ることが出来なかった私にとって今、彼女との「約束」はとても特別なものだった。

「もちろん。私も雪と一緒に行きたい」





「さっきカフェで食べたタルト美味しかったなあ」

「新作のが食べられてラッキーだったね」

「ねー、私今度はチーズケーキが食べたいな」


カフェを出た私たちはのんびりとウィンドウショッピングを楽しんでいた。紅茶を喫しつつつい話し込んでしまい、気付けばもう時刻は午後五時を回ったところだった。

誰かと遊ぶというのはこんなにも時間を忘れる程楽しいものなのか、と私は返すがえす喜びを実感していた。


ふと顔を上げると、一瞬、目の前の煌びやかなアパレルショップの大きなショーウィンドウに自分の姿が反射した。

白いブラウスにロングスカート、飾りの付いたミュール。

今日は初めて雪と一緒に出掛けるのだから、と不慣れながらも精一杯、自分なりにお洒落して来たつもりだった。けれど目の端で捉えたそこに映っていたのは野暮ったい女で、途端に雪と並んで歩いているのがひどく恥ずかしくなって私は俯いてしまった。

自分が持っているものの中でいちばん余所行きとして選んだ、それでも地味な服と靴が目に入った。


それに比べて今日の雪は一段と綺麗だった。

待ち合わせ場所に立っていた彼女はその纏っている白いワンピースが、いや彼女自身が太陽を受けてキラキラと輝いていて、私の脳裏に留めておくには余りにも眩し過ぎて今夜は眠れないかもしれない、と思った程だ。


泣きそうになったせいでテンポを崩し、私の足並みが半歩遅れた瞬間、隣を歩いていた雪は突如立ち止まり私を振り返った。

「────どうかした?藍子ちゃん」

私はその雪の洞察力の鋭さに少し怖気を覚えたが、慌てて「ううん、何でもないよ」と取り繕った。しかし彼女にはお見通しのようで「うそ。声震えてるよ」と言われてしまい、私は観念して小さな声で呟いた。

「……私と一緒にいるの…恥ずかしかったら、ごめんね。

私は雪みたいに、スタイル良くないし…」

すると雪は少しの沈黙の後、私の前に向き直りそっと私の両手を取って穏やかに言った。

「お願い、そんなこと言わないで。 藍子ちゃんはかわいい。

私は藍子ちゃんがいいの。」

雪が私を見上げる顔はひどく優しく、慈愛に満ちていた。

その聖母のような温かい微笑みを見た瞬間、不意にドクンと心臓が大きく跳ね上がった。

いつか、どこかで見たことがあるその表情。

まるで何かが無理矢理ドアをこじ開けようとしているかのように激しく海馬が刺激される感覚。


何だ。私は何を思い出そうとしている?


今までずっと忘れていた誰かを──────



「あーっ」

私が記憶のレールを走り出そうとしていたその時、雪が携帯を見て突然声を上げた。

「ど、どうしたの?」

「もうこんな時間…

ごめんね藍子ちゃん。私もう帰らないといけない」

申し訳無さそうに眉を下げながら雪は言った。腕時計を見遣ると、時刻は午後六時弱を指していた。

「私ん家、門限があるの。七時には家に居ないといけなくて…」

「そっか、厳しいんだね」

思っていたよりも早い解散に、私は名残惜しさを感じずには居られなかった。

今日は本当に楽しい一日だったな、と思いながら別れを告げようとすると、この上無い程に寂しそうな顔をした雪がぽつりと呟いた。

「…帰りたくないなあ…」


それを聞いた瞬間、無意識に言葉が私の口をついて出ていた。


「嘘吐いちゃって、私と一緒に居ようよ」


雪は目を見開いていた。

自分でも驚いた。普段の私ならこんな事絶対に言わない。けれどさっきから正体の分からない不安が背中を付き纏っている所為で、「一人になりたくない」という思いが胸に蟠っていた。

それから少しの沈黙が流れた後、俯いていた雪はやがて顔を上げ、泣き笑いのような表情で言った。


「…ママが心配するから」




私たちは最寄りの駅まで向かい、そこで解散となった。余程急いでいるようで、雪は半身を翻しながら「じゃあ私急ぐから、先に行くね。藍子ちゃん、今日はありがとう。気を付けてね」と名残惜しそうに告げた。

雪が行ってしまう。

私も後ろ髪を引かれる思いで「またね」と手を振った。


「バイバイ」


愛情深く、別れを惜しむような表情でそう告げる雪。

その姿に、またしても何故か私の胸は早鐘を打ち始めた。


ドクン、ドクン、ドクン────────


思わず私はその場にしゃがみ込んだ。


何これ。何なの。


長い間封じ込んでいた記憶が蘇ろうとしている気配を感じる。

いけない。

本能が、全身の細胞がそれを思い出してはいけないと叫んでいる。

鳥肌が立ち、背筋につうっと冷や汗が走った。

チカチカと点滅してままならない視界で見上げると、花のようにワンピースの裾を靡かせる雪の後ろ姿が遠ざかっていく。

それを見た瞬間、ついに思考が弾けると同時に強烈な嘔気が込み上げ、私は改札と逆方向の駅内のトイレに駆け込んだ。




「ゔ、お゙ぇ…っ お゙、ごほっ、ゔえ゙ぇ゙っ 」


蹲って便器にしがみつき、喉を這い上がってくる消化物をすべて吐き出した。

頭がズキズキと痛い。

今日の為に引っ張り出してきたブラウスもすっかり台無しになった。




「げほ、ごほ…っ」

吐瀉物も涙も何もかもトイレに流して漸く吐き気が収まった頃、私は震える手でガチャリと鍵を外し、個室を出た。

口腔内に不快な酸っぱさがこびり付いている。

自販機でペットボトルの水を買い、汽車に乗って家に帰った。


───────ひとりきりの家に。



雪は似ていた。あのひとに。


私はすべてを思い出してしまった。

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