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瀬名と二人きりで話せなかったのは心残りだが、順調に回復している姿を見て心底安心した。理人が深く安堵の溜息を吐き出すと、隣を歩く萩原が不思議そうな、それでいてどこか嬉しそうな表情を浮かべた。
「片桐課長、思ったより元気そうで良かったですね」
「ああ。一時は意識不明だったからな……無事に退院が決まって本当に良かった」
「じゃあ、今度は新年会も兼ねて課長の快気祝いしないと」
「……お前は、飲み会の企画ばかりだな」
ジト目で睨むと、横で奥さんがクスクスと楽しそうに笑う。
「ち、ちゃんと家族サービスはしてますから! それに、たまにしか企画してないじゃないですかっ」
「本当か? 嫁さんを泣かせたりしてねぇだろうな」
「してませんって! ……なんだか、部長とこんな話ができる日が来るなんて、不思議な気分です」
「なんだそりゃ」
理人は思わず苦笑した。確かに、以前の理人と社員の間には、目に見えない高い壁があったように思う。自分でもできる限り素は出さず、完璧な上司でいるために敢えて厳しく接していた。だが、瀬名にその「仮面」を完膚なきまでに剥ぎ取られてからは、どうにも以前のような振る舞いが上手くいかない。戸惑う理人に、萩原はにっこりと笑いかけた。
「でも俺、今の部長の方が好きですよ。人間臭い部分がちゃんとあったんだなって安心できるというか……」
「……お前は私を何だと思っていたんだ」
「あはは、まぁ、なんと言いますか……ずっと『理想の上司像』の象徴みたいで、どこか遠い存在に思えていたんですよ。完璧すぎて近寄りがたいというか。だから、こうして部下のことを心配したり、一緒に喜んだり……そういう感情を見せてくれるのが、なんだか嬉しいんです。あ、もちろん普段の厳しい態度も尊敬してますし、大好きですよ!」
「……」
真っ直ぐな敬愛の言葉を向けられると、気恥ずかしくて何と答えていいのか分からなくなる。
「あ! そう言えば……部長。実は、少し気になるものを見てしまったんです」
「気になるもの? なんだ」
「朝倉係長について、なんですけど……」
その名が出た瞬間、理人の眉がピクリと跳ねた。今まさに一番注視していた話題を振られ、心臓が嫌な音を立てて波打つ。今回の事件の背景を萩原は知らないはずだ。一体、彼は何を見たのか。
「仕事納めの日だったんですが。あの人、珍しく外回りに出たなと思っていたら、真っ黒なスーツを着た怪しい男とファミレスにいたんです」
「ファミレスだと――」
「俺、ちょうどそこに居合わせちゃって。なんだかよく分かりませんが『話が違うだろ!』って怒鳴っていて……。あまりの剣幕に、最初は別人かと思ったくらいです」
「……何か、詳細に聞き取れたことはあるか?」
「『探偵一人潰せないのか!』とか、そんな……。それと、気になったので店員さんにお願いして、これ、机の裏側に貼り付けておいてもらったんです」
萩原が取り出したのは、現在試作段階にある超小型の集音機だった。まだ不具合が多く実用化には程遠い代物だが、萩原はこうした機械工作の小細工に長けている。
「一応確認はしたんですが、雑音が多い上に内容が不穏で……。段々と聞くのが怖くなってしまい、どうしようかと思っていたところだったんです」
「……私が預かってもいいか?」
「はい。元々、年明けに部長に渡すつもりでいましたから」
理人はその小さな機械を受け取ると、慎重に胸ポケットへ収めた。これで、この騒動も収束へ向かうだろうか。
萩原と別れ、帰宅した理人は早速受け取った音声データを再生した。 ――ガサッ、ブツッというノイズの向こうから、聞き慣れた、けれど今まで聞いたこともないほど卑屈で傲慢な声が響いてくる。
『……お前ら、本当に使えねぇな! 鬼塚理人を殺れと言ったんだぞ? それなのに、あいつは何故ピンピンしている!』
氷水を浴びせられたような感覚に、理人の指先が冷たくなる。
『探偵が思ったより手練れだっただと? ふざけるな! 一人が無理なら複数でやれ! 相手の生死は問わん。娘のデータが入ったUSBさえ手に入れば、それでいいんだ……!』
そこまで聞いて、理人は乱暴に再生を止めた。暗い部屋で、光る画面を憎悪を込めて睨みつける。
(……やはり、黒か)
さて、どうしてくれようか。 証拠を警察に突き出すのは容易い。だが、それでは瀬名を傷つけられ、自分自身の命まで狙われたこの胸糞悪さは到底晴れない。かと言って、このまま野放しにするのはあまりに危険だ。 相手は想像以上に狡猾で、底の見えない悪意に満ちている。
理人は無意識のうちに左手の指輪をなぞり、唇を強く噛みしめた。反撃の策を練るため、すぐさま東雲へ連絡を取るべくスマホを手に取った。