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書類仕事をひと区切りつけた廉は、社長室で一人、窓の外に見える街並みをなんとはなしに眺めていた。
「もうすぐ、遥と静香の結婚式か」
一ヶ月後に控えた二人の結婚式をもって静香は退社をし、遥と共に渡米することが決まっていた。
十年前、美咲とのスキャンダル写真が出回ったことで、結局遥は芸能界から干された。しかし、舞台俳優になるべく事務所を辞めた遥は、小さな劇団に所属し売れない時期を何年も経験し、苦労したが三年前に某有名演出家に才能を見い出され、あっという間にスター街道を上っていった。
今では演技派俳優として舞台で引っ張りだこだ。最近は歌唱力を生かしてミュージカルにも出演していたと思う。しかし、数年前に舞台の本場アメリカで学びたいと、単身渡米すると言い出した。
その準備も佳境に入った頃、突然自宅に現れた遥は、静香と結婚すると言ったのだ。
二人は別れたと思っていたが……
遥と静香の間に何があったかはわからない。しかし、芸能界から干された遥が、事務所を辞め劇団に所属した頃、静香の態度がおかしくなった。まるで昔の自分を見ているかのように、自暴自棄になっていく。そんな時に、顔を見せた遥が言った言葉が今に続いている。
『俺が芸能界から干されたことに責任を感じているなら、静香を解雇しないでくれ。兄貴が美咲を愛すると同じように、俺も静香を愛しているんだ。人を陥し入れるような最低な女でも。全てを失ったらアイツは壊れてしまう。兄貴、頼むから静香を見捨てないでくれ』
あの時、二人は別れていたのだろう。当時、どんな心境で遥があんな事を頼んだのか、今でも分からない。
(あれから十年か……、あの二人にも心境の変化があったのだろうか)
まさか、結婚するとは思わなかった。
遥の執着も大概なものだったということか。
遥を巻き込んだ負い目から静香を解雇しなかったと、美咲が知ったらどう思うだろうか。
あれから十年、俺は全く成長していないのかもしれない。会社は大きくなり、当時より裕福になっても、美咲と別れた時から何も変わっていないのだろう。
きっと未だに静香に振り回されているのかと、幻滅されるのが落ちか。
静けさに包まれた社長室に、廉の自嘲めいた笑いがこぼれる。
がむしゃらに働いた。美咲のいない寂しさを仕事でうめるかのように働き続けた。
それでも心の穴は空いたままで、最後の夜、美咲に言われた言葉だけが、虚しく沈む心を癒す糧だった。
『待っていて欲しいとは、言えないけど……』
辛く絞り出すように、しかし決意を込めて言われた美咲の言葉に誓った。何年だって、何十年だって待つと。
次に会うその時までに、美咲が一生離れたくないと思える極上の男になると決意したはずなのに、結局、自分は何も変わっていない。
あれから十年。
美咲も同じ業界に就職するなど、考えもしなかった。
美咲の活躍ぶりは知っている。
会いたくなると動向を探ることはしなかった。しかし、数年前から聞こえ始めた美咲の名前。始めは同姓同名かと、あえて見て見ぬふりをしていた。しかし、耳に入る美咲の名が年々増えていき、彼女の活躍を知らないふりをすることも叶わなくなった。
意識するようになれば、美咲の動向を調べずにはいられなくなる。そして知った彼女の努力に、ただただ感服した。
『ヒットメーカー』などと言われているが、担当タレント全てをスター街道に乗っけるなどという芸当、並大抵の努力ではなし得ない。この業界、売り手と買い手の信頼関係が重要な意味を持つ。起用したタレントのスキャンダルで莫大な損害が発生するなど、買い手にとっても大打撃に繋がる。
そのため信頼のおける人気タレントを見極めるのに、管理するマネージャーの人となりにも注目するのだ。
美咲の働く事務所所属のタレントが問題を起こしたという話は、この十年聞いたことがない。彼女のタレント教育の賜物だろう。
今や美咲は、業界で知らない者はいない有名人になっている。
だからこそ、心配なのだ。
いつか誰かに奪われるのではないかと。
そこかしこから聞こえる美咲を欲しがるいくつもの声が、廉を嫉妬で焦らせる。
ビジネスパートナーとして引き抜きたいと考えるだけではなく、女性としても手に入れたいと思っている輩がウヨウヨしている事も知っている。
それでも自ら美咲を手に入れるために動くことは出来なかった。
身勝手に美咲を囲った過去が、己の行動に待ったをかける。
待つと決めた。
美咲を信じて待つと。
俺が唯一、美咲のために出来るのは彼女を信じて待つことだけ。
過去の過ちだけは、繰り返してはならない。
夕闇に沈む街並みをながめ、廉は大きなため息を吐き出す。美咲を想い、虚しさから荒れそうになる心を抑え、執務机へと向かう。
「仕事をしていれば無心になれるなんて、重症だな……」
一人語ちて、書類へと視線を落とした廉の耳に扉を叩く音が聴こえた。
「廉、失礼するわ。先日、話した私の後任の秘書を紹介してもいいかしら?」
扉から入って来た静香の言葉に首をひねる。
(そういえば……、今日後任秘書を連れて来ると言っていたか)
一ヶ月後に迫った静香の退社に向け、後任秘書の選任も、引き継ぎも、全て彼女に丸投げだった。
(まぁ、静香と同じように仕事が出来るとは考えていない。後任には、秘書業務に専念してもらえればそれでいい)
さらに、忙しくなるな。
その方がいい。美咲に会えない辛さが紛れるのは仕事をしているときだけだから。
廉は心に棲みつく哀愁にふたをし、静香へと返事をかえす。
「あぁ。入れてくれ」
ゆっくりと扉が開かれ入って来た女性を目で捕らえた時、すべての時間が止まった。
まさか……、まさか、そんなはずがない。
目の前の現実が信じられず廉は立ち上がる。ガタっと派手な音を響かせ倒れた椅子を気にしている余裕は今の廉にはなかった。
上擦った声が沈黙に包まれた部屋に響く。
「――――、美咲なのか?」
毛先にゆるくウェーブをかけた艶やかなロングヘア姿の美咲は、十年前のあどけない面立ちをわずかにのこし、美しく大人な女性へと変貌していた。
「廉、久しぶりね……」
美咲の笑顔を見た瞬間、言葉に出来ないほどの喜びが心の底から湧きあがり、ぽっかりと空いた穴を埋めていく。
今やっと、十年前に止まった時が動き出した。
湊未来
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コメント
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第35話、読み終えたわ…! 廉の十年間の想いが詰まった回だったね。社長室で一人黄昏ながら、美咲を想って「待つこと」を選び続けた彼の孤独が胸に刺さった。最後の美咲との再会シーン、本当に良かった…「今やっと、十年前に止まった時が動き出した」って一文で、読んでるこっちまで鳥肌が立ったよ。廉がずっと待ってて報われた瞬間、最高だった! 湊さんの描く廉の不器用な誠実さが愛おしいです🔥