テラーノベル
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海は、静かだった。波の音だけが、世界のすべてを包んでいる。
青年はゆっくりと海面から顔を出した。
濡れた青い髪をかき上げる。
片目は深い海のような青い瞳、
片目は黄金のような黄色の瞳。
腰から下は巨大な鮫の尾びれ。
海では鮫。
陸では狼。
どちらも本来の姿ではない。
「…朝が…きた……」
誰に聞かせるでもなく呟く。
青年には名前がない。
博士は番号でしか呼ばなかった。
『実験体No.0124』
それが彼の名前だった。
昔、彼は孤児だった。
親も知らない。
家族も知らない。
空腹だけが毎日を支配していた。
そんなある日、一人の博士が彼を拾った。
「今日から君は私の家族だ。」
そう笑った博士を、幼い彼は信じた。
暖かい食事。
柔らかな布団。
優しい言葉。
それらは全部、本物だった。
……最初だけは。
数年後。
地下へ続く白い扉。
冷たいベッド。
拘束具。
薬液。
「痛い……。」
「少し我慢しなさい。人類の進歩のためだ。」
泣いても誰も助けてくれなかった。
何度も薬を打たれ。
何度も身体を書き換えられ。
骨が軋み。
皮膚が裂け。
叫び声は研究室に響き続けた。
そして最後の実験。
狼の遺伝子。
鮫の遺伝子。
二つを融合させたその日。
彼は人間ではなくなった。
博士は成功を喜んだ。
「素晴らしい。」
「世界初の完全適応型ハイブリッドだ。」
その言葉だけを残し、彼を檻へ閉じ込めた。
そこから始まった生活は、生きることではなく”飼育”だった。
毎日決まった時間に餌。
毎日採血。
毎日観察。
毎日記録。
「今日はよく泳ぐな。」
「狼形態への変化速度も上昇。」
「素晴らしい。」
誰も名前をくれない。
誰も抱きしめてくれない。
彼は実験体だから。
ある嵐の夜だった。
停電。
警報。
赤いランプ。
研究員たちは慌てて走り回る。
その瞬間。
拘束装置のロックが外れた。
「……自由?」
彼は初めて自分の意思で立ち上がった。
窓を破り。
海へ飛び込む。
冷たい海水が全身を包む。
尾びれが自然に動く。
身体は水の中で驚くほど軽かった。
誰にも命令されない。
誰にも見られない。
ただ泳ぐ。
その日から彼は世界を旅し始めた。
海を泳ぎ。
森を歩き。
街を遠くから眺める。
誰とも関わらず。
誰にも見つからず。
静かに生きていた。
けれど彼は知らない。
数日後。
彼の人生を大きく変える、一人の青年と出会うことを。
その出会いが、彼に初めて「名前」と「居場所」を与えることになるとは、まだ知らなかった。
#世界観
QuartoMew
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モノクロナツキ
1,508
#衝撃のラスト
ゆいな
103
こはる
364
コメント
1件
読了しました。海と狼、二つの遺伝子を宿した青年の出自が、実験体としての非情な過去と対比になっていて、冒頭の静かな波の描写が一層胸に沁みました。青と金のオッドアイや、鎖が解けて海へ飛び込む解放感は、伏線としても美しい。これから出会う「名前と居場所をくれる誰か」が、どう彼の孤独を変えていくのか——設定の構造がしっかりしているので、続きがとても気になります。