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手打ち金として受け取った五百万円。
その重みを感じながら、アホライダーは独り、朝の街を歩いていた。彼にとって、この紙切れの束は価値の象徴ではない。
それは「優しさ」という未知の概念を測定するための、新たな試験薬だった。
駅前へ続く大通りを歩いていると、高架下に座り込み、空き缶を前に置いた一人の物乞いが目に入った。
アホライダーはその前で足を止め、じっと観察する。
(……この男は飢えている。ならば、この金を与えれば、男の心に余裕が生まれ、私に『優しさ』を向けるのではないか?)
アホライダーは無造作に懐から束を取り出し、そこから十万円分を引き抜いて、男の空き缶に突っ込んだ。
「……これを、お前にやる」
男は目を見開いた。缶の中で踊る一万円札の束。
「あ、あああ……ありがとうございます! 旦那、あなたは神様だ……!」
男は震える手で札を掴み、何度も畳に頭を擦り付ける。アホライダーはそれを見て(なるほど、これが優しさの第一歩か)と結論づけようとした。
だが、異変はすぐに起きた。
「おい、今の見たか? あの銀色の奴、札束持ってやがるぞ!」
植え込みの影やベンチで死んだように横たわっていた他の物乞いたちが、獲物を見つけた獣のような目で一斉に起き上がったのだ。
「おい、あんた! 俺にもくれよ! 俺の方がもっと困ってるんだ!」
「不公平だろ! そいつだけ十万なんておかしいじゃねえか!」
一人がアホライダーの腕を掴むと、雪崩を打つように群衆が押し寄せた。
「順番だ、落ち着け」
アホライダーは静かに制止するが、一度火がついた欲望は止まらない。最初に十万を受け取った男が、仲間に囲まれる。
「よせ! これは俺がもらったんだ!」
「うるせえ、分けろよ!」
男たちは取っ組み合いを始め、一人の老人が突き飛ばされて顔を打つ。
札束が宙に舞い、それを奪い合って地面を這いずり回る光景。そこには感謝も優しさも微塵もなく、ただ剥き出しの飢えと憎悪があった。
「……やめろ。争うなら、もうやらない」
アホライダーが鞄を引こうとした瞬間、一人の男が叫んだ。
「その鞄の中に、まだいっぱいあるんだろ! よこせ!」
十数人の男たちがアホライダーに飛びかかった。アホライダーの怪力なら全員をなぎ倒すことも容易だったが、彼は混乱していた。
(なぜだ? 金を与えたのに、なぜ彼らは牙を剥く? 優しさはどこへ行った?)
呆然としている隙に、男たちはハイエナのように鞄に群がり、力任せに中身を掻き出した。
アホライダーが我に返り、軽く腕を振って男たちを吹き飛ばしたときには、地面には破れた札束の破片と、奪い取って逃げ去る男たちの背中しかなかった。
手元に残ったのは、破り取られなかったわずか七十万円。
アホライダーは、札を握りしめたまま怒鳴り合う男たちの無惨な姿を見下ろし、無機質に呟いた。
「……結論。金は人を優しくしない。……むしろ、獣に変える」
その日の夕方。
待ち合わせ場所の公園に現れたアホライダーは、ボロボロになった鞄を火野と葉弐の前に差し出した。
中身を見た葉弐の目玉が、文字通り飛び出さんばかりに見開かれた。
「……え、待て。ちょっと待て。五百万は? 束はどこ行ったんだよ!?」
「優しさと交換しようとしたが、失敗した。七十万しか残らなかった」
「なっ……七十万!? お前、一日で四百三十万スったのかよ!! 効率最悪だろ、死ぬ!? 死ぬのか!?」
葉弐は膝から崩れ落ち、アスファルトを叩いて絶望した。
「……あんた、本当にアホね」
火野もさすがに呆れ果てる。
「……こうなったら、もう日本にいてもジリ貧だ。七十万じゃ投資もクソもねえ」
葉弐が、血走った目でガバッと起き上がった。
「いいか、アホライダー。この七十万で、ラスベガスへ行くぞ。……本場のカジノだ。そこで一気に一億、いや十億に増やす。それが、失った四百三十万を埋め合わせる唯一、かつ最高の『合理的判断』だ!」
「ラスベガス……そこには、お前を獣に変えないほどの金があるのか?」
「ああ、山ほどな! そこで答えを探せ!」
こうして、三人の目的地は、日本の路地裏からラスベガスへと決定された。