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由樹が現場に到着すると、除雪車により道路の雪は履かれているものの、分譲地は境目が分からないほど雪が積もっていた。
エンジンをつけ、ヘッドライトで照らしたまま車から降りる。
「積雪70㎝ってとこかな…」
分譲番号の看板が立っているので、かろうじてどこの土地かはわかるが、境界線はほぼわからない。
一応境界杭があるところに、目印の細い棒は立っているのだが、それも雪が積もり、強風で煽られ、抜けたり倒れたりしている。
「まずは境界を探さないと…」
吹雪は収まったものの、建物が何もない吹きさらしの分譲地では、降った雪が弱い風に舞い上がってくる。
由樹はポケットから手袋を取り出した。
「………あ」
同じくポケットに入れていた携帯電話が落ちる。
しかしそれは音もなく、雪の中に吸い込まれていった。
「……っ。危ねえ…」
慌てて掬い出す。雪を履いている途中で雪の中に落としてしまってはアウトだ。もう春まで出てこない。
由樹は車まで戻り、運転席に携帯電話を置くと、ドアを閉めた。
トランクからスコップを取り出し、分譲地と対面する。
とりあえず道路わきの境界杭を掘り起こす。
やっとのことで赤い境界杭を発見すると、その目印に立っている棒を脇にもっと深くしっかりと突き刺した。
もう一つの境界杭も見つける。それも掘り起こして、棒を立て直す。
「こっからだよな…」
由樹は深く埋もれた土地を眺めてため息をついた。
「とりあえず杭を通路でつないで、今日は終わりにしよう……」
あまりの雪の深さに心折れ、低いところに目標を設定すると、由樹は雪にスコップを入れた。
表面の雪は、吹きさらしのために流れてきた軽い雪だ。さらさらとスコップから逃げてはうまく掬えない。
しかしその下にある雪は重く湿気を含んでいて、少しずつしか持ち上がらない。
「……くっそ……!」
たちまち腰が痛くなり、由樹は背筋を伸ばしながら土地を改めて眺めた。
地吹雪のため、表面の高さがならされていてよくわからなかったが、意外とここは起伏が激しい土地であるらしい。
境界を境に土地同士の高さが微妙に違うし、同じ区画の中でも高低差がある。
田圃を埋め立てた平らな土地よりも、起伏のある土地の方が、地盤は強いことが多い。
しかしこの起伏を考えながら家の配置や基礎の高さを考えなくてはいけない分、敷地調査を綿密にやらなければ、間取りの打ち合わせにも入れない。
こういった複雑な土地の場合は、契約だけいただき、雪が溶けてからの敷地調査、そして打ち合わせスタートとなる。
その場合たった数ヶ月とは言えど、客の心変わりや、転職、転勤など、さまざまなリスクを伴うことになる。
「余計なことは考えない!」
自分を奮い立たせると、由樹はまたスコップを持ち直して、雪をかき始めた。
◇◇◇◇◇
風が強くなってきた。
由樹は頭を起こし、風の吹いてくる西側を見つめた。
もう少し強くなれば、たとえ空からは雪が降ってこなくても、地吹雪が起こる。
そうなったら無理しないで帰ろう。
スコップを持ち直そうとしたところで、手袋をしていても冷たくてかじかんできたその手からスコップが落ちた。
それは西から拭いた瞬間的な強い風でわずかに東の境界を越えたところに着地した。
何も考えずに拾おうとしたところで、由樹の右足が沈んだ。
「!?」
声も出ないまま、身体が重みで沈んでいく。
慌てて振り返る。
東側の土地は、客の土地よりも低い場所にあったらしい。
雪の層が厚く、下まで足が届かない。
かろうじて地についている左足で必死に上がろうとするが、湿った雪は重く、硬く、由樹の右足を捉えて離さない。
完璧にはまってしまった足が抜けずに由樹はスコップを手にした。
「……こうなったら、右足を掘るしかない…!」
しかし少しでも踏ん張ろうものなら、右足が否応なく沈んでいく。
かろうじて高い土地についている左足が抜けそうなほどに――――。
「これ………ヤバい……!!」
半分以上埋まっているコートのポケットをまさぐる。
「携帯……携帯……!」
入っていない。
「……あ」
先ほど雪の中に落としては大変だと、車に置いてきたのだった。
数メートル先からこちらをヘッドライトで照らしている車を見つめる。
「………」
辺りを見回す。
見渡す限りの分譲地。
その隣はどこまでも続く田圃。
住宅はない。
当然通りかかる人も車もない。
「っ!」
空気の冷たさが急に身にしみる。
左足が痺れてきた。
由樹は焦る心を必死で抑えつつ左足が抜けないように注意しながら、右足に向けて、手袋をかけた両手で、少しずつ身体を掘り始めた。
◆◆◆◆◆
「おい、牧村」
ファミリーシェルターの店長が事務所に1台だけ置いてある本部と繋がっているパソコンからこちらを見た。
「なんすか」
「お前の契約、書類不備で保留になってる」
「はあ?」
牧村は慌てて立ち上がった。
店長が操作しているパソコンまで行き覗き込む。
「は?なんで?」
店長が目を細める。
「これだこれ。土地の写真。お前撮ってこなかったの?」
「…………」
今度は牧村が呆れて目を細めた。
「あたり一面雪景色っすよ?」
「どこだ、ここ」
「徳森分譲地です」
「ああ、関根山のふもとか」
店長が笑う。
「それでも写真添付は必須なんだよ」
「……あ、わかった」
牧村は言うと、自分の携帯電話で、白紙のA4のコピー用紙を撮った。
「はい、これで」
店長が牧村を睨み上げる。
「お前、ふざけてんのか?」
「おんなじでしょうよ!!白い雪景色しか写んねえんだから!」
「それでも土地の区画番号くらい写真に撮れるだろうが!行ってこい!」
牧村はまた吹雪だした外を見た。
「今から、すか?」
店長が鼻で笑う。
「俺は別にいいけど、今月今日で締まるからな。8時までにスキャンして送んないと、保留のままじゃ成績になんないぞ」
「はあ?」
「11月の成績は冬のボーナスに関わるのに。残念だなあ?牧村よ」
「チッ」
牧村は舌打ちをしながら立ち上がった。
◆◆◆◆◆
渡辺から電話がかかってきたのは、夜の7時を回ったころだった。
ホテルに着き、シャワーを浴びた篠崎は濡れた髪をそのまま電話をとった。
「新谷君、います?」
渡辺は珍しく挨拶もなく開口一番にそう言った。
「あ――」
渡辺には今の2人の状況を言っていない。
「ええと。あれ、さっきまでいたんだけど、ちょっと出ていったかな」
適当に誤魔化す。すると、
「あー、よかった」
渡辺は安堵のため息をついた。
「どうした?」
「あ、いえ、家に帰ったならいいんです!すみませんでした」
「……あ、おい!」
笑いながら通話を切ろうとする渡辺を引き留める。
「新谷がどうした?」
聞くと、
「いや、なんか明日の地盤調査の現場を軽く雪かきしてくるって展示場を出ていったんですけど、俺が打ち合わせ終わって戻ってきても、事務所にいなかったので。しかも鞄だけ置いてあるもんで、もしかして…と思って」
「鞄が置いてある?」
「あ、でも忘れていっただけだと思います。携帯電話と財布は持ってってましたし。とにかく1回家に帰ってるならいいんです。お騒がせしました」
「……あ、ああ」
電話は切れた。
篠崎は携帯電話を見つめた。
新谷が鞄を会社に忘れて帰ってきたことなど……。
ない。
ただの一度も……。
「……新谷……!」
篠崎はコートを羽織ると、髪の毛を濡らしたままホテルの部屋を飛び出した。