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慣れない引き継ぎで緊張したせいか、すっかり疲れ果てていた。
今日は湊も居ないし、自分だけのために夕食を作る気力は湧いてこない。
適当でいいか。
スーパーで適当なお弁当を買って、ノロノロとマンションに帰る。
「……あれ?」
玄関を開けて入ると、思いがけなくリビングに明かりがついていた。
それから小さな話し声。
「……湊?」
残業は無くなったのかな?
静かに歩いてリビングの扉を開けようとした私は、ドキリとして手を止めた。
部屋の中から湊が声を立てて笑っているのが聞こえて来た。
昔のような明るい声。
最近湊のこんな事を聞いた事無かったから、凄く驚いた。
「……湊?」
声をかけながらゆっくりと扉を開けると、リビングの中央に立っていた湊がビクッとして振り返った。
湊の右手には電話が握られていた。
「ごめん、美月が帰って来たから」
湊はそう言うとすぐに電話を切ってしまった。
湊の顔からは笑みが消えていて、代わりに気まずさが浮かんでいた。
「ごめんね、電話中だって知らなかったから」
邪魔をしてしまった様な気がして、思わず謝ってしまう。
「いや、大した話じゃなかったから。美月が帰って来た事に気づかなかったから驚いただけだよ」
玄関を開ける音が聞こえない程、話に夢中になってたんだ。
「……誰と話してたの?」
「え?」
「ずいぶん楽しそうだったから」
「ああ、同期の坂本だよ。美月も一度会った事有るだろ?」
「坂本さん……あっ、前に湊を送って来てくれた人?」
「そう、来月から坂本も同じ営業所勤務になるらしくて、それで連絡来たんだ」
「そうなんだ……」
私も知ってる相手だった事にホッとしていた。
「あれ、美月なんか買って来たのか?」
湊はスーパーの袋を見ながら言う。
「あっ、そうなの。湊の帰り遅いと思ってたから。でも直ぐになんか作るね」
「簡単なのでいいよ」
「うん」
湊は冷蔵庫から水を取り出してソファーに座り、テレビをつけた。
私はその様子を横目で見ながら、上着を脱ぎ急いで支度を始めた。
冷蔵庫に有った材料でパスタとサラダを作りテーブルに並べ終えると、湊を呼んだ。
「いただきます」
二人同時に言い食べ始める。
「今日、異動するように言われたの」
「えっ、そうなのか?」
湊は驚いた様子でフォークを動かしていた手を止めた。
「そうなの。営業部に異動になっちゃった」
「美月の会社は一般職の女性社員の異動、無いって言ってなかったか?」
「あまり無いけど……運悪く当たっちゃって」
「運悪くって、嫌なのか?」
「嫌だよ、営業部の雰囲気に馴染めそうも無いし、今更一から仕事覚えるのも大変だし……総務の仕事と全然違うんだもの」
溜め息を吐きながら言うと、湊は複雑そうな顔をした。
「美月が仕事の愚痴を言うの初めて聞いた」
「えっ、そうかな?」
「そうだよ、今まで一度も無かった。本当に恵まれてるんだろうなって思ってたよ」
「恵まれてるって……」
「不満なく楽しく働けるなんて、恵まれてるだろ?」
私だってそれなりに不満は有った。
でも、そんな不満はみんな持っているものだって思ってたし、湊はもっと仕事に悩んでるのを知ってたからあまり言わなかった。
「あまり悩み過ぎるなよ」
湊は機嫌良くそう言いながら、パスタの続きを食べ始める。
湊の好きなカルボナーラにしたからか、食が進んでいるようだった。
その様子を眺めていて、ふと気付いた。
湊は最近仕事の愚痴を言わなくなった。
いつからだったか……はっきり覚えてないけど、もう大分聞いていない。
それでも機嫌の悪い態度から仕事に悩んでると信じてたけど。
「湊……最近仕事どうなの?」
「え? 普通だよ、変わらない」
普通。変わらない。……どう受け止めればいいんだろう。
目の前のにこやかな湊を見ると、良くなったって気がするけど。
考え込んでいると、湊がフォークを置き言った。
「ごちそうさま」
「あっ……早いね」
「美味かったから」
湊は嬉しそうに微笑み立ち上がった。
「ごめん、調べる事が有るから」
「うん……」
せっかくの夕食、もっといろいろ話したかった。
残念な気持ちになりながら自分の部屋に入っていく湊を見送った。