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正式に営業部に異動する日まで、午前中は総務部で成美に引き継ぎをして、午後は営業部で皆川さんから教えを受ける事になった。
結構ハード。それでも午前中の成美への引き継ぎだけは気楽で、つい余計な会話も多くなる。
「最近湊君とは上手くいってる?」
「まあまあかな、休みは二人で出かけたし」
成美にはレスのことは言ってない。
一番仲の良い同期だけど、内容的に話せなくて。
「いいな~美月達って倦怠期とか無いんだね」
「そんなこと無いけど……もう長い付き合いだし」
不満をぶつける前は、今思うと倦怠期だったのかな。
機嫌が悪いのもレスも、原因は湊の仕事が大変だからと思ってたけど、実は違ったのかもしれない。
考えてみれば湊は仕事の愚痴を言わなくなっていたし、ただ私が嫌になっていただけとか?
そう考えると気分が沈む。
今は優しくなったけど、一時的に嫌われていたのかもしれないと思うと不安になる。
相変わらずセックスレスが改善される事が無いのも気になるし。
……仕事が原因じゃなかったのなら、どうして今でも拒まれるんだろう。
仲直りした気でいるのは私だけ?
そんなことを考えていると、成美が溜め息混じりに言った。
「私も早く彼氏欲しいよ」
「成美ならすぐ出来るでしょ?」
社交的でスタイル抜群で目立つ成美は結構モテる。
「誰でもいいって訳じゃないでしょ? 藤原さんみたいな人が理想なんだけどね」
成美の言葉で、嫌な事を思い出してしまった。
今後は、あの嫌な藤原雪斗と仕事をしないといけないなんて。
「美月はいいな、これからは藤原さんと一緒だもんね」
できるものなら変わって欲しいけど。
「私も営業部に異動出来ないかな?社内の子とは付き合わないって話だからチャンスは無いけど、目の保養になるもんね。やっぱりいい男がいると、やる気も出るよ」
「社内の子には手を出さないって……遊んでるって話じゃなかったの?」
「相手は社外みたい。前に告白した子がそう言われたんだって」
「そうなんだ……」
社内の子に深入りすると既婚だってバレる可能性が有るからかな?
でもどっちにしろ社外の女性を騙してる事に変わりない。
やっぱり嫌なやつだと思った。
お昼休憩が終わると、重い気持ちで営業部に向かった。
皆川さんがどこにもいない。戸惑っていると藤原雪斗が寄ってきた。
「今日、皆川は体調不良で休み」
「あっ、そうなんですか」
皆川さんは妊娠中だから、こういった事は想定内だ。
「それなら私は総務での仕事に戻ります」
引継ぎがないのだから仕方ない。ところが踵を返して戻ろうとした途端に引き留められた。
「今日は俺が教えるから」
「えっ?!」
「仕事溜まってるんだよ、こっちで説明するから」
……最悪。
逃げ帰りたいけれど、仕事を投げ出すわけにもいかず、私は仕方なく藤原雪斗の後を追った。
皆川さんの机は書類の山だった。
藤原雪斗はそれをまとめて私に渡す。
「このオーダー票を三時迄に処理するように。分からなかったら直ぐに聞くこと。間違っても自分で判断して適当にやるなよ」
「分かりました。営業部はイレギュラー処理ばっかりですからね」
内心偉そうだなと思いながら受け取ると、藤原雪斗は平然と答えた。
「頭が固いみたいだけど、ここでは融通が効かないとやっていけない。今までみたいな感覚じゃ勤まらないからな」
上からの発言に更にイライラが湧いて来たけど、言い返して揉める訳にはいかない。
「そうですか」
藤原雪斗は何か言いたそうにしていたけれど、しばらくすると自分の席に戻って行った。
それからはひたすら注文を入力していった。
とにかく数が多いし、時間もあまり無いからいつの間にか不満も忘れ集中していた。
黙々と処理を進めて、残りは藤原雪斗に確認する必要が有るものだけになった。
気が進まないけど、私の判断でミスしたら嫌だし、さっきも念を押されてるし仕方ない。
藤原雪斗の席に向かうと先客がいた。
営業部のアシスタントの女性で、確か最近入った派遣の人だったと思う。
「すみません、私のミスで……」
何か失敗してしまったのか、女性はしきりに謝っている。
藤原雪斗のことだから、きつい事言うんじゃないかとハラハラしながら見ていると、
「大丈夫、これは分かり辛いし指示が悪かった。次から気を付けてくれればいいから」
藤原雪斗はそれは優しい声で言った。
女性は何度も頭を下げてから席に戻って行く。
あんな優しい笑顔に、声を出せるんだ。
なんか意外。
驚いてぼんやり立っていると藤原雪斗が私の方を向いたので目が合ってしまった。
「……何してるんだ? 指示したことは終わったのか?」
しかめっ面に、低い声。
さっきと随分態度が違う。
相手を見てるって訳?
私には気を遣う必要無しってこと?
ムカッとしながら、藤原雪斗に書類を差し出す。
「後はこれだけです。処理方法が分からなかったので保留にしました」
藤原雪斗は黙って書類を受け取り目を通し始めた。
「これは総務と経理に連絡して緊急で処理する様に言え。それからこれは……」
まるで上司の様な命令口調。
不快度が増して、つい言い返してしまった。
「もう締めが終わってるので、総務の方の緊急処理は無理ですよ」
「頼んでみないと分からないだろ?」
「分かります。それ総務では私の担当なんで」
冷たく言うと藤原雪斗の表情が険しくなった。
「だったら尚更なんとかなるだろう? 面倒がらずにやれよ」
「面倒がってなんていません。締め日が過ぎたので出来ないって言ってるんです」
「お前……もっと融通利かせろって言っただろ? そんなんじゃここでの仕事は無理だ。いつまで総務の気分でいるんだ?」
藤原雪斗は溜め息を吐いた後、更に続ける。
「客は待ってくれないんだ。その内分かるだろうけど、なんでも規則最優先じゃやっていけない」
営業部は総務みたいに気楽じゃない。
そんな風に言われた気がして、かちんときた。
今まで自分なりにまじめに取り組んでいた総務の仕事をバカにされたようで……。
「営業部は直接顧客を相手にしていて、イレギュラーな対応が必要なのは分かってます。でもこの書類、顧客の都合じゃなく、営業部の担当の手配漏れとかミスですよね?!」
藤原雪斗は私の言葉を聞くと、再び書類に視線を落とした。
「顧客を理由に緊急処理ばっかりで……無理を通す事で沢山の人が大変な思いをしてるんですよ」
直接的な数字には表れないかもしれないけど、私たちだってがんばっていたのに。
「……」
「私に融通がなんとか言う暇が有ったら、適当な事しないよう部下に注意したらどうですか? さっきもミスした人に少しも怒らなかったみたいですけど」
藤原雪斗は口を閉ざし、じっと私を見つめてる。
私も負けずに見返していたけれど……完全に言い過ぎてしまった。
もう既に後悔している。
なんであんな事言っちゃったんだろうって。
今まで不満が有っても、こんなにムキなった事は無かった。
よりによって藤原雪斗に対して喧嘩腰な事を……。
百倍になって言い返されると思い身構えていると、思いがけずに藤原雪斗が怒りの消えた穏やかな声で言った。
「確かにこの件はうちが悪い。言うとおり担当者に注意する……キツい言い方して悪かった。けど、今回はなんとかやって欲しい」
な、何で急に謝ってくるの?
こんな態度取られると調子が狂うし、罪悪感が襲って来る。
藤原雪斗への敵意のようなものも消えてしまった。
「あの……私こそ偉そうな事言い過ぎてしまいました」
私だって初めからこんな風に頼まれたら文句ばかり言わなかったと思う。
でも藤原雪斗は最初から喧嘩腰で、私には嫌な態度ばかりで……だからむきになって、キツい事言ってしまったのかもしれない。
「それ出来るか確認して来ます。課長の承認が必要なんで約束は出来ませんけど」
「ああ……」
複雑な気持ちになりながら、営業部を出て総務部に向かった。
「あれ? 午後は営業部じゃなかったのか?」
課長に承認を貰う準備をしてると、当の課長が近寄って来た。
「そうなんですけど、流れでこっちでの処理が必要になって……これ承認貰えますか?」
書類を差し出すと課長はチラッと見ただけで、あっさりサインをした。
「……ありがとうございます」
こんな適当でいいのかな?
内心そう思っていると、課長が珍しく心配そうな顔で言った。
「藤原の仕事は大変だろ?」
「え? まあ……」
課長がこんな気を遣ってくれるなんて意外だった。
「でもあいつはもっと大変だから、秋野がフォローしてやれよ」
……私じゃなくて、藤原雪斗の心配か。
そう言えば、仲良さそうだったし。
「私がフォローしなくても問題無さそうでしたよ」
「見かけはな。でもあいつは感情をあまり顔に出さないから。自分よりも周りを気遣うしな。あれでストレス溜まってるんだよ」
私には不機嫌さを隠さず、もの凄く嫌な態度とってましたけど。
納得いかないまま課長から書類を受け取りその後の処理を済ませてから、営業部に戻った。
一度総務に寄ってからロッカーで身支度をして会社を出た。
外はすっかり暗くなっていた。
遅くなったけど、今日はあっという間だった。
藤原雪斗と今までに無いくらい話をした。つい文句も言っちゃったけど、その後の対応は私の想像の藤原雪斗とは違っていた。
思っていたより、礼儀が有って、気遣いも有った。
意外と良い人なのかな?
そんな事を考えていると、藤原雪斗の姿が突然視界に入って来た。
私とは道路を挟んで反対側の道で、タクシーを待っているようだ。
隣には、同じ営業部の女性社員の真壁さんが居た。
これから仕事?
でもさっき帰るって……。
なんとなく目が離せないでいると、
「……え?」
真壁さんが藤原雪人の腕に自分の手を絡ませ、もたれかかった。
二人はそのまま離れる事なく、寄り添いタクシーに乗り込んだ。
家に帰ってからも目撃した光景が頭から離れなかった。
あの二人って付き合ってるのかな?
長身で人目を引く二人が並んでいると絵になった。
藤原雪斗は社内の女性とは付き合わないって言ってたけど、あの密着度はただの同僚の関係じゃ無かったし……。
「美月?」
考え込んでいた私は、湊の声でハッとして現実に返った。
「どうしたんだよ? 」
「ごめん……何でもない」
「珍しいな美月がぼんやりするなんて」
「……異動とか有って疲れてるからかも」
「そう言えば異動したって言ってたな」
「うん、結構大変で、苦手な人も居てね……」
「俺、今週は土日とも出かけるから」
藤原雪斗の事を話そうとすると、湊の言葉に遮られた。
「え、そうなの?」
平日はお互い忙しいから土日だけがゆっくり過ごせるチャンスなのに。
がっかりする気持ちを隠せない私に気付かないのか、湊は機嫌良く続けた。
「泊まりがけで研修なんだ。金曜からで月曜日の夜に帰って来るから」
「研修? 週末にやるの?」
私の会社では有り得ないから、不審に感じてしまう。
でも会社によっては有るのかもしれないし、変に疑う様な事は言えない。
「平日は仕事だから休み返上でやるんだよ」
「そっか……大変だね」
「面倒だけど、仕事だし仕方ないよ」
「うん……」
湊は一時期より優しくなったし、予定もちゃんと話してくれる。
それなのに、何かが引っかかる。
このモヤモヤした気持ちはいつになったら消し去れるんだろう。
昔みたいに湊と楽しく過ごしたいのに、ふとした瞬間に憂鬱になってしまう。
湊ともっと仲良くしたいのに。
「そろそろ寝るよ、お休み」
湊は薄く入れたコーヒーを飲み干すと、立ち上がった。
「湊、今日、一緒に寝てもいい?」
思わず零れた言葉に、湊は驚いた顔をして私を見た。
「あ、あの……最近ずっと別々に寝てるし……」
湊の反応があまりに固いから、つい言い訳じみた事を言ってしまう。
私達は恋人同士なんだから自然な事のはずなのに。
当たり前の事が言えなくなってしまった関係に悲しくなる。
「ごめん……疲れてるから一人で寝たいんだ」
「そっか……じゃあ仕方ないよね、ゆっくり休んでね」
「ああ、お休み」
ホッとした表情で部屋に向かう湊の姿に、更に悲しくなった。