「そもそも、後藤がお前のパセリをめちゃくちゃ気にしていたから、俺も気になったんだ。
あいつ、なんで、あんなにお前のパセリにこだわった?
お前が好きなんじゃないのか?」
「いや、単にパセリ好きなのでは……」
「いやいや。
いつぞや社食で。
親に、出されたものは残すなと言われているから食べるが。
パセリはもしゃもしゃして好きじゃないと言ってたぞ。
ちなみに、お前の仕事っぷりも手早いが、雑で好きじゃないと言っていた」
「……それだと私のことも好きじゃないんじゃないですかね?」
「あいつ、結構、俺と同じくらいお前といるぞ。
それでお前を好きにならないとかあるか?」
「……あの、そういう理屈なら、大家さんも結構一緒にいますよ?」
「あんな立派な人が、お前なんぞを好きになるわけないだろう」
その理屈で行くなら、社長と後藤さんは立派でないのですね……。
「後藤さんは、社長と同じ動画で朝起きてるそうなんですけど。
猫をズームの人ですよ。
私のこと、好きなわけないじゃないですか」
私は枠外に押しやられています、と悠里は訴える。
「恥じらいかもしれん。
俺も毎朝、お前の声で起き、お前の顔を眺めているが……
ちょっと照れる」
と七海はこちらが照れるようなことを言ってくる。
「ところで、この車は何処に向かってるんですか?」
「うちの家に決まってるだろう」
なんで決まってるんですか、と思っているうちに、近かったので、すぐに着いてしまった。
「お邪魔します~」
と七海の家のだだっ広い玄関に入りながら、悠里は誰もいないのに声をかけた。
なんで私、また、社長のうちに来てるんだろうなと思いながら。
「まあ、くつろげ。
部屋はたくさんあるから、好きに使っていいぞ。
なんなら、自分の部屋を決めて住み着いてもいい」
「……いや、格安ユーレイ部屋があるんで、大丈夫です」
ダイニングで血塗られた屋敷の立派な椅子に座り、七海が作ってくれたカクテルをいただく。
「お前の笑い声をイメージして作ってみた」
いや、どんなカクテルですか……。
普通は、『お前の瞳をイメージして作った』とかではないんですか、と思いながら、悠里は弾ける炭酸っ、みたいなイエローのカクテルを呑む。
あんまり酔いそうな感じはしない。
ところで、これ、社長が呑んだら、どうやって帰るんだろうな。
まあ、タクシー呼べばいいか……。
「龍之介さんちの猫をイメージして作った」
という白いカクテルをいただいたところで、席を立ち、お手洗いを拝借する。
少し酔ってきたかな?
気のせいかな?
という感じで長い廊下を歩いていると、行きすぎていた。
廊下の右手に黒い置物が見える。
黒い水牛の置物だ。
誰もいないのに廊下でライトアップされている。
これはどんな感じに血塗られた水牛、と年代物っぽいそれを眺めていると、反対側にも黒い水牛がいた。
左右にいるのか、狛犬か、と思ったが。
そっちの水牛はライトアップされておらず、動いていた。
○ンバッ!?
だが、そのルン○は悠里を見て走って逃げた。
「猫ーっ!」
と悠里は叫ぶ。
七海がいる部屋に駆け戻り、
「社長っ、血塗られた猫がっ」
と叫ぶ。
「どの辺が血塗られてたんだ」
猫、転んだのか? と訊いたあとで、ようやく、今、悠里が叫んだ言葉を頭で理解したようで。
七海は、カクテルを注いでいたグラスから顔を上げ、
「……猫?」
と訊き返してきた。
七海と二人、悠里は水牛のところに戻っていた。
「この血塗られた水牛の反対側に、狛犬のように血塗られた猫がいたんですよっ」
「待て。
この水牛も別に血塗られてないぞ。
昔の中国の金持ちの家にあった水牛らしいが」
「昔の金持ちの家にあったものなら、きっと血塗られていますっ」
と悠里は偏見を述べる。
「いやいやいや、そうでなくてっ。
ここにいたんですよ、猫がっ」
「なんでだ。
俺は猫は飼ってないぞ。
飼いたいなとは思ってはいるが」
猫が好きすぎて、幻でも見たんじゃないのか、と笑いながら振り向いた七海は廊下の一点を見つめ、悠里とともに叫んだ。
「猫ーっ!」
愛らしい金色の目の小さな黒猫が廊下のど真ん中で立ち止まり、驚いたようにこちらを振り返っていた。
そのあと、二人で屋敷中を捜索した結果。
黒猫二匹。
ぶち猫一匹が捕獲された。
「……うちに猫が住み着いていたとはな」
ダイニングの血塗られた椅子の上に陣取り。
警戒しながら、こちらを見ている黒猫と距離をとりつつ、七海が言った。
それ以上近づくと、ぴょん、と逃げてしまうからだろう。
「知らないとかあるんですか……」
悠里はそう言いながらも、この広い屋敷に一人住まいだから、あるかもしれないな、と思っていた。
扉を開けたままにしている間に、ととととっと入られたのかもしれない。
猫の方もあまりに人気がないので、廃墟だと思っていたのかも。
いや、新しいし、美しすぎる廃墟だが……。
「だがまあ、ちょうど猫を飼いたいと思っていたところだ」
あの、全然懐いてないみたいなんですけど、と思う悠里に、七海は、あちこち指差しながら言う。
「家、猫、夫。
全部そろったじゃないか。
結婚しろ」
全部そろってお得だろ、と言い出した。
いや、あなたがお得な夫かどうかは結婚してみなければわかりませんよ。
結婚前はやさしくても、いきなり、豹変するかもしれませんしね。
まあ、この家の広さなら、逃げ惑ったり隠れたりできますけど、
と思う悠里の頭の中では、なまはげのようになった夫、七海から、猫とともに逃げ惑い、隠れていた。
七海は飾り棚に立派そうな陶器の人形とともに飾られている悠里のサインを指差すと、
「色紙にはサインしてくれたじゃないか」
婚姻届にもついでにサインしろ、と言う。
「……いつだったか。
お前に龍之介さんが『おかえり』って言ったとき。
俺は、なんか胸がチクッとして、イラッと来た。
まだそんなにお前を好きとかなかったのに。
『おかえり』は俺がお前に言いたいと思ったし。
お前に言って欲しいと思った。
……まあ、今では龍之介さんを尊敬しているので。
あの人がお前になにを言おうが、イラッと来たりはしないんだが」
むしろ、お前にいろいろイライラさせられる、と言われる。
……社長。
長年、私のファンだったと言うわりに。
私、最近、あなたの前に現れた人に、あっさり好感度で負けてるんですね。
「結婚してくれ」
今の流れでですか。
「ここで猫たちとともに、お前が住んでくれるのを待っている」
いや、猫、今、走って何処かにいきましたけど。
「そういえば、猫たちは何処でごはんを調達してたんですかね?」
「確かに謎だな。
この家は余計な物は置いていないから。
食料もポンとその辺に置いてあったりはしない。
猫がひょいっと得ようがないと思うんだが」
確かに。
私の部屋なら、朝急いで出かけたあとの、食べ残しとかを流しに置きっぱなしにしてたりするので。
猫たちも楽に暮らしていけそうですけどね。
っていうか、それ以前に、うちに猫が住み着いていたら、すぐにわかりますけどね。
ワンルームなんで。
ユーレイと違って、猫は見えますもんね、と悠里が思ったとき、七海が言った。
「まあ、とりあえず、呑むか」
「でも、そろそろ帰らないと」
「まあいいじゃないか、泊まっていけ。
今日はなにもしないから、まず、この家の中にお前の部屋を作れ」
「は?」
「いつでも出入りしていい、泊まっていいお前のための部屋だ。
さあ、好きな部屋を選べ」
この家の鍵だ、と手のひらにカードキーを落とされた。
いや……選べと言われても、と悠里は困惑する。
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