テラーノベル
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嵐の夜が明け、世界は洗われたような静寂に包まれていた。カーテンの隙間から差し込む朝の光は、昨夜の情事の匂いが微かに残る寝室を白く染め上げている。だが、主である俺がまどろみの中にいる間にも、リビングからは既に賑やかな「日常」の音が響き始めていた。
リビングの床では、黒が彼女なりの「家政」を遂行していた。彼女は人間の姿を維持する体力さえ惜しむように、ふわりと一匹の黒猫へと姿を変え、俺が奮発して買ったロボット掃除機――ルンバの上にちょこんと座り込んでいた。
首元には、昨夜俺が嵌めたボルドーの新しい首輪が誇らしげに光っている。ルンバは高性能なセンサーで家具を器用に避け、音もなく滑らかにフローリングを滑っていく。黒はその円盤の振動に身を任せ、首をこっくりこっくりと揺らしながら部屋中を徘徊していた。
「⋯⋯んぅ。⋯⋯アタシは、⋯⋯見張り。⋯⋯ルンバが、⋯⋯ちゃんと、⋯⋯働いてるか⋯⋯監視、してるの⋯⋯」
脳内に直接響く黒の声は、今にも消えてしまいそうなほど微睡みに満ちていた。昨夜、俺の種を何度も胎内に受け止め、限界まで絞り取った疲れが、小さな猫の身体全体から滲み出ている。ルンバが優雅に方向転換をするたびに、黒は猫の姿のまま「フニャ……?」と力なく鳴いてバランスを取り、そのまま眠気に負けて円盤の上に平たく伸びてしまった。
眠気に抗おうとしてか、時折ルンバから落ちそうになりながらも、彼女はボルドーの首輪に付いた鈴をチリ……と鳴らして踏ん張る。だがその目はもうほとんど閉じており、家事の手伝いというよりは、動く乗り物を楽しむ子供、あるいはただの「眠たい黒い塊」と化していた。
「⋯⋯ご主人様。⋯⋯ルンバの、⋯⋯上⋯⋯あったかい。⋯⋯揺れるの、⋯⋯気持ちいい⋯⋯ふぁ⋯⋯」
結局、黒はそのままルンバの上で完全に丸くなり、深い眠りに落ちてしまった。ルンバが規則正しく部屋を巡るたびに、ボルドーの鈴が小さく揺れる。俺は彼女をそっと抱き上げ、リビングのソファへと運んでやった。
そんなリビングの静かな漂流とは対照的に、キッチンでは白が鼻歌まじりにフライパンを振っていた。俺の大きすぎるTシャツを一枚羽織っただけの心許ない格好。彼女が動くたびに、桃色の新しい首輪が「チリン、チリン」と軽快に鳴り響いている。
「よーし、次はこれ……。あ、ちょっと火が強いかな? あわわ、ご主人様に最高のところを見せないと! ……あ、ご主人様! 起きたんだね! ちょうど今できたよ、待たせてごめんね!」
白が誇らしげにテーブルへと運んできたプレートは、なるほど、ある意味で「派手」だった。そこには、縁が少し黒く焦げてしまった厚切りトーストと、形が崩れて黄身が流れ出した目玉焼きが盛り付けられていた。添えられたベーコンはカリカリを通り越して少し硬そうだが、ケチャップで描かれた大きなハートマークだけは異様に鮮やかだ。
「見た目は……その、ちょっとワイルドになっちゃったけど! アタシ、ご主人様のために一生懸命がんばったんだよ? さあ、冷めないうちに食べて!」
白の瞳は熱っぽく潤んでおり、料理を差し出すその手つきにさえ、俺を喜ばせたくて必死に格闘した跡が滲み出ている。一口食べてみると、驚いた。その少し焦げた香ばしさが絶妙なアクセントになっており、トーストは中まで熱々でバターがじゅわりと染み込んでいる。見た目の無骨さを完全に裏切る、最高に「美味しい」朝食だった。
やがて、ソファで眠りこけていた黒も、香ばしいパンの香りに鼻をひくつかせ、フラフラとした足取りで人間の姿に戻り、俺の隣の席へと滑り込んできた。
「⋯⋯ん。⋯⋯いい匂い。⋯⋯白、⋯⋯今日は、⋯⋯焦げてるね。⋯⋯でも、⋯⋯美味しそう⋯⋯」
黒は半分閉じた瞳で俺の肩に頭を預け、自分ではフォークを握る気力もないのか、俺に甘えるように小さく口を開けて待っている。
「⋯⋯ご主人様。⋯⋯アタシも、⋯⋯あーん、⋯⋯して。⋯⋯あなたの手から、⋯⋯食べたいの⋯⋯」
黒の掠れた、だが熱を孕んだ声に急かされ、俺は彼女の口元に小さく切ったトーストを運んだ。黒はそれを愛おしそうに受け取ると、俺の指先まで小さく舌で舐めとり、蕩けるような溜息をついた。白は「もう、黒は甘えん坊なんだから!」と得意げに笑いつつ、自分も俺の反対側の腕にぴったりと身体を密着させた。
「ご主人様!はい、あーん! アタシがフーフーしてあげるからねっ」
白がフォークに指したベーコンを差し出してくる。見た目こそ無骨だが、その味には彼女が俺のことを想いながら火加減に一喜一憂した、その熱量がすべて込められていた。
「……おいしい。本当に、最高だ」
俺がそう告げると、白は花が咲いたように笑顔を見せ、桃色の首輪の鈴を激しく鳴らして喜んだ。隣では黒が、俺の口からこぼれそうになったケチャップを指で拭い、そのまま自分の指を熱っぽく舐めとった。
施設での冷たい地獄。数字で呼ばれた屈辱。毒に侵された痛み。それらはすべて、この温かな料理の湯気と、二人の甘い体温の中に溶けて消えていく。だが、食事が終わる頃には、二人の「頑張り」はさらに別の、本能的な方向へと向き始めていた。
食卓の下で、白の裸の足が俺の脚を愛撫するように絡め取り、鈴を鳴らす。隣では黒が、熱に浮かされたような瞳で俺を見つめ、無意識を装って俺の股間の熱を確かめるように、細い指を伸ばしてきた。
「……白、黒。お前たち、まだ元気があるのか?」
「当たり前だよ。アタシたち、昨日死にそうだったんだもん。命の充電、もっとたっぷりしてくれないと……ね?」
白のメロメロに蕩けた笑顔と、黒の物言わぬ、だが確かな所有欲を秘めた視線。俺たちは汚れたシーツを新しく替える暇さえ惜しむように、再び重なり合った。窓の外には、地獄を越えた俺たち三人を祝福するように、突き抜けるような青空がどこまでも広がっていた。
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