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この日は、号泣する自信しかなかった。
手塩にかけて育てた宝物を、見知らぬ地へ送り込むのだから。
「姉さんに泣かれると、心配で飛行機に乗れないよ」
李人が両眉を下げ、困ったように私を見る。
「ご、ごめんね……。でも、どうしても涙が出ちゃう……うっ」
私と離れるというのに、李人は自分の心配より、私のことを心配している。
寂しさを我慢できず、私は目に当てたハンカチを盛大に濡らしていた。
ここは中部にある国際空港。
李人がこれから向かうのは、私が簡単には会いに行けない遠い国だ。頭ではわかっているつもりでも、いざ出発の時が近づくと、胸の奥から寂しさが込み上げてくる。
「李人くんが成長するのを、私たちは日本で見守りましょう。ね、瞳子さん」
付き添ってくれていた朝倉くんが、私の肩に手を置き、優しく慰めてくれる。
朝倉くんが車を出してくれて、ここまで送ってくれた。
私一人だったら、寂しさに負けて、李人を引き留めかねなかった。
だから、朝倉くんが一緒にいてくれて、本当にありがたかった。
「朝倉さんが姉さんのそばにいてくれてよかった。僕も安心して勉強してこれます」
「李人くんが学びに集中できるように、手配は完璧にしています。現地の空港には支援者が待っていますので、何も心配しなくて大丈夫ですよ」
「ありがとう、朝倉さん!」
李人が笑顔を見せる。
その顔を見ていると、少しだけ胸の苦しさが和らいだ。
「そろそろ時間だ……」
そう言って、李人が私の前まで歩いてくる。
「姉さん。今まで僕のためにありがとう。今の僕があるのは、姉さんのおかげだよ」
私は李人を見上げた。
少しずつ変化する目線に、気がつかなかったわけじゃない。
ただ、私が目を逸らしていただけだ。
けれど今なら、まっすぐにこの子を見ることができる。
「自立した立派な人間になれるように、たくさん勉強をしてくるからね!」
私は何度も大きく頷いた。
あなたが素直でまっすぐな子だったから、私も世話をしたくなったのよ。
だから私は、李人のためなら頑張れると思った。
でも、そんなことを今さら言葉にするのは恥ずかしくて、うまく口にできない。
「……うん。身体だけには気をつけてね……」
結局、一番伝えたいことは、それだけだった。
「姉さんこそ、ご飯はきちんと食べて元気でいてよ。連絡も入れるからね!」
「うん。待ってる」
姉弟の立場が、いつの間にか逆になっている。
恥ずかしいけれど、そんな弟を、私は誇らしく感じていた。
「姉さんも朝倉さんと幸せになって。朝倉さんは姉さんのことを一番に考えてくれる人だからね」
「うんっ。わかった」
李人は照れながら、私を両腕で抱きしめてくれた。
いつの間にか私の背を越し、こんなにも頼もしくなっている。
「瞳子さん、李人くんを立派な青年に育てたのは、あなたです。自信をもって送り出しましょう」
朝倉くんの言葉は、私の心を前向きにしてくれる。
この子を育てあげた自信で胸が満たされていくと、さっきまで止まらなかった涙も、自然と落ち着いていった。
空港の屋上、展望デッキから、イギリス行きのジャンボジェット機を見送った。
轟音とともに、李人が飛び去っていく。
飛行機の影が小さくなっても、私は名残惜しく空を見続けていた。
「無事に出発しましたね」
朝倉くんが、そっと隣に立つ。
少しだけ腕に触れてくる。
その温もりに、私はほっと安堵する自分を感じていた。
「……ええ」
「彼を信じて、帰りを待ちましょう」
私は小さく頷いた。
そして身体を彼に向け、手を組んで頭を下げる。
「朝倉くん。ありがとう」
「どうしたんです? 急に」
顔を上げて、彼を真っすぐに見つめる。
「あなたがいてくれたおかげで、私、李人を見送ることができた」
朝倉くんが、ふふっと笑いながら、軽く頭を振った。
「僕の義弟ですからね。当然のことです」
「私だけじゃなくて、李人まで好きになってくれて……本当にありがとう」
今度は、もっと深く頭を下げた。
彼は下心から李人を留学させたのではない。
李人自身を見て、その背中を押してくれた。
弟の自立への道を開いてくれた恩人でもある。
「だって、瞳子さんが育てた弟さんですからね。悪い子になるはずはありません」
「……そんなことないよ。朝倉くんは、私のことを評価しすぎてる」
そう言いながらも、胸の中はじんわりと温かくなった。
ふと視線を上げると、朝倉くんがどこか遠い目で私を見ている。
懐かしむような、それでいて少し切なさを含んだ瞳だった。
「……僕は、昔から知っています」
「何を?」
彼は何かを思い出すように、ゆっくりと口角を上げる。
「瞳子さんが、自分よりも誰かのために動く人だってこと──だから、大好きになりました」
「……」
「僕も、そんな人間になりたいと思うんです」
二十歳で証券会社の窓口で出会った顧客と担当。
そんなに深く知る仲だったとは言えない。
それなのに、どうしてそこまで私のことを見ていたのだろう。
私の中では、どうしても腑に落ちないところでもあった。
「瞳子さんは、李人くんのために身を捧げましたよね。もう、十分だと思います」
そう言って、朝倉くんが私の手を取った。
「瞳子さん。次は、あなたが幸せになる番です」
満面の笑みで、そう言ってくる。
「……は、はい?」
朝倉くんの切り替えの早さについていけず、私は思わず眉を上げた。
「デート、をしましょう。僕と一緒に!」
「ど、どこに行くの?」
「僕についてきてください♪」
私の質問には答えない。
朝倉くんは、さっきまで李人を送り出した私を優しく支えてくれていた人とは思えないほど、弾むような足取りで私を連れ出していった。
そんな彼を見ていると、寂しさでいっぱいだった胸の奥に、少しずつ別の感情が広がっていく。
李人はもう、自分の人生を歩き始めた。
そして私も──これからは、自分の幸せを考えてもいいのかもしれない。
夏目莉央
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131
くま🐻☁️
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