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「へ? 家で飲むことになった?」
『ああ。……お前が気を利かせてくれたおかげだ、リーオ』
ありがとうの言葉とともに小さなキスが届けられて思わず顔をにやけさせたリオンは、キッチンのテーブルに用意されていたカフェオレを片手に久しぶりの帰宅に喜んでいるマザー・カタリーナやブラザー・アーベルの顔を交互に見つめて無言で肩を竦める。
『リーオ?』
「ん? ああ、それよりさ、マウリッツを家に呼ぶのって初めてなんじゃねぇの?」
マウリッツとウーヴェは共通したもの-例えば雰囲気や空気感という言葉に代表される抽象的なものを持っているが、決定的に何かが違う事をリオンは肌で感じ取っていたため、どちらかの家で飲むほど仲が良いとは思わなかったと素直に告げるとスマホの向こうに沈黙が流れる。
「お前の友人なのにそんなはずねぇか」
『いや……相変わらずいい目をしているな』
お前の推察は半分が当たっているが半分は外れていると苦笑され、外れた半分は何だと苦笑で返すと学生の頃は頻繁にマウリッツの家やオイゲンの家で飲んでいたとウーヴェが口にするが、その後重苦しい沈黙が生まれた事からウーヴェの脳裏に浮かんだ光景に気付いたリオンが焦りを表に出さないように気をつけつつウーヴェの名を呼ぶ。
「オーヴェ、約束」
『……っ……!』
「お前は悪くねぇ。ほら、深呼吸しろよ」
二人を襲ったいくつかの辛く苦しい事件、それを乗り越える際のキーワードとしてリオンが幾度となく伝え、ウーヴェが必死にその言葉を信じて顔を上げてきた思いを今も伝え、離れているために抱きしめることは出来ないがせめてこの声を聞きながら心を落ち着かせてくれと言葉に出して強く願ったリオンは、永遠にも感じる時間の沈黙に焦燥感をかき立てられるが、何か大きな事を果たした者特有の満足げな吐息が聞こえてきて安堵に胸を撫で下ろす。
『……ダンケ、リーオ』
「どういたしましてー。本当のお礼は帰ったときにくれよな」
もちろんお礼というのはキスだと冗談めかして告げるが、表情を真剣なものに切り替えるともう一度約束と小さく呟く。
『……うん』
「良し。今日は家に泊まるって事か?」
『そうなるかな』
「じゃあさ、俺は自分の部屋で寝るから二人でベッドを使う?」
あ、何だかこの言い方ヒワイだなと言葉が連想させる淫靡さをまったく感じさせない突き抜けた声でリオンが笑い、ウーヴェがただ苦笑する。
『それで、今日の晩ご飯は本当に良いのか?』
「ああ、平気。ホームで食って帰るから気にするなよ」
ウーヴェとこの後の予定を穏やかな顔で話すリオンの前で、どれだけ時が経とうともリオンの保護者であり続ける二人の男女が顔を見合わせて満面の笑みを浮かべ、今日はオバツタを沢山作りましょうと頷き合う。
それを視界の端に納めつつ二人で飲むのも良いけれど必ずちゃんと食うことと己だけが出来る忠告をウーヴェに伝え、最後にキスを届けて通話を終えたリオンは、マザー・カタリーナとブラザー・アーベルの顔が笑み崩れているのを目の当たりにし、何だよと照れ隠しから顔を顰める。
「いいえ。オバツタを沢山作りましょうね」
「そうですね。食後は久しぶりにお前のコーヒーを飲ませて貰おうか」
「は!? 面倒くせぇ」
二人の言葉に悪態を吐きながらタバコに火を点けたリオンは、キッチンのドアが開いた事に気付いて肩越しに振り返り、見慣れた長身を発見して肩を竦めてすぐさまマザー・カタリーナへと向き直る。
そんなリオンの歓迎の姿勢を全く意に介さない様子でその隣に腰を下ろしたカインは、今日は休みかと問いかけつつリオンの前に置いてあるビスケットを無造作に摘まんで口に放り込む。
「今日はもう仕事は終わったのですか、カイン」
「……これ」
マザー・カタリーナがもう一人の息子が帰ってきた事に顔を綻ばせ、お茶の用意をする為に立ち上がろうとするのを無愛想な口ぶりで制止したカインは、紙袋をテーブルに置いて彼女とブラザー・アーベルの目を丸くさせる。
「……出張でフランクフルトに行ってきた」
彼方で話題になっている焼き菓子があったから買ってきたと、ダイヤ-と言ってもおもちゃに毛の生えたようなもの-のピアスが嵌まる耳朶を触りながら聞き取りにくい声で呟いたカインに今度はさすがに三人が盛大に驚くが、そんなに驚くのなら食うなと言い放たれて二人が慌てて機嫌を直して下さいと言動で詫び、リオンがそんな二人を横目に口笛を吹きながらラッピングを破る。
「どんな風の吹き回しだ、カイン」
「うるせぇ。アキが食いたいと言ったからついでに買ってきただけだ」
「アキ? 俺たちの結婚パーティでピアノを弾いてくれたあの留学生だよな?」
お前が誰かと同居していること自体不思議だが、その同居人が食いたいと言ったその一言を守るとはどういうことだと今度は真剣な顔で驚きながらカインを見ると、リオンだけが見抜ける羞恥を目の中に浮かべたカインが無言でリオンのタバコを一本抜いて火を付ける。
「残り少ないのに人のタバコをパクるな」
俺よりも稼ぎがあるくせに貰いタバコしてんじゃねぇと口汚く幼馴染みを罵るリオンを無視し、マザー・カタリーナに焼き菓子の小袋を差し出したカインは、美味いかどうかは分からないが美味かったらまた買ってくるとそっぽを向いて口早に告げる。
「ありがとうございます。カイン、何か飲みますか?」
焼き菓子を食べるときに飲みたいものは何だと笑うマザー・カタリーナに紅茶と呟いたカインは、ブラザー・アーベルが立ち上がって紅茶の用意を始めたことに気付き、片手を軽く挙げる事で感謝の気持ちを伝えるが、リオンが小袋を開けつつやけに真剣な顔になっている事に気付くとタバコの先を向けてどうしたと小さく問いかける。
「あ?」
「ウーヴェはどうした」
「あー、大学のツレが来て家で飲むってよ」
だからそれまで帰らない方が良いらしいと肩を竦めるが、蒼い瞳の奥に靄のようなものがたゆたっている事に気付いたカインが先を促すようにタバコの煙を細く吐き出す。
「……そのツレ、何か問題でもあるのか?」
「んー? あぁ、問題っていうか何だろうな……」
ダーリンのように思った通りのことを言葉にして伝える術を持たないから上手く言えないがとリオンが小袋を手放した手でタバコに火をつけ咥えるが、親指をくるくると回転させ始める。
それがリオンが考え事-しかも日頃の言動からすれば信じられない程真剣なもの-をしている癖だと知っているカインが三度先を促すと、リオンの口から溜息がこぼれ落ちる。
「……オーヴェはさ、すげー優しいよな。何かあっても自分のことよりまず人のことを心配する」
「そう、だな」
「本気で自分のことは後回しで良いって思ってる。そのツレもオーヴェと似たタイプなんだけどな……」
でも何かが違うと呟くリオンを少しだけ見やった後、出された紅茶のマグカップを受け取り、タバコの火を消したカインが何が違うと呟き返してリオンの思考の先を促す。
「……上手く言えねぇ。あー、イライラする」
考えても仕方の無いことだ、そもそもマウリッツはオーヴェのダチだと思考停止を宣言するように吐き捨てたリオンは、焼き菓子を無造作に口に放り込んでもごもごと咀嚼しつつ口を開く。
「……美味いな、これ」
「口の中に入ってるときにしゃべっても何を言ってるか分からないから止めろ」
「うるせぇ」
リオンの悪癖にカインが悪態を吐き更にそれにリオンが返す、二人がここで鬱屈だらけの学生時代の頃のように言い合う様を、その当時から見守り続けてきたマザー・カタリーナと話にだけは聞いていたブラザー・アーベルが何とも言えない顔を互いに見合わせ、同じ思いを見いだして溜息を吐く。
そんな、以前は当たり前のようにあった光景を時を止めたゾフィーが食器棚の上から呆れたような、それでも優しい笑顔で見守っているのだった。