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夜の部屋は、静けさというより、音を吸い込んでしまう井戸の底みたいだった。
カーテンの隙間から差し込む街灯の光は、
床に淡い線を作っては、風に揺れるたびに消えていく。
俺はその線をぼんやりと目で追いながら、また同じ詩句を頭の中で繰り返していた。
「光っては消えて、飛んでって……」
自分で呟くたび、胸の奥がすこしざらつく。
机の上に置きっぱなしの水のコップは、三口ほど飲まれたままぬるくなっていた。
喉は乾いているはずなのに、飲む気にならない。
胃の奥が波立っていて、何を入れても重く沈んでしまいそうだった。
「元貴、起きてる?」
ドアの向こうから若井の声がした。
低めで落ち着いているくせに、こういうときだけ妙に柔らかい。
「うん」
そう返した声が、自分でも驚くほど掠れていた。
若井は何も言わず、ドアを開けて部屋に入ってきた。
片手に持っていたマグカップからは、白い湯気が揺れている。
「これ、飲めそうなら少しでも」
カモミールの匂いが、急に部屋の空気を変える。
でも、その香りにすら気持ちが押し返されて、俺は目を伏せた。
「ありがと」だけを小さく言う。
廊下から、涼ちゃんの足音が近づいてくる。
スウェット姿で、手にはコンビニ袋。
「プリン買食べる?甘いの食えば少し元気になるかなって」
その言い方が、あまりにも普段通りで、逆に胸が締め付けられる。
二人がこうやって当然のように俺の部屋に来て、
ものを差し出してくれることが、どうしてか罪悪感みたいに重い。
——先生、何のために僕たちが生まれてきたのか授業してよ。
頭の奥で、またあの言葉が浮かんだ。
だけどここには先生もいないし、正解なんて誰も教えてくれない。
ただ、若井がマグを差し出し、涼ちゃんがプリンの蓋を不器用に開けるだけだ。
その手元だけを見ていると、ほんの少しだけ、眠りに引き込まれるような感覚になる。
若井が視線をこちらに落として言った。
「無理しないでいい。飲まなくても食べなくても、今は」
涼ちゃんが笑いながら、「でも、あとで僕が食べるよ」なんて軽口を叩く。
二人の声が、光の粒みたいに俺の中に入ってきては、静かに消えていく。
——彷徨ったのには意味はありますでしょうか。
その問いは、まだ答えを持たないまま、天井の薄暗い模様に溶けていった。