「ねえ、桃ちゃん。俺、桃ちゃんのこと大好き!」
「俺も赤のこと大好きだよ」
少し曇った窓には、少しかけた写真を片手に、そう言い合える日をまだ待っている俺が映っている。
「桃くん」
「俺、生きてていいのかな」
5年前、初めて君に相談した。
「なんで?」
と当たり前のような顔をして聞き返す君に、俺はこう答えた。
「だって、俺ってなんかきもいじゃん。女なのに、男のフリしてるし。声だって高いしさ、なんかきもいじゃん?」
当時悩んでいたことを精一杯、明るく言った、はずだった。
「俺はそうは思わないけど。俺は赤のことを本当に男だと思ってるし、一度もきもいと思ったことはないけどね。」
初めてだった。
初めて、“個性”という言葉を使わない人に出会った。
全てを認められたような、そんな気持ちになった。
あの日、俺はそんな桃くんに、恋をしてしまった。
「いってらっしゃい」
その言葉と共に、彼を送り出した。
ついに恋を実らせ、恋人になった俺たち。
桃くんの警察官として初めての出勤日。
正直、俺は警察官にはなってほしくなくて、一般的な会社に勤めて、幸せな生活を送りたかった。
だけど、桃くんは責任感が強くて、
「俺はどうしても人を守る職業に就きたい」
そう言った。
その強い気持ちに押されて、そして大好きな人の気持ちを尊重したくて、その夢を応援することにした。
その日から、毎日毎日送り出しては心配して、桃くんの帰りを祈って。そんな日々。
昼に働くときもあれば、夜から働くときもあって、大変そうだった。
俺自身も、桃くんに合わせてシフトを入れてもらっているから、体は、正直辛かった。
2人とも忙しくて、だんだん、お互いのことを気にかけられなくなった。
恋人なのに、恋人じゃないみたい。
いつのまにか、そんな関係になっていった。
ある日、桃くんが一日帰ってこない日があった。
俺は見て見ぬ振りをした。どうせ仕事だろう、と。
連絡さえ、しなかった。
次の日には帰ってきた。
だけど、俺はなにも感じなかった。
帰ってくることさえも嬉しかったあの気持ちは、もうなかった。
でも、だんだん帰らない日が増えてきて、俺は浮気を疑うようになった。
もはや恋人ではないような関係なのに、恋人気取りをしてそう思ってしまった。
桃くんは、知らない男と歩いていた。
楽しそうに。手にいっぱい袋なんて下げて。
ああ、捨てられたんだ。そう思った。
俺は、初めて恋をした人を、初めて俺を認めてくれた人を、捨てた。
桃くんは、「大好きだった」とだけ言い残し、家から出て行った。
もう気にかけることすらない存在になる、はずだった。
あの一報までは。
桃くんから突然電話がかかってきた。
最初は怖くて出たくなくて、無視していた。
でも、何度も何度もかかってくるその電話に疑問を覚え、出ることにした。
「もしもし」
出た先にあったのは、桃くんの声では、なかった。
「どなた、ですか」
「桃くんの友達の青と申します」
「青、さん」
「赤さんで間違いないですか」
「はい」
「突然ですが」
そこで言葉に詰まる青さん。
「なんでしょう」
俺がそう言うと、意を決したように話しだした。
「実は、桃くんは亡くなったんです」
時が止まったようだった。
あんなに嫌いになったはずだったのに、ショックを受けている自分にも驚いた。
「なんで、ですか」
ようやく出した声だった。
「がん、です」
青さんは静かに、そう答えた。
「あの、赤さんと桃くんってお付き合いしてたんですよね」
「はい、一応」
そう答えると、青さんは気まずそうにこう言った。
「桃くん、実は赤さんと付き合っている頃からがんで」
「え?」
「もう、先は長くないと、わかっていたんです」
じゃあなんで、と言いかけると
「赤さんを悲しませたくなかったのだと思います」
そんな、そんなわけない。
だって、あのとき浮気をしていた。
この目で見たから。
でも、それも嘘だったら?悲しませたくないって理由だったら?
勘違いし続けるのが怖くなって、俺は聞いた。
「じゃあ、浮気も嘘、ってことですか」
「赤さんが見ていたのは、僕です」
「え?」
実は、と青さんは桃くんとのことを話し出した。
僕は桃くんと幼馴染で、たまに連絡を取り合うような仲でした。
ここ最近はお互い仕事もあって、忙しくて、全然連絡してなかったんです。
でも、数ヶ月前、突然連絡が来て。
「青、俺の浮気相手になってくれ」
これだけ来たんです。
僕は戸惑いました。
赤さんとの話もよく聞いていて、すごく幸せそうなお話も多くしていたので、理由がわからなくて。
「なんで?」って聞きました。
でも、彼はなかなか答えてくれなかった。
「いいから。早くなってくれ。」
ってそればっかりで。
そこまで頼むならと、引き受けました。
なかなかこんなお願いをするような人じゃないことはわかっていたので。
それは赤さんもわかると思います。
そして、嘘の浮気相手を続けているうちに、桃くんから打ち明けられたんです。
「俺さ、がんなんだ」
衝撃でした。
嘘でしょ、と。本当は?と。
何度も言ったけれど、彼の答えは同じでした。
「余命半年って言われてさ。ごめんな。
俺、赤だけには弱い姿見せたくなくて、青に浮気相手頼んで、無理矢理別れたんだ。
ずっと伝えてなくてごめん。」
冷静にそう言っていました。
僕はずっと、赤さんに真実を伝えることを提案しました。
「そういうのは絶対、赤さんにも言わないと。僕に言ったって、僕は桃くんの恋人じゃないし」
それでも、彼の気持ちは変わらなくて、頑なに赤さんに言うことを拒みました。
嘘の浮気相手を始めた頃は、外に出て買い物をしたり、ご飯を食べたり、アクティブに活動できていました。
だけど、赤さんと別れてから、日に日に彼の体調は悪くなって、入院しなければならなくなって、ご飯も喉を通らなくなって。
僕だって、彼のそんな姿は見たくなかった。
だけど、「赤のために頼む」と。そう言い続けていました。
「そろそろ死ぬんだろうな」
彼は突然、そう言いました。
「そんなこと言うなよ」
「死ぬってわかるんだよ、自分の体だからな」
「じゃあ、さ、赤さんに言ったほうがいいんじゃないかな」
僕は、もう一度赤さんに伝えることを提案したんです。彼の答えはやはりノーでした。
「もういいんだよ。赤はもう俺のことなんて忘れてる」と。
でも、僕も諦められなくて、
「本当は赤さんのこと、まだ好きなんでしょ。大切なんでしょ。このまま、誤解があったまま、勝手にいなくなっていいの?思いを伝えなくていいの?赤さんに会いたいって思わないの?」
そう、聞いてしまいました。
彼は、すごく小さな声で言ったんです。
「本当は、赤に会いたい。
本当は、赤に大好きって言って、抱きしめたい。
本当は、赤と旅行だってしたい。
またあの時と同じように過ごしたい。
幸せな日々を送りたい。
生きていてほしいって、言ってほしい。
痛いところも、さすってほしい。
結婚だって、したい。
もう一度だけ、会いたい。」
本当は大好きだったんです。
赤さん以外を考えたことなんて、きっとなかった。
それに、桃くんが警察官になった理由、知ってます?
「人を守る職業に就きたいから、じゃないんですか」
僕は首を横に振った。
“赤さんを守りたいからだ” って。
「いざとなったら、俺が赤を守るんだ」って、そう言っていました。
「赤を守ってやれなかったな」
「何のために警察になったんだかなあ」
桃くん、死ぬ直前もそう言っていました。
本当に、あなたのことを愛していたんですよ。
赤さん。桃くんは、本当に赤さんが大好きで、愛していて、大切で。
結婚までしたいってそう思える相手だったんです。
赤さんも本当は、今もずっと桃くんのことを愛しているんじゃないんですか。
俺は泣き崩れた。
嘘だと思いたかった。
亡くなったという事実も、俺のための嘘だったことも、全て、信じたくなかった。
そんな俺に追い打ちをかけるように、桃くんとの思い出が蘇る。
「ねえ、桃ちゃん。俺、桃ちゃんのこと大好き!」
「俺も赤のこと大好きだよ」
好きを伝え合った日。
「俺、生きてていいのかな」
「俺は赤のこと本当に男だと思ってるし一度もきもいと思ったことないけどね。」
君に惚れた日。
「いってらっしゃい。気をつけてね。」
「大丈夫だよ。いってきます。」
毎日いってらっしゃいと送り出した日々。
「お誕生日おめでとう!」
「手作りのケーキじゃん!桃くんすっご!」
お互いを祝った日。
「赤?好きだよ。ほら。こっちみなって。その方が興奮するだろ?」
「もう!バカ!///」
甘い夜を過ごした日。
「なんで食器片付けないの?」
「桃くんだって洗濯しないくせに!」
喧嘩をした日。
「大丈夫?」
「うーん…結構熱高い…。」
看病をしてくれた日。
「やばい!超楽しい!」
「めっちゃチュロス美味しいよ!ほら、桃くん!あーん」
2人で遊びに行った日。
「桃くん。浮気、してるよね」
「ごめん。」
「別れよう。」
「大好きだったよ。」
お別れを、した日。
馬鹿。バカバカバカバカ、馬鹿。
桃くんのバカ!
なんで。なんで言ってくれなかったの!
別れよう、が最後の言葉なんておかしいじゃん!
桃くんだけ「大好きだったよ」なんてずるいじゃん。
俺だって大好きだった。
ずっと、忘れたくても忘れられなかったの。
たった一枚しかない写真を、ずっと捨てられないほど、俺は、桃くんが大好きで、たまらなかった。
闇のような暗い人生だった俺に、光をくれたの。
未来なんて見えないほど真っ暗で、誰も助けてなんてくれなくて、そこに来てくれたのは桃くんだった。
桃くんのおかげで、未来が楽しみになった。
生きてていいんだって思えるようになったの。
それなのに。それなのに、また、大切な人は俺の元から消えていく。裏切る。
これからどうしたらいいの。桃くん。
俺、もう誰のことも信じることができない。
もう、誰も好きになれないよ。
生きていく理由なんてない。
またどこかで会えるって期待してたのに、もういないんだから。
「あの」
「青さん?なんでここに」
「実は、桃くんにこれを頼まれてまして」
「桃くんに?」
その手には、手紙のようなものがあった。
「これ、桃くんから手紙です」
「ありがとう、ございます」
“赤へ
これを読んでいるってことは、もう俺はいなくなっちゃったんだな。
急にいなくなってごめん。
青からも聞いたと思うけど、実はがんで。
最初は治るはずで、薬を隠れて飲んでいたんだけど、気づいたら色んなところに転移してた。
それで、入院しなくちゃいけないってお医者さんに言われて。
どうしても赤にがんのことを言わずに消えてしまいたかった。
それで無理を言って、青に浮気相手になってもらったんだ。
青にも赤にも申し訳ないことをした。
本当にごめん。赤を守りたかったんだ。
別れようって言われたとき、もう最後って決めてたから、本当はもっとたくさん言いたいことがあった。
だけど、それを言い出したら中々離れられなくなるって思って、「大好きだったよ」って一言だけ、赤に伝えた。
俺は、赤のこと大好きだし、赤と一緒に過ごしたかったし、本当なら、結婚だってしたかった。
もう一度、抱きしめたかったなあ。
大好きだよって、伝えたかったなあ。
赤のこと、ずっと守ってあげたかったなあ。
ごめんな。守れなくて。
ごめんな。抱きしめてあげられなくて。
ごめんな。大好きって言ってあげられなくて。
本当にごめん。
ずっと、大好きだから。
赤のことは、俺にとって赤の次に大切な人に託してある。
信じてやってくれ。
赤は俺の永遠の恋人です。愛してる。 桃”
「うわああああああ!」
俺は、叫ぶことしか、できなかった。
なんで、なんで、なんでなんで!
何で俺じゃなくて桃くんが死んじゃうんだよ!
おかしい!こんなはずじゃなかったのに…!
そう手紙を握りしめて泣く俺を、誰かがそっと抱きしめた。
「僕、赤さんの気持ちとか悩みとか、桃くんのようにはわかってあげられないと思うんですけど、桃くんの大事にした人だから、僕も赤さんのことを大切にしたいと思うんです」
青さんだった。俺のことを大切にしようとしてくれてるのか。でも、俺は。
「俺にもう生きる理由なんてないので、大切にしてもらわなくて結構です」
本心だった。
今青さんの優しさに触れると、全部がなくなってしまいそうで、怖かった。
でも、そんな俺をよそに、青さんはこう言った。
「だから、僕を生きる理由にしてくれませんか」
「え?」
いやいや、と手を振る。
「そんな、突然無理ですよ」
「そんなのわかってます」と彼は言う。
それでも、あなたを守りたいんだと。
まっすぐな瞳で、まっすぐな思いで、俺にそう伝えた。
そんなところが、何だか桃くんに似ている気がして、信じてもいいと思えた。
「あ、また桃くんとの写真見てる」
「いや、俺の永遠の恋人ですからねえ」
「でも今は僕なんじゃないの?」
少し茶化しながら言う青ちゃん。
「はいはい。“今の”恋人はそうかもしれませんね」
面倒そうに答えると、今はやっぱり僕がいいのかあ、などと言っていたが、特になにも返さない。
こんな感じではあるけれど、一応あのとき俺を救ってくれた人だから、嫌いになれない。
青ちゃんがいなかったら、きっと俺はすぐに桃くんのところに行ってたから。
今思えば、親友のために、親友の恋人を自分の恋人にしてまで守るってすごいことだと思う。
しかも、男同士。
男、と言っていいのかわからない俺だけど、桃くんのように、きっと青ちゃんも俺を本当に男性だと思ってくれていて、その上で、こうして恋人になってくれている。
絶対に俺の中で一番になれないこともわかっているのに。
本当に感謝しかない。
悲しくなったら慰めてくれて、嬉しいことは嬉しいと言ってくれて、大好きだよと伝えてくれて。
「ありがとね」
小さく言ってみたけど、彼には聞こえていないようだった。
桃くん。俺、まだ桃くんのこと好き。
桃くんの嘘だって、まだ許せない。
まだ話したかった。結婚したかった。写真も、まだ持ってる。
写真を見るたびに、また、君の元へ行きたくなっちゃう。
だけど、君がくれた最強の親友が俺を救ってくれる。
だから、未来で桃くんに会えることを楽しみにしてるね。
永遠に、大好きだよ。
“俺も。”
そう、聞こえた気がした。
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