「ただいま」
「おかえりなさい、雅史さん、お邪魔してますよ」
「え、あ、いらしてたんですか?」
慌てたような雅史の声が聞こえてきた。
「突然ごめんなさいね。杏奈と話したいことがあってね。明後日土曜日の朝には帰るから」
「杏奈とですか?」
_____あ、もしかして浮気のことで私がお母さんを呼んだと思ってるのかも?
焦ったような雅史の声で、勝手に想像する。
「ちゃんとしたら、雅史さんにも話すわね」
「お帰りなさい、ご飯できてるから、先にお風呂入って」
わざと、なんの話のために母が来たのか説明せずに、いつもの会話をする。
「あー、わかった。圭太も入れようか?」
いつもはめんどくさがる圭太のお風呂を自分から言い出すのは、多少でも後ろめたいからだろうか?
それでも今はまだ、そのことには触れずにおくことにした。
「ありがとう、お願いね」
ホッとしたように、圭太を連れてお風呂に向かった。
「雅史さんは子煩悩みたいね」
「圭太のことは好きみたいだよ」
「え?」
「あ、なんていうか自分の子どもは好きって意味。よその子にはあんまり優しくないかも?」
思わず、“私のことは好きじゃないみたい”と言いそうになってごまかした。
4人で晩ごはんを食べていつもの団欒で過ごし、私はリビングに布団を敷いて母と二人で寝ることにした。
その間も、誰のスマホにも父からの連絡はなかった。
「ね、お母さん、明日、お父さんのところに行ってみるね」
「いいわよ、何も言ってこないことが答えなんだから」
「プライドが邪魔してるだけかもしれないし、念のためお父さんの気持ちも聞いておきたいから、一人娘として」
「ふぅ…。そうね、一人娘だもんね、お父さんにとっても。じゃ、行ってらっしゃい」
「圭太は見ててくれる?」
「もちろんよ」
父と母が離婚して別々に暮らし始めるかもしれない、そう考えたら寂しくなった。
私は大人なのにこんな気持ちになる、ということは圭太だったら?
圭太にそんな思いはさせられない、と思う母親としての私がいた。
晩ご飯を食べて片付けて、何事もなかったように過ごす。
母から、父とその相手との関係を聞かされて、ずっと考えていた。
“ 「私のことを、家政婦くらいにしか思ってなかったってことでしょ?気持ちはずっと別の女にあったんだとわかったら、虫唾が走るくらい嫌だと思った。もう顔も見たくない」”
そう言っていた母。
何年も信じて一緒に暮らしてきた人(父)が、ずっと自分とは違う人を見ていたということ。
_____ん?私が結婚して家を出る前から、そんなことがあったということ?
私は当時、自分のことばかり考えていて、そんなことなんか予想もしていなかった。
当時だけじゃない、ずっとだ。
_____もしも私がお母さんの立場だったら?
圭太と遊ぶ雅史を見て、考える。
_____体はここにあるのに、気持ちはずっと誰かを思ってる?私は子どもも育てる家政婦?
「うわ、気持ち悪い!」
想像での反応が、思わず言葉に出てしまった。
「なんだよ、俺の顔じっと見てさ」
「あ、ごめんごめん、その、圭太が持ってるおもちゃの虫が、やけにリアルだったから」
なんて言い訳をする。
「これか?ほら!」
ふざけた雅史が私にそのおもちゃを投げてきた。
「きゃっ!いや、だから、気持ち悪いって」
「おかーたん、これいや?」
バッタのおもちゃ、そんなに気持ち悪いわけじゃないんだけど。
「杏奈は昔からそういう昆虫が苦手よね?圭太ちゃんは男の子だから強いのね」
私たち3人のやり取りを、微笑ましく見ている母。
_____お母さん、もしかしたら私も同じことになるかも……
体だけの関係の方が……たとえばそれがそういう風俗のお店だったりしたら、気持ちが楽な気がする。
《ご主人、お借りしてまーす》
雅史の気持ちも、あんな写真を送りつけてきた京香の気持ちもわからない。
雅史の気持ちがどこにあるのか、私にとってはそれが一番大事なことのようだ。
土曜日、佐々木夫婦が来たらしっかりと確かめる。
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