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「いつも慕ってくれてありがとう。私も、睦月君が大切よ」
それだけ言うのがせいいっぱいだった。彼が私に伝えてくれているような『好き』というような気持ちは、なぜか軽々しく伝えてはいけない気がした。
「大切……か。ありがとう。嬉しいよ」
少し切なそうな表情を見せ、それでも最後は笑顔に切り替えてくれた。
なぜ、そんな顔をするの?
「僕は、いつまで経っても先生にとって弟みたいな存在なの?」
「えっ、別に、そういうわけじゃ……」
「だったらこれからは、僕のことをもっと”夫”として、ひとりの男として意識して欲しい。僕は、先生が大好きなんだ。その気持ちに嘘はないし、これからも伝え続ける。だから先生も僕のことを好きになって欲しい」
きゅっと胸が熱くなる。好き…この、もどかしく切ない感情を”好き”というのであれば、私は――…
「ごめん、先生。そんな怖い顔しないで。困らせるつもりじゃなかったから」
そういう睦月君が困った顔をしている。
戸惑っている。
私が、自分の感情をうまく理解できないせいだ。
「睦月君。正直に言うね」
嫌な気持ちにさせないよう、言葉を慎重に選んで伝えた。
「私、あなたと夫婦になったばかりだし、うまく、自分の感情が理解できないことがあるの。睦月君のことは幼いころから大切に想っているし、それは今も変わらない。でも…睦月君がそんな風に私のことを大切に想って、その気持ちを伝えてくれるのは…すごく、嬉しいの。ありがとう。私、睦月君と向き合おうと思っているから、もう少し、感情が追い付くまで待っていてくれる?」
「先生……」
睦月君にぎゅっと抱きしめられた。彼の端正な顔が近づいてきたので、そっと目を閉じた。 キスを甘受し、吐息を重なり合わせる。
手を絡ませると、睦月君はしっかりと応えてくれる。
角度を変え、口腔内を侵略する巧みな舌に、私の心も身体も感情も翻弄される。
睦月君に、吸い込まれる。
「ふぅんっ……」
呼吸がうまくできなくて、息遣いが荒くなる。吐息が乱れ、頭が真っ白になって感情が押し流されていく。
「先生っ……」
余裕のない彼の声に、きゅうんと心が締め付けられる。
愛おしさが底から溢れ出す。
キスと同じくらい手を重なり合わせた。
痛いくらいに心臓が跳ねる。
ドキドキして、くらくらして、切ないのにもっと欲しくなる。
これが好きという気持ちなの?
もう少し経てばわかるようになるのかな。
睦月君の匂いに包まれながら、今日はふたりで眠りに就いた。
いつまでもこの手を離したくないという気持ちで、私の心はいっぱいだった。
この幸せがいつまでも続けばいいのに。
繋いだ睦月君の手が、離れていかなければいいのに――
※
翌朝。翠子さんになにか召し上がっていただこうかと思い、お付き人の方が届けてくださったフルーツをカットしている時だった。
「おはようございます」
リビングにご令嬢の登場だ。
「おはようございます。翠子さん、眠れましたか?」
「睦月様は?」
私の質問には一切答えず彼女は質問をかぶせてきた。
「洗面台の方にいますよ。今、支度されています」
令嬢はその答えを聞くと私を無視し、リビングに腰を下ろした。
感じ悪……。
それにしても、昨日同様バッチリ整っているのね。ご令嬢は崩れるってことがないのかしら。大変そう。
「おはよう」
睦月君が現れた。無表情でニコリともしなかった彼女が、ぱっと笑顔になる。頬はややピンクに染まり、目は潤み、彼の恋する女性なのだと見てわかるほど。
ちく、と胸の奥が痛んだ。
彼女の姿は、まるで私そのものだったから。
きっと私も、翠子さんがいなかったら同じようになっていただろうと、容易に想像できたから。
私、睦月君のこと、本気で――?
正解を模索している私の耳に、睦月君の声が届いたのでハッとした。少しの間、意識が飛んでいたので慌てて思考を彼らの様子に戻す。
「あまり朝から我儘言わないでよ。クリームは無いって。この時間じゃ開いているスーパーも無いし」
「コンビニに買いに行ってくださらない? なかったら諦めます」
「……わかったよ。僕が行ってくるから。少し待っていて」
「感謝いたしますわ」
どうやらご令嬢は、自分が食べるフルーツに生クリームを付けて食べたいので手に入れたいと睦月君に我儘を言っていたようだ。
「私が行くよ?」
コンビニに走るくらいお安い御用だと思い、買い物役を買って出た。
「いえ。あなたは私に玉子焼きを焼いてちょうだい」
「玉子焼き?」
「絶品と評判のようですから、どんなものかお手並み拝見といきますわ」
「わかりました。すぐ用意します」
「じゃあ、僕はコンビニに行ってくる。待ってて」
睦月君は上着を羽織ると出て行った。
私は早速玉子焼きの準備に取り掛かった。
バン
後ろでものすごい音がしたので、慌てて振り返ると、ご令嬢がカウンター越しに勝ち誇ったような顔で私を見ていた。ここはオープンキッチンでカウンターがあるリビングになっている。ちょうどキッチン側に立っている私と、カウンターを挟んでリビング側にいる彼女と対面する形で向き合った。
「なにか……?」
「なにか、ではありませんことよ。偽物妻さん」
突然偽物妻と言われ、なんのことかわからなかった。
「偽物妻って随分な言い方ですけれど、いったい――」
ご令嬢の視線を辿ると、カウンターの上に置かれた紙に注がれている。
彼女が大きな音を立てたのは、これを叩きつけた音だったのだ。
「えっ……」
その紙を見て、私の心臓はぎゅっと掴まれたようになった。背筋が寒くなり、震えた。
翠子さんが持っていたものは、とても見覚えのあるものだった。
それは、睦月君と再会したあの日。
契約婚を持ち掛けられてわけのわからないままに書いた婚姻届だった。
コメント
1件
うわっ…最後の婚姻届、まさか翠子さんが持ってるなんて😳 夜の睦月くんとのシーン、先生が少しずつ自分の気持ちに気づいてく過程が切なくて胸がぎゅっとなったよ。「好き」って言葉にたどり着くまでのもどかしさとか、指の絡ませ方や吐息の描写とか、さぶれさんの表現すごく好き… でも朝になってあの令嬢が現れて、空気が一気に変わった感じがした。 続き、すごく気になるよ…🥀
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