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「緊張すると言っただろう」
「まあ……普段とは、違うだろうな」
祖父は腕を組んでにやりと笑った。
「『グローバル・キャピタル・パートナーズ』の槙野くん? 君のことを知らないとでも思ったか?」
「僕の方は存じ上げてます」
急に話の流れが変わって美冬は驚く。
知り合いではなかったようだけれど、お互い存在は知っていたようだ。
「私も知っとるよ。最初はどんなつまらん男を連れてきたかと思ったら、まさか黒狼とはね」
「こくろう……?」
首を傾げた美冬に祖父が説明してくれる。
「裏でのあだ名みたいなもんだな。黒い狼だよ」
「あら、ぴったり」
美冬は横に座っている槙野をつい見てしまう。鋭くキリリとした目元も、隙のない雰囲気も狼と呼ばれていたとしても違和感は感じない。
「そんなあだ名、認めた覚えはないんですがね」
そう言って口を開いた槙野から不遜な気配が漂ってきて、美冬はあ……いつもの槙野さんだ、と思う。笑顔でも肉食獣なのは隠せない気配。
「経営に関しては剛腕でやり手。スピード感あり過ぎて誰もついていけないらしいな。事が完了した後にそうだったのかと皆感心するんだ。何歩も先を見ることのできる人物だよ」
(そんなに凄い人だったのね……)
槙野は美冬の頭を撫でた。
「美冬はそんなこと気にしなくていい」
祖父の前だから、ことさらに甘く見えるように振舞っているんだろうか。とても甘い表情で頭を撫でられて、美冬は胸がきゅんとしてしまったのだ。
(なによ。大根どころかおじいちゃんにまで認められるくらいの人だったんじゃない)
しかも祖父の界隈、つまり経営層にも有名な人物なのだ。
「ずるいわ。そんなの全然見せないで……」
「だって美冬は最初は俺のこと怖がっていただろう。だから結婚を了承してくれるなんて思わなかったんだよ」
甘く囁かれて美冬はハッとした。そうなのだ。そういう設定だった。
「それは……槙野さんがすごくストレートだったから……」
それは間違いないはずだ。
「ふん……偽装かと思ったらそうでもないらしい」
顎を撫でながら祖父はそんな風につぶやいた。
一瞬口から心臓が出そうになる美冬だ。
「やあね、おじいちゃん、そんなわけないじゃない」
横を見ると今度は槙野が肩を揺らしている。
くすくすと笑うその顔が楽しそうで……悔しいけど魅力のない人でもないわ。
美冬も素直に魅力のある人物だと認めることができない。最初の印象があまりにも悪すぎたのだ。
「とにかくおじいちゃんそういうことなの」
だから社長は辞めないから。
そう言おうと思った美冬に祖父が口を挟んだ。
「美冬、式はするんだろうな?」
「当たり前よ。槙野さんもそこは分かってくれてるもの」
ね?と美冬は首を傾げる。
それにも鷹揚な雰囲気で微笑んで槙野は頷いた。美冬のわがまますら可愛くて仕方ないという感じだ。
「俺も美冬の花嫁姿は見たいしな」
──あっま……。
眼光鋭く人を殺そうかというような視線で見る人なのかと思ったら、恋人にはとても甘い人なのかも知れない。
それか、契約を守り切ろうとしているか。
(……まあ、槙野さんならどちらかというと後者よね)
美冬はそれを契約を守り切ろうとしているのだと判断した。
「では結婚式を挙げて入籍したら、会社のことはちゃんとしよう」
祖父は美冬にそう言った。
「約束よ」
美冬は立ち上がる。
横で槙野も一緒に立ち上がったのが分かった。
その場に槙野の低い声が響く。
「椿さん、僕は美冬さんを守ります。彼女のやりたいようにやらせてあげたい。それに、ミルヴェイユは素晴らしいブランドで、彼女も会社を愛している。それは理解しています」
そうして槙野は美冬の肩を抱いた。
祖父からはとても大事にしているように見えるだろう。
少しだけちくっとしたその胸の痛みには美冬は気付かなかったふりをした。
「ふうん。まあ、幸せになりなさい」
「なるわよ。見てて」
そう言って美冬はぎゅうっと槙野の腕にしがみついたのだった。
槙野は一瞬ぎょっとしていたようだったけれど、ふっと笑って美冬の頭を撫でる。
ほんっとにこんなに甘いの、ズルくない?
「おじいちゃん、また来るね」
笑って美冬は祖父に向かって手をひらひらさせた。そうして二人で病室を出る。
しばらく歩いて美冬と槙野は一斉にため息をついた。
「ごめん!」
慌てて美冬は槙野の腕に絡ませていた自分の手を外した。
「いや? しかしすげー緊張した。さすがに迫力あるな」
「そう?」
美冬にとっては祖父だけれど、槙野にはまた違う気持ちがあるのかもしれなかった。
「ところで……誰が大根だって?」
──んんっ?
「ヤァネ、オジイチャン、ソンナワケナイジャナイって、ドン引くほど棒読み」
槙野が美冬の真似をして笑うから、赤くなった美冬は槙野の肩をポンッと叩く。
「もうっ! やめてよっ」
「これからまだ、美冬ん家の家族にも挨拶はあるぞー」
「槙野さんのお家にもねっ!」
「頼むぞ、大根ちゃん」
くっそー! 言い返せないのが悔しいわっ!
しかも楽しそうなその笑顔なんなのよっ。
ちょっと……素敵じゃない。ちょっとだけだけど。
「なんか腹減ったな……」
槙野はお腹を抑えて俯いていた。確かに夕食の時間はとっくに越えている。
「なにか食べる?」
「仕事を残してきてるんだが。まあ、今さらそんな気分でもないな。メシでも行くか?」
腕時計を確認しながら、槙野は美冬にそう尋ねた。
そうなのだ。槙野はとても忙しい人なのだ。
「いいの?」
「集中できないのに会社に戻っても仕方ない。ご馳走しますよ、お嬢さま」
槙野が美冬を覗き込むその顔がいたずらっぽい。
本当にもう、すぐ人をからかって!
美冬は槙野に対して最初の時のような怖さは、もう今は全くなくなっていた。