テラーノベル
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わたしの朝は、着信音から始まる。
音とともに振動が伝わってくるスマートフォンを手に取り、 慣れた手つきで操作する。
画面に表示される名前を見て、目を閉じたまま少しだけ息を吐いた。
「おはよ、よく寝れた?」
穏やかで、優しくて。
耳に届いた瞬間、頭より先に身体が目を覚ます声。
そんな声で目覚める一日が、
いつの間にか当たり前になっていた。
『おはよう……。まだねむい……』
自分でも驚くくらい、力の入らない声。
起きているのか、夢の続きなのか、境目が曖昧なまま返事をする。
「遅刻するよー。
どうせまだベッドなんでしょ?
ほら、はやく起きて」
呆れたようで、でもどこか楽しそうな声。
まるでこの部屋の様子が見えているみたいで、
少しだけ居心地が悪くなる。
毎朝、まなとは決まった時間にわたしに電話をかける。
かれこれ数年は続いていて、
今さら理由を考えたこともなかった。
そういうものだと、思っていたから。
重い腰をあげて、身支度をする。
鏡に映った自分は、まだ半分眠った顔をしていた。
*
玄関のドアを開けた瞬間、
眩しい朝日と、まなとの姿が視界に入る。
「制服、襟おかしいよ」
そう言って、迷いなくわたしの首元に手を伸ばす。
指先が触れた一瞬、 胸の奥が小さく揺れた気がした。
『うそ、ちゃんと見たんだけどなー』
「これで大丈夫。
遅刻しちゃうから急ごう」
何事もなかったみたいに手を離して、先を歩く背中。
わたしは一歩遅れて、その後ろを追いかける。
毎朝こうして、
他愛もない話をしながら一日が始まる。
特別じゃない。
でも、どうしてだろう。
この時間が終わってしまうことを、
考えたくないと思ってしまうのは。
まなとside
アラームが鳴る少し前に、目が覚めた。
時計を見るといつもと同じ時間。
スマートフォンを手に取って、トーク履歴の
1番上にある名前を、迷いなく タップする。
呼び出し音のあと、少し遅れて繋がった。
「おはよ、よく寝れた?」
寝起きの声が返ってくるまで、
この数秒が毎朝いちばん落ち着かない。
『おはよう…。まだねむい……』
予想通りの、力の抜けた声。
それだけで、無意識に口元が緩む。
「遅刻するよー。
どうせまだベッドなんでしょ?
ほら、はやく起きて」
言いながら、頭の中では部屋の様子が浮かぶ。
カーテンは閉めっぱなしで、
布団から出ていない姿。
見てきた時間が長すぎて、
想像できないほうがおかしかった。
毎朝電話をかける理由を、
ちゃんと説明したことはない。
寝起きが悪くて、起こさないと遅刻する。
昔からそうだったから。
それだけで十分だと思ってたし、思うことにしてきたから。
*
玄関の前で待つのも、いつものこと。
ドアが開く音を聞いて、顔を上げる。
やっぱり少し眠そうで、
制服の襟が微妙にずれている。
「制服、襟おかしいよ」
自然に手が伸びる。
指先が触れた瞬間、
ほんの一瞬だけ、動きが止まった。
━━近い、触れようと思えば触れられる距離。
気づかないふりをして、すぐに直す。
『うそ、ちゃんと見たんだけどなー』
間抜けな声でそう言ってくる〇〇に、
「これで大丈夫。
遅刻しちゃうから急ごう」
いつも通りの言葉。
いつも通りの距離。
一歩先を歩きながら、
背中に視線を感じる。
振り返らないのは、
もし目が合ったら、
“幼なじみ”じゃない感情が 顔に出る気がしたから。
この関係は、壊れてない。
でも、安心できるほど軽くもない。
それを分かっているのは、
たぶん、おれだけだ。
教室のドアを開けて、席に着く。
『あ、ジャージ忘れた……』
そう言いながら、
机に顔を伏せる〇〇を横目で見る。
「はい。おれのだけど、二つあるから使って」
自然を装って差し出したつもりだった。
『ほんとにありがとう。
今日体育あるの、完全に忘れててさー』
へらっとした表情で笑いながら、
〇〇がジャージを受け取る。
そのとき、
指先が一瞬だけ重なった。
それだけなのに、
胸がはっきりと音を立てる。
――ただ手が触れただけ。
そう言い聞かせて、
何事もなかったみたいに視線を逸らす。
幼なじみなんだから。
これくらいで動揺するほうがおかしい。
*
昼休み。
前の教科の片付けをしながら、
ふと隣に目を向ける。
〇〇の姿がなかった。
「……どこ行ったんだろ」
こんなふうに気にするのは、
詮索しすぎだと思う。
それでも、
頭の中から〇〇が離れない。
『まなと?』
聞き覚えのある声に呼ばれて、振り返る。
『ジャージ貸してくれたお礼に、
飲み物買ってきたんだけど……
まなとの好きなやつ、売り切れててさ』
そう言いながら、
少し眉を下げてペットボトルを差し出してくる。
「ありがと。
これも好きだから、うれしい」
できるだけ平然と、
いつも通りの声で言った。
『よかったー。
何にしようか迷ったんだけど、
まなとこれ好きかなって思って』
そう言って、
何の迷いもなく隣に座る。
距離が近い。
近すぎる。
でも、
その“当たり前”を拒む理由を、
おれは持っていなかった。
このまま、
何も変わらなくてもいい。
そう思った瞬間、
それが逃げだってことも、
ちゃんと分かってた。
いまは、まだ――
この関係に、甘えていたい。
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